漫画家入門

第11回 AIと将来と令和

2月下旬~4月1日

今回は日記に戻りました。クライマックスへと近づいています。

4月1日

 昼夜逆転の生活が続いている。朝8時ごろにうとうとと瞼が重くなってきたものの、もう少し我慢しなければならない。今日は新元号の発表の日だった。別に慌てて知る必要もないのだが、たまたま思い出してしまったので意地になっている。
 しばらくパソコンでまとめサイトを見ながら時間を潰し、発表の予定時間が近づいてきたのでテレビの電源をつけ、リモコンで外部入力から地上デジタルに切り替えた。しかし、しばらく待っても画面は暗転したままだ。もしやと思いテレビの背面を覗くとアンテナのケーブル自体が刺さっていなかった。思い返すと半年ほど前にテレビ台を変えたので、恐らくその時に外したままになっていたのだろう。普段あまりテレビを観ないとはいえ、改めて自分にテレビはもう必要ないのだと実感した。そして僕はそそくさとアンテナをテレビに繋いでソファーに寝転がった。
 とりあえずNHKにチャンネルを合わせた。この一瞬のために受信料を払い続けていると思うと、なかなか高額な受信料だ。しかし昨今NHKの受信料に対して懐疑的な意見もよく聞くようになったが、僕はあまり疑問に感じない。番組の内容の是非はともかく、少なくとも国営放送としての意向を知ることは物事を判断するときの座標として必要だと思う。座標がなければ反対も賛成もない。自分の中に確固たる意思があるというのなら話は別だが、何からも影響を受けず、意思や思考というものは存在しうるのだろうか。半年テレビを観てない自分は、少なくともテレビに対しては良い悪いではなく「マジで何もわからない」としか言えないはずだ。
 そういえばつい先日、スタッフの冨田くんと話しているときにこんなことがあった。会話の中で冨田くんが言っているある単語が聞き取れなかったのでよくよく聞き返してみると、それは最近人気のお笑い芸人のグループ名なのだという。「結構テレビに出てますよ」というのだが全くの初耳だった。話題の人名くらいは把握しているつもりだったがそれは自分の思い上がりで、実のところ僕はネットで炎上した人物しか把握できていなかったのだ。自分の無知蒙昧に愕然としたが、これはこれでいいかと思い直した。
 昔からタレントにはあまり興味がない。特にテレビに映るのはタレントの好感度を意識した極めて一面的な部分だけであって、そこからその人の本来の人間性を推し量るのは難しい。しかしネットで叩かれることでその人物の裏の部分も垣間見えることによって、ようやくその人となりがわかってくる。人なのだから良し悪し振り幅があるし、立体的であるはずだ。興味が持てるかどうかはそれらがわかってからでも良い。ネットで叩かれることによってペラペラの記号のように見えていたものが急に人間味を帯びて、結果的に関心を持てるようになった人いるし、それでもまったくもってどうでもいい人もいる。
 話はどんどん逸れていくが、普段ネットを見ていると知り合いが話題になったり炎上したりしていることが稀にある。そういう場合、なんとなく事情を察してしまったりするのだが、そんなときに思うのは、叩かれ炎上するのは簡単だが、ネットに好かれるというのもまた同じくらい簡単だということだ。ことSNSに関して言えば、好感度程度なら面の皮が厚ければ容易につくれる。さらに言えば、正しい知識を持っている人が性格も良いとは限らないし、その逆もまた然りだ。そして一番賢明な人は何も言わない。インターネットは「誰でも発信できる」ことが強みだが、「誰でも発信してしまえる」ことが弱点だ。空欄があるからといって、必ずしも言葉で埋める必要はない。
 短絡的に白黒つけたがるネットの大きな井戸端会議は時として痛快ではあるが、ほとんどが根拠のない邪推ゲームでしかないので、じゃあどこに真実があるのかと聞かれれば、それはそれぞれ個人の主観の中にしかないとしか言いようがない。しかしそれは現代でいまだに天動説を信じている人のような心許なさしか感じないし、やはり座標は自分の外側に置いておくべきであって、座標ならば全員で同じものを共有すべきだ。
話が散らかってしまったが、テレビもネットもSNSも、収入を生む手段としては有用だと思う。しかしコミュニケーションツールとしてはすっかり飽きてしまったので、平成の終わりとともに何か新しい流行の兆しくらいは現れないものだろうか。
 新元号は「令和」だった。特に感想はなかったが、これまでの「へーせー」という気の抜けた響よりは幾分良いような気がして、そのまま寝てしまった。

 

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