海をあげる

ふたりの花泥棒

 私は祖父母と暮らしたことがある。
 私の妹は小学校1年生のときに難しい病気になってしまい、意識がなくなり病気が発覚したときには、生存可能性が数パーセントしかない手術しか選択肢は残されていなかった。
 緊急で始まった12時間の手術が終わり見通しの立たない長期入院が決まったとき、母は迷わず病院に寝泊まりして妹に付き添うことを決めた。
 大人がひとりの私の家では、小学生の私の面倒をみる大人が必要になって、祖父と祖母のふたりが一緒に暮らすことになった。
 祖父は静かなひとだった。よく手入れされたお庭がみえる書斎で本を読んだり、ものを書いたりするのが大好きで、毎日同じことを繰り返すことをこよなく愛していた。 
 祖母は花が好きなひとだった。見たことがない花が咲いていると、ひとの家だろうと公園だろうと、迷わず花を持ち帰り家に飾った。母や叔母は、「ひとの花を取るのは泥棒だよ」と祖母のことをたしなめたけれど、祖母は「たくさん咲いていたのに」と言いはり、花泥棒はなにか自然の摂理であるかのように話していた。
 私の祖父と祖母は生まれたときからほとんどずっと、今帰仁村(なきじんそん)という海に囲まれた、お城の跡のある小さな村で暮らしてきた。広い庭のある古い家はいつも手入れをされていて、家の裏には隠し部屋のような小さな部屋まであった。コザのような賑やかな街の小さなお家で暮らすことは、ふたりにとって想像もつかないことだったと思う。私の家に荷物を運び入れると、「外が見えないから息が詰まりそう」と祖母は言って、家中の窓を開け放し、それから息を吸い込んだ。
 これから毎日、母は病院から仕事場に行き、仕事が終わったら家に立ち寄ってから病院に行き、妹と一緒に眠る。私は祖父母のいる家から学校に行き、妹の病院に立ち寄ってから祖父母のいる家に帰り、祖父母と一緒に眠る。

                   *

 私と一緒に暮らしはじめても、祖父の生活のルールはあまり変わらなかった。祖父は朝起きると近所を散歩してそれからお庭の手入れをしてご飯を食べると、妹が入院している病院までバスで行って、夕方に母とバトンタッチすると家に帰ってきた。
 祖父と暮らすようになってから、うちの庭はきれいになった。青々とした芝生に雑草はひとつもなく、夏のころには桃色のツツジの花びらが、冬のころには真紅の椿の花が、たぶんまだきれいに色づいているからという理由で、岩の上にお行儀よく並べられていた。
私の祖母は黙っていると愛らしくみえるひとだったけど、黙っていることはほとんどなく、話すことはひとを咎める言葉ばかりで、一緒に暮らしている3年間で私は祖母のことを憎いと思うようになった。
 部屋を散らかしていると、「汚くして! ゴミだらけ!」と祖母は怒鳴り、掃除をしてゴミを捨てようとしたら、「ゴミがたまるまで汚くして!」と祖母は怒鳴った。暗くなって宿題を始めたら、「こんなに遅くまで宿題をして!」と祖母は怒鳴り、明るいうちに宿題を始めたら、「自分のことばっかりして!」と祖母は怒鳴った。
 理屈がくるくる変わることを理不尽ということを知ってからは、私は毎日、祖母に理不尽なことで怒鳴られているのだと気がついた。祖母に理不尽なことで怒鳴られた1日の回数を調べてみようと思いたち、自分の部屋に行く途中の階段の壁に二重丸を書いて調べてみたら、1日目には二重丸は7個になり、2日目には8個になり、3日目には7個になった。
 毎日こうだと生きるのが嫌になる。私は祖母の声を聞くのも嫌だった。
 ある日、押入れのなかにこもるのはどうかと思いつき、自分の部屋の押入れのなかを空っぽにして、卓上ライトを設置して本が読める小部屋にした。小さなろうそくとお菓子を持ち込んだら、そこはなかなか快適な隠れ部屋になった。
 とりあえず、おばあちゃんに理不尽なことを言われたらここに隠れる。あんまり理不尽だったら、私はここに隠れてずっと出てこないことにする。

                   *

 子ども心に、祖父がどうして祖母を嫌いにならないか不思議だった。孫に対して理不尽なことを言う祖母は、祖父に対しても理不尽なことを言うひとだった。
「ねえ、おじいちゃんっておばあちゃんのこと、どうして嫌いにならないのかな?」と母に尋ねると、母に、「あのね、おじいちゃんはおばあちゃんのこと、大好きだよ」と言われて、本当にびっくりした。
「おばあちゃんって、ほら、一人娘のお嬢さまだったでしょ? 畑仕事もしたことのないひとだったのに一生懸命覚えてくれて、安月給のなかで子どもたちを育て上げて、あのひとは本当に素晴らしいひとだっておじいちゃんは思っているんだよ」
 おばあちゃんの子ども時代のお嬢さまぶりは、せいぜい毎日鶏の卵を食べていたという程度なのだけど、おじいちゃんがおばあちゃんを大切にしているのは本当だった。
 祖父の散歩に付き合って近所の野原を歩いているとき、野生の野ばらをみつけたことがある。祖父は痛い痛いと言いながらトゲだらけのその花を摘んで、家に帰るとそれを祖母にプレゼントした。祖母は家の中にそれを飾ったあとで庭の片隅に挿し木した。
 私の育った家のお庭は、そうした草花がたくさんある。考えてみたら、私の祖父母はふたりとも花泥棒だった。

2019年5月17日更新

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上間 陽子(うえま ようこ)

上間 陽子

1972年、沖縄県生まれ。普天間基地の近くに住む。1990年代から2014年にかけて東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの支援・調査に携わる。2016年夏、うるま市の元海兵隊員・軍属による殺人事件をきっかけに沖縄の性暴力について書くことを決め、翌年『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)を刊行。調査対象者に原稿を実際に読んでもらう「読み合わせ」からはじまった本書は、沖縄のいまを伝える作品として大きな反響を呼んだ。現在は若年出産女性の調査を続けている。

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