ちくま新書

お寺を舞台に社会を救う

後継者不足、寺離れ……、仏教を取り巻く厳しい状況のなか、お寺を社会に開き、人々の生に寄り添おうと活動する仏教者たちの姿があります。本書では、当事者、研究者合わせて8名の著者が、そうしたお寺での様々な社会活動を紹介しています。ここでは、編者の大谷栄一氏による「はじめに」を公開します。

 

†「葬式仏教」という常識

 日本の仏教は「葬式仏教」だからダメだ。そうした言い回しを、今でもよく聞く。『広辞苑』第7版では、この言葉が「現代の仏教を、葬式や先祖の供養をするだけとして、非難の意をこめていう語」と説明されている。ここには、真理や自らの悟りを追求したり、生者を救済することが本来の仏教であり、現代日本の僧侶や寺院は死者に関わってばかりだ、という揶揄や批判のまなざしがある。

 歴史を遡ると、いわゆる「葬式仏教」が成立するのは近世(江戸時代)である。民間寺院の設立、檀那寺と檀家の間の寺請制度と寺檀制度、寺院間の本末制度の成立、先祖祭祀、戒名・位牌・仏壇・墓の定着によって、「葬式仏教」が形成された(岩田重則『日本鎮魂考』青土社、2018)。

 近世に制度化された「葬式仏教」は近代にも継承され、現代に至る。「葬式仏教」という言葉自体が使われるようになるのは、第二次世界大戦後のことである。1963年に圭室諦成『葬式仏教』(大法輪閣)が刊行された。ただし、この本は葬祭を中心とした日本仏教史という内容で、「葬式仏教」を否定しているわけではない。

 では、日本仏教が「葬式仏教」と揶揄され、批判されるようになるのはいつからなのだろうか。じつは、そうした言説はすでに明治時代から見られた。例えば、『明教新誌』という明治時代の仏教新聞には、「葬式屋は宜しく廃すべし」(1766号、1884〔明治17〕年11月20日)、「葬式屋の和尚さんに忠告す」(2090号、1886〔明治19〕年10月4日)という読者からの投稿が掲載されている。これらの投稿では僧侶=葬式屋と捉え、住職は寺を保持し檀家を教導すべきなのに、その任を果たさず、ただ葬式をするだけで事足りている、と批判されている。

 つまり、「葬式仏教」という言葉は使われていなくても、「現代の仏教」への揶揄や批判は130年以上前から現在に至るまで延々と行われてきたのである。

 しかし、本書では日本仏教=「葬式仏教」という常識を真正面から問い直し、社会活動(社会問題の解決や人々の生活の質の維持・向上に寄与する活動)にアクティブに取り組む僧侶や仏教婦人、お寺の姿を紹介する。かといって、日本仏教の「葬式仏教」的な側面を切り捨てようというわけではない。2011年3月11日の東日本大震災の発生に際し、仏教の持つ弔いや死者供養の力が再評価されたように、本書では「葬式仏教」の捉え直しも試みる(第六章、第八章参照)。

 

†寺院を取りまく厳しい現状

 本書では社会活動に取り組む仏教者や寺院を取り上げるが、読者のみなさんにとって、寺とはどのような存在だろうか。葬儀や法要、墓参の場面以外で寺に行ったり、僧侶に会う機会は多いだろうか、少ないだろうか。おそらく、少ないと答える人の方が圧倒的に多いのではないだろうか。現在、寺院の数は7万6946カ寺を数え(『宗教年鑑』平成30年版、2017年12月時点)、コンビニエンスストアの数5万5743店(日本フランチャイズチェーン協会の調査、2018年12月時点)をはるかに凌駕するが、そのプレゼンス(存在感)は小さい。

 現在、寺院を取りまく状況は非常に厳しい。戦後日本の社会変動(地方から都市への人口流出、家制度から核家族への家族形態の変化、地域社会の過疎化、少子高齢化の進行など)によって、寺院の運営は厳しさを増している。寺院を支える社会基盤である寺檀制度の衰退によって、檀家の「寺離れ」が問題化している。また、寺院の経済基盤である葬式と墓についても、葬式をしないで遺体を火葬するだけの「直葬」や、家族だけで葬式を挙げる「家族葬」など、葬儀簡素化の動きが進み、寺院のある故郷から遠く離れて住む檀家が家墓を整理する「墓じまい」によって墓と先祖を継承しない動向も顕著になっている(村上興匡「個人化する葬送」堀江宗正編『現代日本の宗教事情』岩波書店、2018)。

