漫画家入門

第11回 AIと将来と令和

2月下旬~4月1日

今回は日記に戻りました。クライマックスへと近づいています。

3月中旬

 気が滅入る1日だった。極力詳細は省きたいのだが、スタッフの一人が突然辞めると言い出した。自身の連載が決まったり、その他正当な理由があればもちろん無理に引き止めることはしない。しかし理由を聞いてみると、本人の言葉によれば「職場の風紀が乱れている」ため、そのストレスに耐えられなくなったのが主な理由だと言うのだ。
 その風紀の乱れというのは「男性作家の職場に女性スタッフが寝泊まりしている」こと。つまりゆかちゃんのことだ。それが社会常識から逸脱していて理解できないのだと言う。漫画家の職場に社会常識を当てはめること自体に無理があるのはまず前提としてあるが、そもそもスタッフが泊まり込みというケースはままある。となると異性のスタッフが一人で泊まっていることを異常だと言っているのだろう。そういうケースもなくはないと思うが、確かにトラブルの起きそうな環境だ。しかし泊まり込んでいるスタッフ当人からの不満ならまだしも、他のスタッフから苦情が出るとは予想外だった。妻に続いてまたこの話かと、少しうんざりしている自分がいた。
 僕は納得ができず、同席していたもう一人のスタッフも引き連れ、近くの店に移動した。辞めないように説得したが暖簾に腕押しだった。たしかに自分の仕事のやり方は一般的な会社員とは大きく違うだろうが、その分スタッフの仕事に対するスタンスや求める距離感に合わせてそれぞれ柔軟に変えてきたつもりだった。しかしそういった個別の対応が災いして、優劣や違和感を覚えてしまっているならば、そのつもりがなかった僕からすると価値観の相違を擦り合わせてもらうにほかない。しかし僕がお互いの妥協点を探そうとしても、そのスタッフはことあるごとに僕の言い分を「常識と違う」と大正義のように連呼してくるばかりで何も話が進まない。最終的に涙目で「浅野さんは社会人経験がないからわからないでしょうけど」と言われ、何も言う気がなくなった。
 今後の仕事の引き継ぎなどを話したあと、終電の時間はとうに過ぎていたのでタクシー代を渡してその場で別れた。一人で帰る気にもなれなかったので、終始気まずそうに同席していたもう一人のスタッフに、仕事場まで一緒に帰ってもらうように頼むと、「ちょっとため息ついてもいいですか」と言うので、目を合わせて僕も一緒に深くため息をついた。三人でなければ話し合いの場で僕は怒り散らしていたかもしれない。僕は肩身の狭い思いをさせたことをそのスタッフに詫びた。湿気混じりの夜の空気が侘しく身に染みた。

 帰りの道すがら、とぼとぼと住宅地を歩いていると路地のど真ん中でスーツ姿の若い男が大の字で寝ていた。もちろん車が来たらその車は立ち往生してしまうだろう。スタッフが声をかけ肩を揺すると、すぐにその若者は目を覚ました。大方酔っ払って帰る途中、この場所で寝てしまったのだろう。もし自分が一人だったら一瞥してそのまま立ち去っていたかもしれない。スタッフが、酩酊して呂律の回らないその男に家の場所を尋ねると、面倒なことにまったく方向が同じだったので、しばらく三人で深夜の住宅地を歩いた。その酔っ払いは何度も「ラーメン食べたいっす」と言っていたが、僕は変な絡まれ方をするのも嫌なので極力愛想の良い返事をしつつも、頭の中では「勝手に食いに行けボケ」と思っていた。
 一応その酔っ払いが大きな横断歩道を渡るのを見送り、再びスタッフと目を合わせ今一度ため息をついた後、改めて仕事場に向かった。

