アメリカ音楽の新しい地図

7.ケンドリック・ラマーと黒のグラデーション

トランプ後のアメリカ音楽はいかなる変貌を遂げるのか――。激変するアメリカ音楽の最新事情を追い、21世紀の文化=政治の新たな地図を描き出す!

カラリズム
 現時点で最新アルバムとなる《ダム》(2017)の最後を飾る〈ダックワース〉の内容は実話にもとづいている。それはケンドリックの父親ケニー・ダックワースと、現在ケンドリックが所属するレコードレーベルTDE (Top Dawg Entertainment)の社長アンソニー・ティフィスとの若い頃の遭遇を描いた楽曲である。ストリートに生きるティフィスが、若きダックワースが働くファストフード店に盗みに入ろうと計画を立てる。実際、彼は以前にこの店で強盗を成功させているのだ。だがダックワースはそのことを事前に察知し、自分が犠牲にならないようにティフィスが列に並ぶたびにチキンやビスケットなどを余計に添えていた。ティフィスはダックワースのことを気に入り、彼に銃を向けることはなかった――。衝撃的なストーリーの最後をケンドリックは仮定法過去完了で締めくくる。「もしアンソニーがダッキーを殺していたら、トップ・ドーグは終身刑になっていたかもしれない/俺は父親がいないまま育ち、銃で撃たれて死んだかもしれない」。
 興味深いのは、ケンドリックは自分の父親を次のように描写している点だ。「このチキンのお店で/肌の色の薄い、よく喋るニガーがいた/縮毛ですきっ歯で/ドライブスルーのカウンターを担当していた、彼の名はダッキー」。父親の「肌の色が薄い」(light-skinned)点についてはこの曲でこれ以上触れられることはないが、実はアルバム《グッド・キッド、マッド・シティ》に収録された〈マッド・シティー〉に次のようなリリックがある。「脳みそを撃たれた肌の色が薄いニガーを見た/(ビープ音)がよくたまっていたのと同じバーガー店で/彼がやったことを証明できるわけではないけど/あの日以来、やつを見る目が変わってしまった」。この曲は、ケンドリックがいかに殺伐とした環境で育ったかを記憶を辿りながら語る曲だが、ここで言及される「肌の色が薄いニガー」(light-skinned nigga)はのちに〈ダックワース〉で描かれるケンドリックの父親のありえたかもしれない別の歴史として解釈することができる。ファストフード店のカウンターに立つダックワースはアンソニーによって殺された(かもしれない)。では、なぜ肌の色の薄いニガーは殺されなければならないのだろうか。それは、肌の色の薄いニガーは肌の色の黒いニガーから憎まれているからだ丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶――アリス・ウォーカーであればこう答えるだろう。
 ピューリッツァー賞と全米図書賞を同時受賞した『カラー・パープル』(1982)の著者アリス・ウォーカーは黒人コミュニティー内に存在する肌の色の黒さによる差別を「カラリズム」と呼び、それを「同じ人種の優劣を肌の黒さの濃淡により決定すること」と定義する。ウォーカーはこの用語をエッセイ集『母の庭をさがして』で導入するが、書簡体で書かれる文章の冒頭でウォーカーは次のように記している。

そのあと、あなたに「肌の色」について訊かれ、私は答えましたが、その答えが気になっています。肌の色の本当に黒い黒人女性が、浅黒い黒人女性に対してよく感じる敵愾心について、私たちが話し合ったのを覚えていますか。(…)浅黒い肌の女性には、真黒い肌の女性に無意識のうちに苦痛を与える力があることをはっきり認識してほしいと、真黒い肌の女性は願っているのではないでしょうか。(6)