 今後、寺院が存立する地域社会の存続自体が危ぶまれている。2014年5月に発表された「増田レポート」(日本創成会議・人口減少問題検討分科会の報告「成長を続ける二一世紀のために「ストップ少子化・地方元気戦略」」)では、2040年までに全国約1800市町村のうち約半数(896市町村)が消滅する恐れがあると指摘され、日本社会に大きな波紋を投げかけた。

 消滅の可能性があるのは、宗教界と寺院も同様である。

 宗教学者の石井研士は増田レポートのデータをもとに、消滅する可能性がある自治体の宗教法人数を集計し、2040年までに全宗教法人の3分の1以上が消滅すると予測し、そうした宗教法人を「限界宗教法人」と名づけている(「宗教法人と地方の人口減少」『宗務時報』120号、2015)。また、ジャーナリストの鵜飼秀徳が著した『寺院消滅』(日経BP社、2015)でも、全国の約7万7000カ寺のうち、3割から4割の寺院が消滅する可能性が指摘されている。

 すでに、その予兆はある。『朝日新聞』が主要10宗派(天台宗・高野山真言宗・真言宗智山派・真言宗豊山派・浄土宗・浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・臨済宗妙心寺派・曹洞宗・日蓮宗)を対象に、常駐する住職のいない無住や兼務の寺院の数を調査したところ(日蓮宗は無回答)、その数は1万2000カ寺を数えた。これは調査対象全体の一六%を数える割合である(「文化漂流 揺れる寺社」2015年10月11日)。今後、この割合はさらに高まり、寺院の統合や廃寺という選択肢も増えるだろう。

 このように「寺離れ」や「墓じまい」が進み、「寺院消滅」の可能性が見込まれている現状に、寺院は置かれている。

 

†2000年代以降の仏教のプレゼンスの再浮上

 その一方、日本社会で仏教のプレゼンスが再浮上した動向も見られる。

「2000年以降、日本の仏教界には大きなうねりが起こっている」。こう述べる現代仏教研究者の小川有閑は、「発信系」(情報発信)と「実践系」(社会活動)という二つの動向を紹介している(「僧侶による“脱”社会活動」西村明編『隠される宗教、顕れる宗教』岩波書店、2018)。

 発信系として小川が挙げるのが、2003年開設のインターネット寺院「彼岸寺」(発案者は浄土真宗本願寺派の僧侶・松本紹圭)、2009年創刊のフリーペーパー『フリースタイルな僧侶たち』(本書第三章執筆者の池口龍法が創刊者の一人)、寺社フェス「向源」(天台宗僧侶の友光雅臣によって2011年開始)、お坊さんが答えるQ&Aサイト「hasunoha」(2012年開設)、「お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺」(テレビ朝日系列で放送。2014〜17年)である。

 また、実践系(僧侶たちによる社会問題解決のための具体的な行動)として、東京浅草で路上生活者支援をする「社会慈業委員会・ひとさじの会」(浄土宗僧侶・吉水岳彦と原〔現:岡本〕尚午によって2009年発足。現在の代表者は高瀬顕功)、本書第二章で紹介される「おてらおやつクラブ」(2014年開始)、東日本大震災をきっかけとして2012年に東北大学大学院文学研究科宗教学実践寄附講座で養成が始まった臨床宗教師が挙げられている。なお、実践系のリストには、小川が当事者としても関わっている2007年結成の「自死・自殺に向き合う僧侶の会」(発足当初は「自殺対策に取り組む僧侶の会」)や、本書第七章のおうみ米一升運動(2010年開始)も加えることができるであろう。

 発信系の試みは、いわば、公共圏(市民が対等な立場で議論を交わし、意見形成を行う公共の議論の空間)への積極的な関与であり、実践系は公共空間での社会活動として位置づけることができるだろう。つまり、両者とも公共空間にアクティブに参与する「日本仏教の公共的機能」(島薗進「現代日本の宗教と公共性」島薗・磯前順一編『宗教と公共空間』東京大学出版会、2014)が発揮された動向なのである。

 こう述べると、宗教や仏教は個人の内面やこころの問題であり、社会の公的領域に関わるべきではない、と異を唱える人もいるかもしれない。しかし、本書ではそうした「常識」をも問い直し、私的領域/公的領域の区分、「宗教(仏教)と社会」の関係も再考したい。

