ちくま学芸文庫

『増補 中国「反日」の源流』への解説

6月刊のちくま学芸文庫『増補 中国「反日」の源流』(岡本隆司著)より、五百旗頭薫氏による解説を公開します。本書の初版刊行時に評者がいだいた「奔流の予感」とは? ぜひご一読ください。

 岡本隆司は現代日本を代表する歴史家の一人である。研究が真摯、文章が平明であることに加え、専門とする中国が台頭し、かつ日中関係が混迷するに至って、引く手あまたとなった。私の知る限り、これだけの単著が商業出版されている。

 

『近代中国と海関』名古屋大学出版会、1999年1月

『属国と自主のあいだ─―近代清韓関係と東アジアの命運』名古屋大学出版会、2004年10月

『馬建忠の中国近代』京都大学学術出版会、2007年11月

『世界のなかの日清韓関係史―─交隣と属国、自主と独立』講談社、2008年8月

O・N・デニー著(岡本隆司 校訂・訳註)『清韓論』東北アジア文獻研究叢刊、2010年2月

『中国「反日」の源流』講談社選書メチエ、2011年1月

『李鴻章─―東アジアの近代』岩波新書、2011年11月

『ラザフォード・オルコック─―東アジアと大英帝国』ウェッジ選書、2012年4月

『近代中国史』ちくま新書、2013年7月

『袁世凱─―現代中国の出発』岩波新書、2015年2月

『日中関係史─―「政冷経熱」の千五百年』PHP新書、2015年9月

『中国の論理─―歴史から解き明かす』中公新書、2016年8月

『中国の誕生─―東アジアの近代外交と国家形成』名古屋大学出版会、2017年1月

『叢書 東アジアの近現代史』第1巻「清朝の興亡と中華のゆくえ─―朝鮮出兵から日露戦争へ」講談社、2017年3月

『近代日本の中国観─―石橋湛山・内藤湖南から谷川道雄まで』講談社選書メチエ、2018年7月10日

『世界史序説─―アジア史から一望する』ちくま新書、2018年7月10日

『歴史で読む中国の不可解』日経プレミアシリーズ、2018年10月

『腐敗と格差の中国史』NHK出版新書、2019年4月

 

 出版年はおろか、出版月、否、出版日を確かめても、後先の定まらない本がある。その健筆にはあきれるほかない。

 本書の元となる『中国「反日」の源流』は、2011年に刊行された。それまでの業績を眺めれば、筆者が『近代中国と海関』に代表される経済史と、『属国と自主のあいだ』に代表される外交史という、二つの方法を装備していることがわかる。

 経済史においては、中国の統治が経済から乖離している有様が丹念に描かれる。乖離しているから、人や土地を掌握して課税することができず、取引に課税するしかなかった。より露骨には、取引において有力な地位を占める商人に、徴税を請け負わせるしかなかった。こうした内地関を外国貿易にも適用したのが、海関の起源である。

 このように統治の射程が限られている中国では、経済や社会の秩序そのものを、中間団体や秘密結社が担った。比べて西欧諸国はより小さく、官民がより一体となったクローズド・システムを作り上げた。主権国家が競い合う時代には、この凝集力がものを言う。

 ここに由来する中国の苦境を、外交史は扱う。東隣のもう一つのクローズド・システムである日本が、西洋型の国家形成をいち早く軌道に乗せ、国力を高めた。日本はしかも、西洋型の国際法からは説明がつきにくい、朝鮮や琉球と中国との関係を否定し、これに挑戦する。琉球を併合し、朝鮮を併合し、中国をも侵略する。

 実際の歴史においても、筆者の仕事においても、これら経済史と外交史とが合流(・・)し、『中国「反日」の源流(・・)』となったのである。

 私は岡本史学の総合性に魅力を感じた。本書の初版を書評し、この「源流」からは「奔流(・・)の予感」がすると述べた。予感は正しかった。

 近代中国や日中関係の通史を出すのは、僭越ながらほぼ朝飯前であったと思う。『近代中国史』などがある。

 評伝も書いた。もっとも、内面や心情を想像して奔放に筆を走らせるタイプの人物論ではない。『李鴻章』も『袁世凱』も、武装中間団体を基盤に短期間で軍事力と権力を獲得し、それ故に凝集的な国家形成には挫折した、その明暗を通してあらためて社会構造を描き出している。主人公のものとも中国のものともつかぬ苦悩のため息が聞こえてくる。

 このような社会構造のさらに源流(・・)を、論語や史記に遡って『中国の論理』では説明しており、勉強している。勉強家であることには驚かぬ。

 だが奔流(・・)は、私の予想を超えていた。

 筆者は不満の多い人である。せちがらい現代社会が、歴史研究を正当に評価しないことに不満である。身内の歴史研究に対してはもっと不満である。まず西洋人の西洋中心主義を批判する。反省した西洋人が非西洋圏に視野を広げるのも、しばしば弊害の拡大に終わると容赦ない。日本人の東洋史研究にはあなどれない蓄積があることを認めつつ、西洋人のバイアスに影響されすぎたと考える。そのことに自覚的な東洋史は、今度は独自性を強めすぎて、西洋人のバイアスを野放しにしていると嘆く。平明ではあっても、単純ではない。東洋史のアイデンティティを求める彷徨が、岡本隆司の執念の源である。

 重厚な外交史研究『属国と自主のあいだ』も、属国なのか、自主なのか、という朝鮮のアイデンティティへの問いであり、その朝鮮に面する中国のアイデンティティへの問いであった。