3月下旬

 先月のいつごろだったか、妻と大きな喧嘩をした。その割に中身をほとんど覚えていないのが自分でも不思議なのだが、これまで積もりに積もったお互いの鬱積を解消するような喧嘩だったのだろう。唯一覚えているのが、話し合いが煮詰まりお互いが沈黙状態になったころ、僕が「もう限界だから別れてもいいんだけど」と言った途端、突然妻がケラケラと笑いだしたことだ。あまりに場にそぐわない笑い方だったので「何が可笑しいの?」と僕が聞いたところ、妻は「参ったなと思って」とだけ答えた。その真意は今でも計りかねているのだが、なぜかその後、妻との関係は非常に良好である。

 3月のある日、そんな妻が自身の原稿が間に合わなそうだと言いだしたので、緊急で僕が背景の作画を手伝うことになった。スタッフの都合がつかず、明日までにあと4コマほど背景を埋めなければならないらしい。
 その日、僕の職場にはゆかちゃんが通常どおり来ていたが、残りの仕事はゆかちゃんに任せ、僕はタクシーに乗り妻の仕事場を訪れた。スタッフに仕事を丸投げし、自分は別のところの原稿を手伝うというのはなんとも変な感じもしたが、ここ最近の一連のごたごたもあり、ほかの漫画家の職場を見てみたいという気持ちになっていたというのもある。
 妻の仕事場はマンションの一室だ。普段スタッフたちがより合わせて使っている大きなテーブルの上に描きかけの原稿が散乱している。僕は適当な席に座り妻に指示を仰ぐと、風景の写真が映ったiPadを手渡された。妻の原稿は完全なアナログ手描き原稿で、自分の原稿とはかなり勝手が違う。画像処理もトレースもなしで描く背景は随分と久方振りであまり自信はなかったが、iPhoneに入れておいた稲川淳二の怪談をイヤフォンで聴きながら無言で作画に集中すると、5時間ほどで必要な絵は埋まった。思っていたよりも上手く描けたと思うが、時間を確認すると朝4時を過ぎていた。妻も「苦手だわー」と言いながらも夜景のビル群を描いていたが、ほどなくして気が済んだのか帰ることになった。
 人の原稿を手伝うことに若干の抵抗感はあったものの、意外と作業自体は苦痛ではなかった。いかなる場合でも、絵を描くのは楽しい。なによりも明確に「誰かの役に立った」という感覚が自分にとっては新鮮だった。しかしこれはリテイクがなかったが故であって、もし理不尽な修正を求められていたら瞬く間に憤死していたかもしれない。絵描きの心は繊細なのだ。今日も一コマだけ、ネームで指定された構図だとどうしても不自然に感じたコマがあり、恐る恐る妻に構図の変更を相談し、キャラの肩口を追加で描いてもらったのだが、機嫌が悪くなるんじゃないかと内心は戦々恐々としていた。漫画家とスタッフの関係はデリケートである。
 このところ僕も妻もお互いに将来の不安を漏らすようになった。将来が安泰な漫画家などほとんどいない。不労所得で生きていける資産があれば別だが、少なくとも自分は永遠にそこには至らないだろう。お金がすべてというわけではないが、しかしたとえ多少話題になったところで、ツイートやポータルサイトのネタとして消化される程度の話題のなり方では、得られるものも世間への影響も何もない。それにもかかわらず、仕事の出先では「先生」などと呼ばれてしまうことで無駄な虚栄心ばかりが育まれていく。もちろん描くことに妥協はない。しかしそれが一般に受け入れられるかどうかは別問題だ。そんな虚しさの中で描き続けることも容易ではないが、それ以外にもスタッフの管理など明らかに不得手なものまで常に裁量を試される。そして非情にもスタッフの給料で目減りしていく貯金。「そのうち一人でも描けるようにならないと」と妻は言うが、僕もそのうちそうせざるを得ないかもしれない。
 僕が思いつきで「喫茶店でもやろうか」と言ってみたところ、妻に「なんで」と聞かれたのでしばらく考えた後、僕は「作ったガンプラを飾りたいから」と答えた。もちろん即却下だった。なんとなく、妻の専属アシスタントとして生活する自分の姿を夢想してみたりした。