ちくま新書

路地と横丁の都市空間

4月の新刊、加藤政洋『大阪――都市の記憶を掘り起こす』の「序章(一部省略)」を公開いたします。 大阪の中のさまざまな街を歩き、文学作品を読みながら、歴史を掘り起こす本書。 序章では、下水処理場のポンプ室から大阪の「路地」について考察いたします。ぜひお読みください。


†本書の構成

 大阪というところは、なんて、面白いところなんだろう……。 (林芙美子『めし』)

 本書は、この約10年間に大阪の街々を歩きながら感じたこと、考えたことをもとにして、現代都市としての大阪を特徴づける〈場所〉と〈空間〉について、およそ明治期以降の歴史性をふまえて叙述するものである。
 この序章では、近代大阪を根底から特徴づける空間のひとつとして、〈横丁〉を含む
〈路地〉を取り上げてみた。都市のひろがりからすれば、両者はそれぞれ居住/商業にま
つわるミクロな空間であるけれども、以下の章では、こうした街路レヴェルから都市域/
都市圏にいたるまでの空間スケールを往き来しながら、特色ある空間の断片を拾い集めて、都市としての大阪を物語ってみたいとおもう。
 都市の社会や空間に対する筆者の見方は、専攻する人文地理学(とりわけ都市社会地理
学と呼ばれる専門分科)に裏打ちされており、関連する諸概念を本文中で明示的に持ち出
すことはしないけれども、それらが考え方の背景にあることはあらかじめここに記してお
きたい。また、この序章を読んでいただければ明らかなとおり、文人たちの場所感覚や空
間経験など、文学作品の叙述を積極的に引用することで、〈場所〉と〈空間〉を考えるよ
すがとすることも、本書のひとつの方向性である。
 第1章では、大阪の空間構造を知るための第一歩として、旧市街地の南北で対をなす、
ふたつの都市核――梅田(キタ)と難波(ミナミ)――を取り上げる。その成り立ちには
共通する面を持ち合わせながらも、あまりに対照的な性格を有する南北の核は、ともに現
代大阪を象徴する空間だ。このふたつの核を特色づけているのが、地下街の存在である。
地下に埋もれた空間の記憶を呼び戻しつつ、大阪のオルタナティヴな都市誌も素描してみ
たい(第2章)。
 ときに商都と呼ばれる大阪には、同業者ばかりの集まるじつに多様な街々が形成されて
きた。その名の知られる旧来の同業者街から、通称《アメ村》に代表される新しい商業空
間まで、文人たちの場所感覚も踏まえて探訪してみよう(第3章)。
 近代大阪の臨海重工業地帯を「葦の地方」と呼んだのは、詩人の小野十三郎(おのとおざぶろう、1903―1996)であった。第4章のタイトルは、小野の場所感覚にちなんでいる。本文ではふれないけれども、都市の中心から外縁へと土地利用が同心円状に構造化されるという都市社会学のモデルを念頭において叙述する。ここでは、近代日本を代表するアーバンプランナー石川栄耀(1893―1955)独自の同心円モデルも補助線として入れることにしよう。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン周辺の風景も異化されるはずだ。
 1993年にはじめてわたしが大阪を訪れたときから歩きつづけているのが《ミナミ》である。繁華な道頓堀・千日前から、日雇い労働者の街である釜ケ崎、そして遊廓として
の機能と空間をダイレクトに引き継ぐ飛田た新地にいたるまで、場所性の強度を誇る街々がうろこ状に重なりながら連接しているところなど、いくら歩いてもあきることがない。行きつ戻りつして道行きは長くなりそうだが、第5章で紙上漫歩してみるので、ぜひともお付き合いいただきたい。小野十三郎の足どりをたどる終章も、この《ミナミ》の一部が対象となる。
 2018年11月、2025年国際博覧会(万博)の大阪開催が決定した。会場として予定されているのは、大阪湾の人工島「夢洲(ゆめしま)」である。この夢洲の来し方をたどりつつ、第6章では「大阪1990」と題して二十世紀後半における行政的な空間構想を批判的にふりかえる。都市政府による空間計画・開発を現代大阪の都市史にプロットしてみることで、序章から第5章までに取り上げる街に紡がれた物語や場所の意味を別様に浮き彫りにすることができるのではないだろうか。本書にあってはやや硬い文章となっているが、大阪を空間的に解剖してその現在性を測る尺度としていただければ幸いである。なお、「大阪1990」と銘打たれた空間構想を出発点とする一連の事業を取り上げるため、この章のみ年を西暦だけで表記する。

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