 奔流(・・)するためには、さすがに不満は脱色せざるを得ないであろう。彷徨は、潜伏せざるを得ないであろう。経済史に由来する、構造の明晰さが主要兵器となるであろう。私は半ばそう予想していた。

 だがもう半分では疑っており、その直感が正しかった。アイデンティティへの問いは止まなかった。その証拠に、『近代日本の中国観』は、日本の中国理解の歴史への批判である。戦前、ただ一人過ちを犯さなかったかと思われがちな石橋湛山をまずやり玉にあげるという、念の入れようである。

 かねてより筆者の外交史におけるアイデンティティへの問いは朝鮮に終わらず、新疆やヴェトナムやチベットにも波及していた。これらのアイデンティティからいわば卒業し、領土化と主権国家に向かうプロセスが、『中国の誕生』である。

 これに先立ち、自らが編者となって『宗主権の世界史─―東西アジアの近代と翻訳概念』(名古屋大学出版会)を2014年に刊行している。モンゴル帝国崩壊後にユーラシア大陸の東西で確立した帝国、清朝とオスマン帝国が複数の普遍性(それぞれモンゴル+チベット仏教+漢語儒教とモンゴル+イスラーム+ローマ)を統合しおおせていたと論じた。これに比べると、西欧と日本は気の毒ながら両端に貼りつく鮭の切り身である。切り身がナイフに出世し、帝国からそぎとる時に、そぎとった地域について帝国にしばし残された立場を「宗主権」という。「宗主権」が東西で使われる前史として、西洋人・日本人のバイアスから自由な世界史像が浮上するのである。

 そして『近代日本の中国観』と同じ日付にて、『世界史序説』を世に問うた。270頁足らずの新書で古代からヨーロッパの覇権までをカバーしているのであるから、まずは大国の興亡である。だがそこには、中国における国家と社会の乖離を凝視してきた筆者の史眼が縦横に働いている。遊牧と農耕、そして両者の間に発達する商業とが消長し、政治と経済、北と南に、それぞれところを占める。この主旋律が、気候の寒冷化と温暖化を伴奏としつつ、ユーラシアの東西でかなり平仄をあわせて展開する。構造の明晰さとアイデンティティへの問いが、経済史と外交史が、再びここに合流(・・)した。

 『世界史序説』が、普遍的な秩序体系として特に高く評価するのが、イスラームである。

「(前略)偶像崇拝を否定し、奇跡を説かないなど、当時としては最も合理的な教えだったし、唯一(アツラ)()の前ではみな平等な同胞で、聖俗の区別もなく、位階の差別もなかった。こうした人道的な共同体の形成によって、清新なモラルを供給し、厳格な規律を維持しえたのである」(84頁)。その通りだと思う。『世界史序説』という題名も、イブン・ハルドゥーンへのオマージュであると筆者が認めている。

 岡本史学が、そもそも聖戦(ジハード)ではないか。皮肉や揶揄ではない。筆者の不満は、何よりも自分自身に厳しく向けられており、聖性を帯びている。

 その聖戦の熾烈さに比べれば、今の日中関係も生易しく見えてくる。何より恐ろしいことに、生身の岡本隆司は端正で快活でフレンドリーなのである。本書の補章は、京都弁こそ再現されていないものの、生身の語り口をうかがわせてくれる復習教材である。

 本書を復刊したことは、何を意味するのか。予感にもならぬ憶測だが、次の展開を考え始めているのかもしれない。

 本書の初版が出た2011年には、まだ日中友好への復元の努力がそこここにあった。本書はこれに対して、中国は異質であるとして、安易な楽観を戒めた。

 今は、中国異質論が全盛である。異質だから理解せよ、というのが筆者の主張であり、異質だから目を背ける、というのとは違う。それでも、異質さへの認知は世に広がっている。不満がエネルギーの源なのだとしたら、筆者にはなるべく不満なままでいて欲しい。

 中国の異質さの根幹は、国家と社会の乖離である。これと比べ、西欧や日本は小さく、一体性が高い、と筆者がいうのはその通りであろう。

 だが近世日本も身分制の下にあり、かつ大名と天領に分割されていた。廃藩置県の後も、明治政府の施策は我関せず、という被治者特有の無理解やサボタージュが地域には根強く、これを克服するために1870年代のうちに府県会を制度化しなければならなかった。

 こうした必要のない国会は、1890年の開設となった。国会開設後、衆議院の多数を占める民党は、自らが必要と認める政策に対して、藩閥政府への不信任を理由にしばしば抵抗した。

 日清戦争における日本の勝算にはきわどい面があり、伊藤博文首相は開戦の回避に努めた。陸奥宗光外相は今でこそ『蹇蹇録』で有名であるが、当時の伊藤の政治指導から逸脱できる範囲は限られていた。

 日本史における理解は、このような方向に向かっていないであろうか。

 無論、日本と中国が同じ問題をかかえていたとは思わない。だがその異同についてより繊細で、かつ明快な語り方ができれば、歴史研究と現代外交の両面で、次の段階が開けるのかもしれない。

 しかしここまで筆者に頼るのは、さすがにわがままかもしれない。日本史の側からも、同じ間口で議論すべきなのである。誰よりもそれを待望しているのは、筆者なのであろう。本書は平明ではあるが、安易ではない。「あなたの聖戦は何ですか」。こんな問いが、読んだ者の耳を打つかのようである。