ちくま文庫

昭和史にささる棘
保阪正康著『五・一五事件 橘孝三郎と愛郷塾の軌跡』解説

橘孝三郎の出身地・茨城で執筆活動を続ける評論家が読み解く

 保阪正康氏は昭和史を中心に、近代日本史のさまざまな局面を描いてきた。当事者の証言などをも得ながら、いわば関係者の心の内側まで掘り下げる手法にはいつも感服するが、本書はそんな氏の初期の代表作のひとつだ。本書の中心となっているのは、水戸に生まれた農本主義者の橘孝三郎である。
 水戸人、という言葉がある。現在の茨城県水戸市の市民というより、旧水戸藩領の気風を残す人というニュアンスが強い。その水戸人の心にささった棘のような事件が二つある。
 ひとつは幕末に起きた桜田門外の変であり、もうひとつは昭和八年の五・一五事件。いずれも水戸人が起こしたとみなされた事件であり、ある種の論理性に出発しながら次第に行動が過激化して要人暗殺という事態に至り、時代の転換点となった。しかもそうして訪れた新しい局面は、彼ら自身が望んでいたものとは異なっていることも、二つの事件に共通している。
 五・一五事件を主導したのは一部の海軍将校だったが、橘孝三郎は農本思想家としての知名度や著作のせいもあって首謀者と目された。裁判では犬養毅首相を射殺した青年将校が禁錮十五年とされたのに対して、橘孝三郎は無期懲役の判決を受けている(昭和十五年に恩赦)。そんな橘孝三郎に対する水戸人の気持ちは複雑だ。私は子供の頃、一度だけ橘孝三郎を見たことがある。曾祖父の法事で見かけたその人を指して、父は「あれが橘先だ」と教えてくれた。しかし当時の私はその人を知らず、姿もよく記憶していない。それでも、敬うような畏れるような忌むような父の口調だけは今もよく覚えている。
 孝三郎は生まれながらの農民ではなかった。それが彼を古くからの農村共同体の秩序を守るのではなく、理想主義的な農本思想―ベルグソン流にいえばエラン・ビタル(生命の跳躍)へと向かわせたのかもしれない。水戸市内の富裕な商家に生まれた彼は、旧制水戸中学から東京の第一高等学校に進学。哲学を志し、当時のインテリ学生らしくデカルト、カント、ショーペンハウエルを耽読し、やがてウィリアム・ジェームスやベルグソンに傾倒することになる。またトルストイにも感銘を受けた。哲学的な懊悩から学業半ばで帰郷した孝三郎が農業をはじめたのは、生活のためではなく、トルストイ流の理想的な人間主義の思想を実践したいという思いからだった。
「人はパンのみにて生きるにあらず」という時、人はしばしば土を耕すことの尊さを忘れ
る。農村で生きるということは、ただ食うために働くだけではなく、人間の根幹を支える
最も大切な、本来の務めを果たしているのだという誇りと思想をもって生きることである
はずだ。そう考える孝三郎は、農村生活に文化や芸術を持ち込みもした。彼の初期の活動
は、武者小路実篤の「新しい村」とならび称されることもあった。
 彼のもとには、篤農家や向上心のある農村青年が集まってくるようになる。孝三郎の側は、理論はさておき実践的な農業には不慣れだったために彼らから学ぶことも多く、両者
の互助的関係から次第に愛郷会の組織が立ち上がってくる。
 保阪氏は多くの関係者に取材し、また膨大な資料を駆使して、当時の社会情勢、軍部の
動向、労働運動、農村が置かれていた実情、井上日召が指導した血盟団の動向など、五・
一五事件に至る背景と事件の全容を描き出している。なかでも重要なのは、橘孝三郎本人
に対する長時間に及ぶインタビューだろう。著者は五・一五事件に対する評価はさておき、橘孝三郎の「人間」に惹かれ、畏敬の念すら覚えると告白している。これは私も、孝三郎と直接接したことのある水戸人からしばしば耳にした言葉だ。
 事件発生後の裁判で、実行犯だった塾生たちは、事件参加は塾生の意思であり、橘塾長はむしろ塾生に引っ張られたのだと盛んに陳述した。弁護士は、この事件の主体は一部海軍将校であり、あくまで軍人主導、民間側幇助を唱えようとした(そしてそれは事実だった)が、孝三郎は頑なに自分の責任だとした。法廷テクニックを考慮しない姿勢もまた、
彼の人間性をよくあらわしているだろう。
 保阪氏は三島由紀夫の死に衝撃を受けて、昭和八年に起きた「死なう団事件」を調べることになるのだが、そんな氏にとって、橘孝三郎と愛郷塾の関係は、三島と盾の会のそれに似たところがあったのかもしれない。志を同じくする者たちが集まり、気持ちが純化してゆくうちに、思わぬ地点にまで踏み出してしまう。そこには宗教的な香りさえ漂う。
実際、本書でもしばしば繰り返し述べられているように、孝三郎はクリスチャンではなかったものの、その思想にはキリスト教的な理想主義が感じられる。あるいはロマン主義
的といってもいいのかもしれない。

