加納 Aマッソ

第14回「クロスが舞うだろうが!」

 先週、芸人仲間とタイへ遊びに行った。プライベートでは初めての海外旅行だったが、普段からあまり写真を撮る習慣がないため、思い出をデータにする作業はみんなに任せ、自由気ままに、バンコクの市場や寺院をほとんど肉眼で楽しんだ。ほとんど、というのは、帰国した朝に成田空港でフォルダを確認すると、3日間の滞在中に撮った12枚の写真が入っていたからだ。1日4枚のペース。それなりに浮かれていたようではあるが、撮らないなら撮らないでいろよ、と自分の潔さの欠如を再確認することにもなってしまった。
 写真を撮らない人間は往々にして、写真を見返す頻度も少ない。ただそんな私でも、旅行楽しかったなぁ、の時間はある。その時に真っ先に思い出す風景は、なぜか12枚の中にはなかった。鮮明によみがえるのは、風に小さくなびくテーブルクロスだ。
 市場にひしめく料理屋のオープンテラスのテーブルには、どの店でも鮮やかなクロスが掛けられていた。一つひとつが大きめに描かれた花柄で、テーブルに対して斜めに掛けられ、三角にはみ出て下に垂れている部分が、熱を帯びた柔らかい風が吹くたびにヒラヒラと気持ち良さそうに揺れていた。私はそれを見て、ずっとソワソワしていた。いや、これ、飛ばされるんちゃう? オープンテラスにテーブルクロス? 大丈夫? と。通りから店を眺めている時も、店に入って席に通された時も、それが気になってしょうがなかった。クロスが飛ばないように早く料理を置いてもらわなくてはと焦り、楽しそうにメニューを眺めている仲間に、「はやく決めろよ! クロスが舞うだろうが!」と心の中で叫んでいた。
 テーブルクロスを掛けた動機も気になる。装飾として店の個性をだすのがテーブルクロスの役割の大部分であると思っていた。しかし、どの店もみんな同じ柄を使っているのだ。どうやら他店と差をつけたいという思いは、その布製品にはこれっぽっちも込められていない。ではなぜクロスを掛けるのか。推測することはできる。おそらくタイの気候は一年通して高温多湿であるため、テーブルが外気や直射日光で傷まないようにしているのだろう、とか、あるいは想像を絶する食べこぼし方をする異国からの観光客に、テーブルを汚されると思っているんじゃないか、とか。そんな思考を巡らせては、どうも落ち着かない時間を過ごしたのだった。
 そして、日本に帰ってからも、あのテーブルクロスが目に浮かんでいる。私はあのとき思っていた。「このアイデア、まるで今朝考えられたみたい!」と。早起きした店の娘が、今日は機嫌がいいから押入れにあった布をテーブルに掛けてみた、すると思ったより素敵だった。みてお母さん、とっても良いでしょ? あら本当ね、素敵だわ、でも強い風が吹いたら飛んでっちゃうんじゃない? 大丈夫大丈夫、そうだ、こんなにたくさんあるなら、ご近所にも配ってくるわ、きっとみんな喜ぶわよ。みたいな会話が、まさにその日の朝にされていたような、そんな気がしてならなかった。あの風景には、そういう鮮度があるように感じたのだ。なぜか。理由はもちろん明白で、改善の余地があると無意識に思ったからだ。こういった「アイデアの初日感」のようなものを目の当たりにできることは日々の中で少なく、東京に戻った今、周りを見渡してみてもそうそうに見つけられないことに気づき、あの落ち着かない感情も、旅の醍醐味の一つであったことを知ったのだった。
 あの街には、強い風は吹かないのかもしれない。そしてそれはみんなが知っていることなのかもしれない。それでも、あの晴れた空に一斉にいくつもの鮮やかな花柄が舞い、その下で娘が空を見上げながら腕を組んで「あちゃ〜なんか他の方法考えるか〜」と「アイデアの二日目顔」をしている、そんな光景に出くわしていたら、私はおそらく夢中で、写真を何枚も何枚も撮っていた。そんな気がしてならない。