海をあげる

アリエルの王国

『裸足で逃げる』の著者・上間陽子さんの連載がはじまります。バナーの写真は、上間さんのいとこが撮影された今帰仁の海、シバンティナです。初回は、辺野古の海に土砂が投入された日について書いていただきました。

 保育園に娘を預けてからひとりで農道を歩いて車に戻り、辺野古に向かう。
 移動しながらいつも思う。富士五湖に土砂が入れられるというならば、吐き気をもよおすようなこの気持ちが伝わるのだろうか? いや、湘南の海ならどうだろうか? 普天間の危険除去といわれる「最良の決定」の内実は、普天間直下の我が家から車で1時間とかからない、37キロ先への辺野古である。それは単に三鷹と東京湾くらいの距離でしかないことを知ってもなお、これは沖縄にとって「最良の決定」だとみんなは思うのだろうか?
 10時に辺野古のゲート前に到着して、ゲートの前に座りこんでスピーチを聞いていると、キャンプ・シュワブのなかの駐車場に車をとめた警察官に、移動するようにマイクで言われる。沖縄のひとが入れないはずの米軍基地のなかに、警察官や機動隊は車をとめる。警察官や機動隊は、基地のフェンスの内側からビデオカメラをまわし、座り込んでいる人びとに移動を促し、命令に従わなければ強制的に連れて行く。それでも今日は、警察官に手や足を捕まえられて強制的に移動させられることはないので、やっぱり土砂が投入されるのだとぼんやり思う。空にはヘリコプターが二機飛んでいて、あれは軍機ではなく報道関係のヘリコプターだから、やっぱり土砂が投入されるのだとまた思う。
 スピーチを聞きながら座りこんでいると、11時過ぎに、「たったいま、海へ、土砂の投入があったようです」という放送が響きわたる。私の眼の前で泣きだしたひとたちの顔と、空を旋回するヘリコプターが交差する。「ひどい」とつぶやいたけれど、本当は声をあげて泣きたいと思う。地上で右往左往している私たちではなく、遠くの空のうえから、たったいま赤く濁ったであろう海を写しているヘリコプターにも苛立つ。今日の報道は、青い海に赤土が投げ入れられる映像一色になるのだろう。
 泣きながら立ち尽くしているひとたちは、よろよろとテント前に移動する。

                  *

 移動してからも、いろいろなひとのスピーチは続く。
 戦争が終わったあと野ざらしにされていた遺骨を掘り出して、遺族に返す活動を続けているガマフヤー(壕を掘るひと)の具志堅隆松さんの話は胸を打つ。

「いま、基地になっているあの場所には、戦後、捕虜をいれる収容所がありました。捕虜になってからも、毎日たくさんのひとが亡くなり続けました。400人の方々がまだあそこ、キャンプ・シュワブのあの土の下に眠っています。新しい基地は、その方々の眠る土の上に、今度はコンクリートをかぶせるというものです。僕はそのひとたちをひとり残らず掘り出して、おうちに帰してあげたいんです」

 戦場をさまよって捕虜となって生き延びたと思ったのもつかのま、飢えて死んで死んだその場に埋められて土のなかで骨になって、それでも家に帰ることができないひとたちがあの土の下に眠っている。そのひとたちの死体の上に、キャンプ・シュワブはつくられて、そして今度は新しい基地の建設が進められている。

2019年4月19日更新

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上間 陽子(うえま ようこ)

上間 陽子

1972年、沖縄県生まれ。普天間基地の近くに住む。1990年代から2014年にかけて東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの支援・調査に携わる。2016年夏、うるま市の元海兵隊員・軍属による殺人事件をきっかけに沖縄の性暴力について書くことを決め、翌年『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)を刊行。沖縄での日々を描いた『海をあげる』(2020、筑摩書房)が、第7回沖縄書店大賞を受賞した。

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