82年生まれ、キム・ジヨン

『82年生まれ、キム・ジヨン』、『ヒョンナムオッパへ――韓国フェミニズム小説集』刊行・著者来日記念トークイベント
チョ・ナムジュ×川上未映子×斎藤真理子×すんみ 

『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者チョ・ナムジュ氏来日を記念して、チョ・ナムジュ氏×川上未映子氏の対談が、斎藤真理子氏、すんみ氏を交えて、2019年2月19日(火)、新宿・紀伊國屋ホールで行われた(筑摩書房・白水社・紀伊國屋書店・韓国文学翻訳院 共催)。  韓国文学と日本文学における社会問題の影響、「正しさ」についてという話題から「オッパ」「主人」という恋人や夫の呼称についてまで、大変刺激的なトークイベントとなった。(通訳:宣善花(ソン・ソナ)、延智美(ヨン・ジミ))

最新作について

斎藤 お二人の次回作というのも非常に楽しみにしているのですが、それぞれ伺えますでしょうか。

川上 先月、『文學界』3月号に前篇500枚が掲載されて、来月出る4月号にやはり500枚の後篇が掲載される、全部で1000枚超の『夏物語』という長篇を書きました。本になるのは7月の初めぐらいの予定ですけど、よかったらお手に取ってほしいです。
 きょうは女性についていろいろとお話ししたんですけど、女性でも男性でも、本当に自分が女性(男性)だと言えるポイントはどこだろうということがあると思うんです。体は生物学的に女性で、まわりからも女性としてカテゴライズされ扱われるけれども、あらためて「あなたの精神は女性ですか?」と言われたら、ちょっとわからなくなるのではないでしょうか。
 今回の主人公は、異性と接触欲を持たない主人公なんです。でも、彼女は、どうしても自分の子供に会ってみたいと思ってしまう。相手もいないし、そういう行為もしたくない。そんな38歳の女性が、精子提供で生まれてきた男性と知り合う。子どもを産むということは何を生むことになるのか。生殖というものを中心に、人生で何をどのように選択するか、という小説です。

斎藤 「文學界」3月号の前篇は読ませていただきました。チョ・ナムジュさんは川上さんの『乳と卵』を韓国語版で読まれたそうですが、『夏物語』は『乳と卵』と同じ登場人物なんですね。

川上 そうなんです。長さも内容も、10倍近くリブートしたって感じでしょうか。

斎藤 チョ・ナムジュさんは、『キム・ジヨン』の次に書かれた『彼女の名前は』という連作小説集があって、まだ日本で翻訳が出ていませんが、60人余りの女性に話を聞いて、実際に取材をして、10~70代の多様な女性たちについて書いた、28ぐらいの小さな物語が散りばめられたものですね。タイトルはそこに出てくる女性たちの名前を意味しています。
 その次に、いま準備されている小説は何月に出るんですか?

チョ 韓国で5月に出る予定です。

斎藤 これは、時代も場所もわからない都市国家において、不法在留者たちが住む、ある古いマンションの物語で、技術発展と経済成長によって都市国家が発展し、体制から疎外された人々がスラム化した空間で、存在しているのかしていないのかわからないような状態で暮らしている。そこで起きる出来事が書かれた小説で、女性がテーマでは全くないですが、この作品についてご紹介ください。

チョ 斎藤さんからご紹介があったように、ある1つの社会の主流、または中心として受け入れられていない人々が、隠れて生きているある空間を描いています。
 私自身、女性として生きてきた中で、ずっとこの先、男性中心社会の主流に自分が入っていくことはできないんじゃないかという葛藤や悩みを抱えていたので、次の作品では、『キム・ジヨン』のように「女性」というテーマが前面に出ているわけではないのですが、やはり、中心ではなく周辺部に生きている人々の悩みなどが込められた、私自身が当事者でもあった自分自身の悩みが表現された作品でもあります。

