短短小説

ちくま文庫のロング&ベストセラー『うれしい悲鳴をあげてくれ』の著者であり、作詞家・音楽プロデューサーのいしわたり淳治による書き下ろし超短編小説の連載企画!!

 ──ぴっぴっぴぴぴ。
 遅く起きた日曜日の朝。開け放たれたベッドルームの窓から小鳥の声が聞こえた。顔に当たる陽射しの温かさで、目を閉じたままでも今日がどれだけいい天気かが分かる。
 寝惚けたまま広いベッドの上で手をすべらせた。どこまで行っても彼女の姿はなく、微かな温もりが残っているだけだった。キッチンの方から陽気な鼻歌に混じって、カチャカチャと食器のぶつかる音が聞こえる。早く起きた彼女が朝食を作っているのだろう。
 それにしても昨日のケンカはひどかった。もう別れようと思ったのだが、陽気な鼻歌を聞く限り、どうやら彼女にその気はないようだ。

「ふざけんなよ! なんだよ、このダサいカーテンは」
「ダサい? かわいいじゃない!」
 昨晩、仕事から帰ると、リビングのカーテンがド派手なピンクの花柄に替えられていた。
「勝手に替えるなよ! ここはおれの家でもあるんだから! 落ち着かないだろ、こんなカーテンじゃあ」
「あなたのセンスに任せていたら、部屋が真っ黒になっちゃう!」
「そのほうがクールで格好いいだろ!」
 同棲を始めて気づいたのだが、互いのインテリアの趣味は正反対だった。無骨で無機質なデザインが好みだったのだが、彼女が持ち込んだ家具はすべてぶりぶりの少女趣味だった。間を取る形で仕方なく互いの家具を混在させているが、言うまでもなく居心地は最悪で、その空間に居るだけで互いに苛々が積もって些細なことでケンカが始まってしまう、という悪循環が生まれていた。インテリアについてはこれまで何度も話し合ったが、互いに拘りが強すぎて、議論は平行線を辿るばかりでどうにもならなかった。
「なあ、どう考えてもおかしいだろ? 黒革のソファの脇にド派手なピンクの花柄は」
「おかしいわよ。だからソファも替えるの。見て。かわいいのを見つけたの」
 彼女が笑顔でタブレットの画面に指をすべらせて、通販サイトのページを開いた。画面にハートの形をした真っ赤な二人掛けソファが映し出された。
「はあ? 絶対こんなもん置かせないからな!」
「ここは私の家でもあるのよ? こんな薄暗い部屋にいたら鬱になっちゃう!」
「ちょっとは鬱になって大人しくなってくれた方がいいけどな!」
「私がうるさい? 目に入るもの全部に、いちいち文句つけて来るのはそっちでしょ!」
「ああ、もう、きーきーきーきー、うるせえなあ」
「あなたが怒らせるからでしょ!」
 彼女がソファの上にあったクッションを床に投げつけた。
 ダイニングテーブルの上に昨日までは家になかったはずのキャラクターものの食器が見えた。夕食が盛られてラップが掛けられている。
「おい、なんだよ。その子供っぽい皿は」……
「今日買ったのよ。かわいいでしょ?」
「なあ。おれは三十歳過ぎのおっさんだぞ? こんな皿で食えるかよ」
「食べられるわよ。あなたが持って来た地味な皿に盛ったって、味は一緒なんだから」
「味が一緒なら、今すぐ皿を替えろよ」
「味は一緒だから、そのお皿でいいじゃない」
 毎晩、仕事で疲れて帰って来て、こんな調子でケンカが始まる。もういい加減にしてくれ。深い溜め息がこぼれた。
「なあ……。話があるんだ。もう俺たち……」
 別れ話を切り出そうとした、その瞬間だった。
 ──ぶぶぶぶる。
 ソファの上に置かれていた彼女のスマホが震えた。見ると、画面に知らない男の名前と一行のメッセージが表示されている。
〝いま何してる? 会いたい〟
 一瞬、時間が止まった。彼女は何気なくスマホを取り上げ、メールも開かずにポケットに仕舞った。
「おい、待て待て待て。何だよ、今の」
「何が?」
「今のメール。誰からだよ」
「さあ? 迷惑メールじゃない?」
「じゃあ見せてみろよ」
「何で?」
「何でって、何だよ。お前、何か隠してるだろ。男の名前だったぞ」
「そんなことないわよ。見間違いよ」
「見間違いかどうか、見せてみろよ」
「何で見せなきゃならないのよ。親しき仲にも礼儀有りでしょ? そんなことよりソファ、ソファ。ねえ、それとも、これとかどう?」
 今度はアンティーク風の安っぽい猫脚ソファが映し出された。さっきのハート型よりはまだマシだが、相変わらず少女趣味がひどい。どこがいいのかまったく理解出来ない。
「かわいくない? マリー・アントワネットって感じで」
「ああ。お前によくお似合いだよ。マリー・アントワネットも、かなりの浮気性だったらしいしな」
「何よ、その言い方! 私を一方的に悪者扱いして!」
「見たんだよ。お前が先週、男と青山通りを歩いてるの」
「……えっ?」
「あの男からなんだろ、さっきのメール」
「何を言ってるの? 人違い。あなたの見間違いよ。目が悪くなったんじゃない?」
「目はいいよ。さっきの文面もはっきり読めたしな」
「っていうか私、青山なんて行ってないし!」
「お前、いつも青山のサロンで髪切ってるって言ってなかった? あの日、髪型が変わってたのは、男とのデートする前に青山で髪を切ったからだろう?」
「何よ、探偵気取り? ひどい。私のこと何も信用してないのね!」
「仕方ないだろ。この目ではっきり見たんだよ」
「見間違いだってば! あなたは何も見てない!」
「じゃあ、青山に行ってないなら、あの日、どこで髪切ったんだよ」
「髪は……切ってないわ! 髪なんて、切ってないわよ。あなた、私のことなんか何も見てないのね」
「よーく見てるよ。髪を切っても気づかないって文句を言う女はいても、まさか髪型を変えたことに気づいたっていう文句を言う女がいるとはなあ」
「あなたは目が悪いの! 何も見てないの!」
 彼女がヒステリックに叫びながら、ダイニングテーブルの上の皿を?んで壁に投げつけた。
「やめろ! やめろ!」
 暴れ出した彼女を押さえ込もうとしたが、壁には穴が開き、カーテンは引き千切られ、仕舞いにはキッチンから持ち出した包丁でソファはずたずたになった。振り回した包丁が当たって出血して、だんだん意識が遠退いて行った。そこから先はほとんど記憶がない。

