海をあげる

ふたりの花泥棒

 祖父が亡くなったのはそれから2カ月もたたない初夏のころだ。東京で連絡を受けて、朝一の便で沖縄に帰ってきて、まっすぐ祖父の病院に行った。祖父はガリガリに瘦せていて、意識はもうないとみんなは話した。なんどもなんども「おとうさん? おとうさん?」と祖母が声をかけるなかで、祖父は大きく息を吸って、それからすっと亡くなった。
 お葬式は、村の火葬場で行った。火葬をしているあいだじゅう、畳部屋の折りたたみ椅子に座る祖母の右手を花おばあちゃんが、祖母の左手をとしおばあちゃんが握っていた。小さなころから祖母の友だちだというふたりは、祖母のことを「しずちゃんしずちゃん」と呼んでいた。ふたりにぎゅっと挟まれて、祖母は涙を流しながら頷いて、何かを小声で話していた。
 参列者が1000人近くいたので、お葬式はとても長かった。午後に始まったお葬式が終わったのは夕方だった。お葬式が終わると20名近くの親族でお墓に行って、祖父の骨をお墓におさめ、黒い袈裟を着たお坊さんは、お墓の前でその日2回目のお経をあげた。
 私たちのお墓は、海にむかってひらかれた場所にある。これから毎日、おじいちゃんは波の音を聞きながら過ごすんだ、ここは本当にオーシャンビューだと思っていると、お墓から地続きの砂浜にむかって、祖母や叔母たちがぞろぞろと歩きはじめた。
 これからみんなで海に入ると叔母のひとりが私に言うので、私はもう、なんだかわけがわからない。お坊さんは、「シマの風習です。仏教では認めていないのですが、これはこれでいいんです。生きているひとたちが穏やかな気持ちになるために宗教はあるのです」と言った。
 祖母、母、叔母、それから孫もみんなそろって海に入り、膝まで海の水に浸る。
 海に入った祖母は、遠く離れた海の彼方を指しながら、「お父さんは、あそこに行ったんだね」と言った。叔母のひとりは、「あそこで私たちをみてくれているんだね」と言った。母もまた「お父さんはあそこでみていてくれるよ」と続けて言った。
 祖母が指し示した方角は、淡い緑と青が交差する海の彼方の水平線のところにある。死んだひとはみんなそこで暮らしていて、生きているひとが元気で過ごせるように願っていると、叔母のひとりがみんなに話す。
「お母さん、あそこっていうのは、天国みたいな場所のことだよね?」と聞くと、「そうだよ。あそこは、ニライカナイだよ。死んだひとはニライカナイに行くという伝説があるよ。おじいちゃんは、そろそろゆりに会えたかね?」と母は言う。そばにいる叔母たちは、「おじいちゃんは水泳が得意だったから、もうそろそろ合流したはずよ」「ゆりはいまごろ、自分が死んだあとどんなことがあったのか、おじいちゃんを質問攻めにしているよ」「あそこでは、ゆりのほうが先輩だから、おじいちゃんにいろいろ教えているはずよ」と次々話す。
 小さいままで死んでしまった妹が、祖父になにかを教えている姿を想像して、母も私もふふふと笑う。死んだらみんなあそこに行って、それから懐かしい話をするらしい。
 海から砂浜にあがるときに、祖母は「まっとうけよ(待っていてくださいね)」と海の彼方に声をかけた。
 待っていてくださいという言葉は、しばらくはあちらで暮らすことになった祖父への言葉なのだろう。
 おばあちゃんのどこに、こんな優しい声が隠れていたのだろうと私は不思議に思う。妹の命が消えないように暮らしていた3年間、慣れない暮らしのなかで、私と同じように祖母もまた必死に日々を送っていたのかもしれない。祖父がいなくなってから、私は初めて祖母の声を聞く。
 たぶん、いつかはおばあちゃんが死んで、それから次にお母さんが死ぬ。死んだらみんなあそこに行く。いまもおじいちゃんは海にいる。私の妹も海にいる。私たちはいつか順番にあそこに行く。そのときまではここで頑張って、そしてすべてが終わったら、海の彼方にえいっと泳ぐ。