海をあげる

ふたりの花泥棒

 3年間で再発を繰り返し、最後の手術はもう手の施しようがないほど悪い症状のなかで、妹は静かに息をひきとった。
 妹を守り続けた3年間の生活が終わって、祖父母は自分たちの家に帰ることになった。今帰仁村に帰る前日、祖父は新しく仏壇の設置された部屋に母と私を座らせて、「きみたちはふたりでがんばれるか?」と尋ねた。母がなんと言ったかは覚えていない。私は祖父と離れるのは寂しかったけれど、祖母と暮らさないでいいのだと思うと心の底から嬉しかった。ヤッホー、私はもう押入れに隠れなくてもいい。私はもう、おばあちゃんの怒鳴り声を聞かなくてもいい。

                   *

 妹が亡くなってから、祖父と祖母はふたりで一緒にあちらこちら旅行に出かけるようになった。戦争中に祖父が教師をしていた台湾に旅行に行ったときには、祖父の教え子たちが集まって花火を次々とうちあげ、祖父は歌を詠んだと帰国後聞いた。

 君をともないて青春の夢、ふたたびたずねる

「君って、だれ?」と母に尋ねると、「君っていうのは、想いびと、恋人のこと」と母が言った。「恋人っておばあちゃん?」と聞くと、「おじいちゃんはロマンチストだね」と母は笑い、私は「おじいちゃんは物好きだ」とびっくりした。
 祖父は肝臓がんで亡くなった。私が東京に行くことが決まったころ、祖父の身体からがんがみつかり、もう末期で手の施しようがないとのことだった。半年もつかもたないかわからないと医師たちは話したらしいけれど、母や叔母たちは、ふたりには何も話さないと最初から決めていた。
「おばあちゃんは隠すことができないひとだから、きっと泣いたり落ち込んだりして、おじいちゃんがつらいと思う」と、母は私にそう言った。「おばあちゃんはわかるけど、おじいちゃんに話さないのはどうかと思う」と私が言うと、「みんなで決めたことだから」と母は言った。でもね、と母は続けて言う。
「もしも私の余命が宣告されたら、1カ月前でも、あと1日しか余命がないっていうときにも、教えてちょうだい。死ぬ1日前でも、やらないといけないことがあるからね。そのときは、あなたが私に伝えるって決めないといけないんだよ」
 母が、死ぬ1日前であってもやらないといけないと思っていることがなんなのか、私はいまでもわからない。でもそういう日が来たら、母に残されている時間をきちんと教えて、動揺する母がどんなに泣いてもわめいても、私はずっとそばにいる。私もまた、会えなくなってしまう母と語りたいことが残っている。

                   *

 東京に行くまでの1週間、祖父の病室に2回泊まった。黄疸が全身にひろがって、それがひどく痒いと話していたのだけど、昼間はまだ来客も多く、少しは気が紛れているようだった。
 夜中にふと目覚めると、暗闇のなかで祖父がカリカリカリと皮膚を搔く音が聞こえてきた。「おじいちゃん、眠れない?」と尋ねると、祖父は「うるさかったかなぁ」とすまなそうに言った。「蒸しタオルで身体を拭くと、痒みがおさまるかもしれないから用意するね」と言うと、「悪いなぁ」と言った。私は蒸しタオルをふたつつくって、それから祖父の背中をタオルで拭いた。背中を拭きおわると、「本当にありがとう」と言って、祖父はすっと眠った。たぶんいつものおじいちゃんだったら断るだろう。でも、今夜は身体が本当に辛いから、私のお願いを拒まなかったのだろう。これから何度も、今夜のことを思い出すんだろうなと思いながら、私はもう一度眠りに落ちる。
 東京に行く前日に、祖父の病院を訪れた。「明日から東京に行くよ」というと、祖父は「夏休みにまたいらっしゃい」といった。別れ際、病棟のナースステーションの前で、「本当にありがとう。しっかりおやりなさい」と祖父は私の顔をじっとみながらそう言って、いつまでもそこに立っていた。おじいちゃん、もしかしたらこれでもうさようならかもしれない。どこにいても、必ずここに帰ってくるからね。

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