 じつは、仏教者や仏教団体が公共空間に主体的・能動的に関わる社会参加は、すでに戦前から見られる動向である。例えば、明治から昭和前期までの仏教者による医療・福祉活動の歴史をまとめた近代仏教研究者の中西直樹は、「近代以降、仏教者が医療救護の面で果たしてきた役割は、従来考えられている以上に大きなものであった」と指摘している(『仏教と医療・福祉の近代史』法藏館、2004)。社会福祉制度が未発達だった戦前期、国家の福祉政策を補完したのが、他ならぬ仏教界(を含む宗教界)であり、そのプレゼンスは大きかった。戦後は福祉国家体制の整備と政教分離の原則によって、プレゼンスは低下したが、戦前の仏教界は公共的機能を大いに発揮したのである(ただし、戦争協力のような公共的役割も担った)。

 なお、現在の『中央公論』の前身が浄土真宗本願寺派の仏教青年たちによって1887(明治20)年に創刊された『反省会雑誌』であるように、仏教界のメディア活用は明治初期から積極的になされた。戦前から戦後にかけて、新聞・雑誌、本、ラジオ、レコード、テレビなど、その時代の最新テクノロジーを駆使して、情報発信が行われた。戦前は、仏教系知識人の発言が公共圏で影響力を持った時期もあった。

 こうした「日本仏教の公共的機能」がふたたび活性化したのが、2000年代以降である。日本の仏教界の大きなうねりとは、日本の公共空間における仏教のプレゼンスの再浮上を意味する。本書で取り上げる諸活動は、こうした歴史的変遷の中に位置づけることができる。

 

†本書に登場する「お寺の社会活動」

 本書で紹介する諸活動とその活動母体は、以下の通りである。貧困問題や被災地支援に取り組む特定非営利活動法人おてらおやつクラブ(第二章)と滋賀教区浄土宗青年会のおうみ米一升運動(第七章)、アイドル「てら*ぱるむす」をプロデュースする龍岸寺(第三章)、子育て支援をする正福寺サラナ親子教室(第四章)、ビハーラで病院ボランティア活動を行う広島県北仏婦ビハーラ活動の会(第五章)、グリーフケア(悲嘆ケア)に携わるいのち臨床仏教者の会(第六章)、「日本一若者が集まる寺」と評され、これまでアートセンターの役割を果たし、新たに「おてら終活プロジェクト」を立ち上げた應典院(第八章)。

 これらの諸寺院・諸団体によるバラエティに富んだ活動を、(第五章以外は)活動の当事者たちによって報告いただく(編者の大谷と第五章担当の猪瀬優理は非当事者の研究者。第六章担当の大河内大博と第七章担当の曽田俊弘は当事者であり、研究者)。

 なお、滋賀教区浄土宗青年会(滋賀浄青)と正福寺は滋賀にあり、龍岸寺は京都、應典院は大阪にある。いずれも浄土宗寺院である。おてらおやつクラブ代表理事の松島靖朗は奈良県の浄土宗寺院・安養寺の住職、いのち臨床仏教者の会の副代表を務める大河内大博は大阪の浄土宗寺院・願生寺の住職である。広島県北仏婦ビハーラ活動の会は浄土真宗本願寺派の仏教婦人会を基盤とし、広島県三次市を中心に活動している。

 すなわち、本書で紹介する寺院や団体は、関西圏と中国地方にある浄土教系教団の所属寺院や浄土教系教団を母体とした団体である(ちなみに、大谷が勤務する佛教大学は浄土宗、猪瀬の所属する龍谷大学は浄土真宗本願寺派を設立母体とする京都所在の浄土教系大学)。ただし、おてらおやつクラブやいのち臨床仏教者の会は宗派を超えた通宗派の僧侶の集まりであり、滋賀浄青とおてらおやつクラブは地域を超えたトランスローカルな活動を展開している。

 仏教者やお寺の社会活動については、これまでにも上田紀行『がんばれ仏教!』(NHKブックス、2004)や磯村健太郎『ルポ仏教、貧困・自殺に挑む』(岩波書店、2011)で論じられてきた(前者で應典院が、後者でおうみ米一升運動が紹介されている)。本書は日々、精力的な活動を実践している当事者が自らの体験と活動を語る点に大きな特徴があり、当事者と研究者のコラボレーションによって編み上げられている。

 本書はこれら二冊の貴重なドキュメントを踏まえつつ、「お寺の社会活動の最前線」を紹介する。これらの取り組みはいずれもとても魅力的であり、現代社会の抱える問題点や課題に鋭い問題を提起している。その意味で、本書は刺激的な現代仏教論であると同時に、批判的な現代社会論でもある。読者のみなさんのご叱正・ご意見を仰ぎたい。

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