めざめよ みたまに かへれよ 土に
われらがよるべ われらがしるべ
わがふるさと わがふるさと

 橘孝三郎による「愛郷道歌」はまるで讃美歌のようだ。
 平穏な日常の努力を重んじ、農村改良運動でも政治運動は有害無益だとする純粋主義の立場を取った彼の思想は、周囲には時に微温的で迂遠と見えこそすれ、決して革命的とは映らなかったはずだ。孝三郎は末端での労使対立よりも都市と農村にみられる構造的搾取に注目し、農村に暮らす弱小地主と小作人は協力して都市の大資本に対抗すべきだと考えていた。選挙制度にも批判的だったが、民主制に反対してのことではなく、党派を立てて選挙で争う対立的手段は民意を汲み取るのに適さず、国民の代表も人物本位で選ばれるべきだと考えてのことだった。唯物論に対する彼の距離感も、それが経済効率優先の思想である点では資本主義と変わらないことに由来していた。彼本来の思想は、ある意味で究極の平和主義、対話主義であって、ファッショではなかったのだが、混同される要素はあっただろう。
 それでも五・一五事件で愛郷塾のメンバーが直接手を染めたのは、東京に送電している変電所を爆破するという行為だけだった。これは事件への参加を求められた孝三郎の側から提案した作戦である。海軍将校側からは新聞社や放送局の襲撃を求められたが、孝三郎は変電所に固執した。あるいはそれは、事件計画に関わってしまった彼に出来るぎりぎりの平和的選択だったのかもしれない。
 本書のなかで橘孝三郎は「そうだ、東京を暗くするんだ。二時間か三時間、暗くするのだ。そうすれば人びとは考えるかもしれん。〝自分たちが当たり前と思っていることが、
実は当たり前ではない〟ということを考えるかもしれん」と語っている。あまりにナイー
ブな発想に啞然とするが、それだけにこの人物の人柄がますます気になる。なお、この頃
の疲弊した地方都市では電気を止められている家も少なくなく、文字通り街の灯が消えて
いたし、まだ電気を引いていない農家さえあった。そんな現実が農村にはあったのである。
 孝三郎の発想は、そんな困窮生活者の心情に寄り添うものであったことも考えねばならないと思う。もちろんそれは彼が正しかったことを意味はしない。それでも情緒において何か感ずる人は今も少なくないだろう。
 変電所爆破で思い出す最近の物語がある。二〇一六年に公開されて大ヒットした新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』だ。山間部の町に彗星の破片が落下する危機が迫っていることを知った高校生たちは、町中の明かりを消して住民たちに危急の事態を知らせようとする。彼らのお陰で人命は救われるのだが、けっきょく町は落下時の衝撃で破壊されたまま衰亡してしまう。それが美しくとも過疎が進んだ地域の運命なのかもしれない。ちなみに主人公の名前は立花瀧だ。
 知的にも人間的にも優れた人物でも、時代の行き詰まりと、置かれた立場によっては、蛮行に踏み出してしまうことがあるのだと、本書は教えてくれる。これは経済格差拡大や地域格差、さらには老朽化が進むインフラや国際競争力の低下など、多くの問題を抱えて先行きに不安のある現代日本を生きる私たちにとっても、しっかり嚙み締め、肝に銘じなければならない教訓だ。

関連書籍

正康, 保阪

五・一五事件 (ちくま文庫)

筑摩書房

¥1,078

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入