アフリカ系アメリカ文学史上、このテーマを扱った代表的な作品がハーレム・ルネサンス期の黒人作家ウォレス・サーマンの小説『ザ・ブラッカー・ザ・ベリー』(1929)である。主人公のエマ・ルー・モーガンは肌の色の黒い女性で、そのことで同じ黒人から差別を受け続ける。生まれ育ったアイダホ州は黒人が少なく、より多くの同胞を求めてカリフォルニア州の大学に進学するものの、彼女は黒人の仲間から拒絶されるのだ。仕事を求めて訪れるニューヨークでも、肌の色の薄い黒人女性を雇いたがる黒人男性に面接で落とされ、肌の色の薄い黒人男性に弄ばれるなど状況が好転することはない。黒人男性は肌の色の薄い子供を欲しがるため、自分よりも肌の色の黒い女性との結婚を望まないなどの記述もあり、黒人コミュニティー内の差別の根深さをあらためて露呈する。また肌の色の薄いエマ・ルーの祖母について、小説の前半に「彼女たちのようなムラトー(訳注:肌の色の薄い混血児)は原則的に炎天下の畑でサイモン・リグリーが鞭打つなか働くことはなかった。彼女たちはより繊細な仕事、たとえば婦人の女中や執事になるよう仕込まれたのだ」と記述があるが(7)、 これは歴史的に肌の色の薄い黒人が屋内の業務に従事し(ハウス・ニグロ)、より高いステータスを保持していたのに対して、肌の色の黒い黒人が屋外での過酷な仕事に就いていた(フィールド・ニグロ)奴隷の分断を表している。
《トゥ・ピンプ・ア・バタフライ》に収録される〈ザ・ブラッカー・ザ・ベリー〉は、驚くべき仕掛けでウォレス・サーマンからアリス・ウォーカーまで受け継がれるモチーフを主題化する。「俺は2015年最大の偽善者」というラインで始まる曲は、黒人の身体的特徴や文化に触れながら「俺のことを憎んでいるだろう?/俺たち黒人を憎んでいる、俺たちのカルチャーを根絶やしにしようとしている」と白人/アメリカを糾弾する。さらにヴァースが進むと語り手は「黒人ということでやつらは俺たちをチェーンに繋いだ/今では宝石が散りばめられた大きなゴールドのチェーンに変わった」と成功者としての側面も強調し始めるが、最後の三行で唐突に次のように語るのだ。「ではなぜ俺はトレイヴォン・マーティンが殺されたときに涙を流したんだ/ギャング行為で自分よりも肌の色の黒いニガーを自分でも殺したというのに/偽善者め!」ピューリッツァー賞受賞作家マイケル・シェイボンが解説するまでもなく、ここで語り手の「自分(me)」がケンドリックだけではなく、黒人コミュニティー全体を指すことが明らかになる(8)。 アメリカの白人社会を非難しているように聞こえるリリックが、実は黒人コミュニティー内に向けられた言葉であることが最後にあらわになるのだ。
 ケンドリック・ラマーがこの主題に固執していることは、〈ザ・ブラッカー・ザ・ベリー〉の前に〈コンプレクション〉=「肌の色」と題された曲を配置していることからもわかるだろう。アリス・ウォーカーが提唱するカラリズムをテーマに掲げる曲において、ケンドリックは「裏窓からこっそり中に入れてくれよ、俺は良いフィールド・ニガーだ」というラインもラップする。だがこの曲のコンセプトに照らし合わせてひときわ輝くのが、客演ラッパーとしてフィーチャーされるラプソディーのヴァースである。「ねえ話させて、ステュー・スコット/ちょっと失礼、トゥーパック」と中間韻を踏みながら独特のフロウで始まるパートは、途中から「自分の肌の色(complexion)に美しさを見出さないのなら」、「状況(context)を考えてみるのはそれほど難しくはない(complex)」「凧の下に流れる風、それが状況よ(context)」「そうよ、わたしはコンシャス(conscious)、これは競争(contest)ではないの」」と「コンプレクション」、「コンテクスト」、「コンプレックス」、「コンテクスト」、「コンシャス」、「コンテスト」と頭韻を踏みながら、このライムを構成する言葉から「歴史的に黒人コミュニティー内で肌の色が競争の対象になってきた」という意味を生じさせるのだ。

(6) アリス・ウォーカー(荒このみ訳)『母の庭をさがして』東京書籍、1992年、110頁。

(7) Wallace Thurman, The Blacker the Berry (New York: Penguin Books, 1929, 2018) 8.

(8) Michael Chabon, Verified Commentary on “The Blacker the Berry”, Genius,  https://genius.com/4870397.

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