最後に

斎藤 最後に皆さんから、ひとことずついただきます。

すんみ 今日はお話を伺っていて、文学が何かを変えられるという強い意志をチョ・ナムジュさんから感じましたし、川上さんも、直接的には言われないと思いますが、小説などの作品の中で、やはり何かを変えていこう、問題提起をしていこうという意識をお持ちだと思いました。
 文学には力がないとか、そもそも読まれないとか、そのように言われる時代ですが、もっともっとやれることがあるんだなと、皆さんのお話を聞いて感じました。ありがとうございます。

川上 日本語で書かれる小説は、英語に翻訳されて、さらに他の言語に翻訳されて、読まれていく、そこで多くの読者を得るということが1つの大きな達成であると考えられていたと思います。
 でも、数年前から、例えばアジアの作家たちと話をしているときに、なぜみんな、アメリカやイギリスの出版社が声をかけてくれるのを待っているのだと。君たちには自分たちの言葉があって、もっと地理的にも歴史的にも近い人たちが、読者としてたくさんいるはずなのに、どうして遠くばかり見て、英語におもねるようなことばかりするのだという話をされて、考えさせられるわけです。
 読まれることは小説にとってすごくよいことだから、英語に翻訳されるということに非常にアドバンテージがあることは間違いない。それを否定するわけではないけれども、この間(かん)、斎藤さんのご活躍もあって、たとえば韓国の小説が多く読めるようになりました。こうして読む機会が増えてみると、こんなに近かったのかと思うことがやっぱりあるんですね。私も、ここ4~5年でたくさんの韓国文学に触れてみて、そう思いました。
 フェミニズムの小説に関して言うと、例えば、最近ではロクサーヌ・ゲイとかチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ、それこそウルフだったり昔から欧米のフェミニズム小説はたくさんあります。でも、こんなに短期間のうちに読者が求めたというのは、特異な例だと思うんです。
 やはり、私たちには歴史や文化の共通点などあるので――もちろん単純に近さが何かを保証したりはしないのですが――ここには欧米のフェミニズムが私たちに伝えたものとは違うフェミニズムみたいなものがあると思うんです。それが何なのかということを、私も今後考えていきたい、それをあらためて感じる機会になりました。今日はお話ができてよかったです。ありがとうございます。

チョ 最後のひとことを言う前に、先ほど川上さんから「主人」という呼称についての話が出ましたが、日本では、女性が彼氏または夫に対して主人という呼び名を使っているということですか。

川上 結婚した相手、夫にですね。相手を直接そう呼ぶのではなくて、外の人間に対して「うちの主人が」とか、「まず主人に聞いてみますね」と言うんです。「ご主人はお元気ですか?」とか。

チョ いまでも、そんな呼び方が使われているんですか。

川上 めっさ使われています。

チョ 先ほど、その話を伺ったあと、ずっと頭がボンヤリと混乱していました。「オッパ」という呼称について語っている場合ではないような気がします。

川上 オッパどころじゃないやろと(笑)。夫のほうも妻を「うちの嫁」とか外に対して言うんですよ。嫁って「家」を基準にした属性ですよ。家父長制が言葉の上でも生き残っているんです。また、妻もそう呼び合うのをステータスに感じていたりしますしね。

チョ ……びっくりしました。ぜひ小説を書いてほしいです。

川上 驚くでしょ。まず言葉からでも変えていきたいですね。

チョ 呼び名の問題を含め、私たちがこれまで当然だと考えて受け止めてきたさまざまなこと、そういった経験や呼び名の問題、それらをもう一度考え直す、私たちが経験したことをみんなで分かち合える機会になったのではないかと思いますし、今後さらにそうなっていってほしいと願います。

斎藤 どうもありがとうございました。私も今後の研究課題がいろいろできて、5本の指に収まらないので、これからもがんばりますと申し上げたいと思います。きょうは長時間、どうもありがとうございました。
(2019.2.19 紀伊國屋ホールにて)

 
 
 

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