「ダーリン。起きた? おはよう。ふふっ。今日はいい天気だよ」
 寝室のドアが開く音がして、彼女の明るい声が聞こえた。
「ああ、おはよう」
「朝ご飯作ったのよ。一緒に食べましょう」
「うん、ありがとう」
 体を起こそうとした瞬間、頭に激痛が走ってうずくまった。
「もう。ダーリン。何やってるのよー。はい、せーの」
 彼女がやさしく両手を?んで体を引き上げた。
「痛たたた」
「はーい。ダーリン。歩いて下さーい。さあ、朝ですよー」
 重い体を引きずって、彼女に手を引かれるままに廊下を歩いた。
「はい、ダイニングに到着でーす。座って下さーい」
「ああ……」
「もうすぐご飯、出来るからね!」
 キッチンから何かが焼ける香ばしい匂いがする。
「昨日はゴメンね。私、取り乱しちゃって。私が悪かったわ。だから別れるなんて言わないで。愛してる。これからもずっと仲良くしましょうね」
 彼女が抱きついて来た。
「ああ……もうケンカはやめような」
「でも、もうケンカにならないと思う。これからは、きっと」
 トースターがチンと鳴ってパンの焼き上がりを告げた。彼女が小走りでキッチンに向かった。
「はーい。出来たわよ。サラダと、パンと、コーヒーと」
 コトン、コトン、と音を立てて料理がテーブルに並べられて行く。もう食器の趣味でケンカすることもないのだろう。
「目玉焼きは、何で食べる? ソース? 醤油? それともケチャップ?」
「そうだなぁ……」
 目の前に置かれた皿の上を手探りで触ると、こんがりと焼かれた二つの玉が皿の上に載っているのが分かった。目から涙の代わりにケチャップのような液体が一筋こぼれた。

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