ちくまプリマー新書

投票に行きたくなる国会の話

6月のちくまプリマー新書の序章を公開します。国会は暮らしやすい社会を作るための話し合いの場。十八歳になったら誰でも選挙権があります。国会の仕組みをよく知って、私たちの声を政治に生かそう!!

序章 投票する権利を持ったあなたへ

 十八歳以上に選挙権

 二〇一六年から、選挙権の年齢が十八歳からに広がりました。

 国会図書館の調べによれば、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど世界百九十一の国と地域で、二〇一四年の時点ですでに十八歳以上に選挙権がありました。イギリスなどEU諸国では、十六歳以上への引き下げも話し合われています。

 日本の歴史に目を転じてみましょう。江戸時代には選挙制度はありませんでした。一八九〇年(明治二十三年)に初めて選挙が行われたとき、投票権を与えられたのは、十五円以上の税金を国に納めている二十五歳以上の男性だけでした。この時の有権者は全国民のたった一パーセント程度だったと言われています。

 一九二五年(大正十四年)になると、二十五歳以上の男性の所得制限がなくなりました。そして、収入や性別の差なく、二十歳以上の男女が選挙権を獲得したのは、第二次世界大戦が終わった一九四五年(昭和二十年)です。以来七十年、変わっていなかった選挙権年齢が、公職選挙法の改正で変わったのです。

とはいえ、選挙権を手にしても「誰に投票したらいいのか分からない」と戸惑う人も多いでしょう。私も初めての選挙ではそう考えた一人です。投票することとテレビで見る有名な政治家とが結びつかず、選挙にどんな意味があるのか、考えてもよく分かりませんでした。当時は、分からないことは自分の関心の低さのせいだと思っていました。

 しかし、今になって思えば、投票年齢に達したのに、そのことがよく分かっていなかったこと自体が、選挙制度の不完全さを示しています。人々は、えてして制度は最初からそこにあるものだと思ってしまい、自分が変える術を持っているとは考えないものです。でも、決してそうではありません。法律は、みんなにとって最大限使いやすいものでなければなりませんが、もしそうでないなら、そのことを指摘して、絶えず改善を目指せばよいのです。

 国会は何のためにあるのか

 国会があるのはそのためで、国の制度を作り、より良いものにしていく役割を担っています。憲法第四十一条が「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と定めているように、立法、つまり国の制度を作ることが、国会が果たす役割の中で最も重要な仕事です。

 小学校や中学校で「三権分立」を習うと思いますが、行政と司法と立法(国会)は、並列に並んでいるわけではありません。選挙で議員が選ばれる国会を「国権の最高機関」として、行政も司法も、最終的には国会が成立させた制度(法律)に従って、その仕事を行います。

 もちろん、その国会でさえ、人間の集まりに過ぎず、間違うことがあるために、司法が存在します。国会が作った法律が憲法に合っているか、違反しているかは、憲法第八十一条を根拠にして、最終的に司法が判断します。また、国会が作った法律を運用して行政が行った仕事が憲法に合っているものか、そぐわないものかも、最終的には司法が判断します。

 もしも、裁判で裁判所が「違憲」であると判断すれば、国会は立法を、行政はその仕事のやり方を、それ以降は正さなければなりません。

 なお、世界を見渡すと、立法の違憲審査を行う「憲法裁判所」や、行政行為の違法性や違憲性を判断する「行政裁判所」を作った国もあります。日本は司法裁判所が立法と行政の違憲性も判断しますが、国会や行政には控えめな判断しかしない「司法消極主義」の国として知られています。

 一方で、最高裁判所の裁判長は内閣が指名し、最高裁の裁判官は就任後に初めて行われる衆議院議員選挙の時に投票によって国民審査を受けます。また、問題のある裁判官を罷免する弾劾裁判所は国会にあります。戦後から現在に至るまで九件の弾劾裁判が行われています。最近では二〇一二年に大阪地方裁判所の判事補が、走行中の電車内で女性のスカートの中を携帯電話で盗撮し、弾劾裁判を受け、罷免されました。

 人間は間違いを犯すことを前提に、三つの権力が独善的に暴走しないよう、互いチェックし合うように制度が作られてきました。そして、大切なことは、判断の基本が憲法にあることです。それが法治国家にとって最も大切です。

 「法治国家」を守るのは国民の役割

 民主的な法治国家とは、気まぐれな王様が統治したり、奴隷制が許されたりする社会ではありません。現代の日本では「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」が「憲法の三原則」として謳われ、国民が選挙で選んだ国会議員によって、すべての法律は憲法に従って作られます。憲法と法律に従って国家が運営され、権力がそれに従わない場合は、法律に基づいて司法によって裁かれるのが「立憲主義」です。そして、立憲主義に基づいて運営される国を「法治国家」と言います。

「政治」とは、「政(まつりごと)を治める」ことですが、政(まつりごと)とは、異なる考えを持つ人々の意見の調整です。その時に、意見調整の仕方が公平で、権力をふるう人間の独断で恣意的に行われることがないよう、権力を憲法で縛るのです。

 たとえば、選挙で政権を取った人たちは、自分たちが多数派だからといって、憲法に違反した法律を作ることはできません。「ワタシの政権でワタシが決めたからそれでいいのだ」というような国の治め方は「独裁国家」や「人治国家」と呼ぶべきものです。

 憲法を変える時には、憲法第九十六条に定めるように国会で三分の二以上の議員が賛成した上で、「日本国憲法の改正手続に関する法律」に基づいて国民投票を行って、満十八歳以上の国民の過半数の賛成を得なければなりません。

法律を変える時には、国会で過半数の議員の賛成で変えることができますが、憲法は第九十八条で「国の最高法規」とされ、権力を縛るためのものであるため、改正の手続きを厳しくしてあります。選挙で選ばれた政治家の多数決では変えられないよう歯止めがかけられているのです。まして、憲法が禁じていることを可能にする法律を作ることはできません。

 ただし、物理的には、独裁者が現れて多数派を国会で形成し、法案を提出して多数決で法律を通すことは可能です。しかし、その時は、国民が憲法に基づいて、司法を使って国家を訴えなければなりません。憲法第九十八条には、憲法に「反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と書かれています。また、憲法第十二条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」と私たち国民に憲法を守る行動を委ねているからです。

「不断の努力」のためには、主権者である国民が絶えず「政権」を監視していなければなりません。ただし、一般の人が年がら年中、政府を監視しているのは大変ですから、そのために報道機関が存在します。

 健全な法治国家であるためには、関心の高い国民と、意識の高い報道機関が不可欠です。

 人は一人で生まれて一人で死んでいくわけではない

 こうして権力を抑制し合って成り立つ国の役割とは何でしょうか。その前に、国民とは誰でしょうか。主権者とは誰でしょうか。それは「納税者」と同義語ではありません。子どもや学生や、お年寄りや病気で働けない人も、納税ができない人もみんな含めて国民です。民主主義とは国民がみんな主役となって物事を決定していくことが大切だと考えるさまを言います。

 民主政治とは、みんなのためのルール作りをする上で、できるだけ多くのみんなを巻き込んで、多くの意見を取り入れて、誰かが極端に得をしたり損をしたりしないように、話し合って決める場だと言っても言い過ぎではありません。

 なぜなら、誰もが一人で生まれて一人で死んでいくわけではないからです。人は自然の恵みを食べて衣服を着て暮らす存在で、人との関わりなしで生きていける人は一人もいないからです。社会についての情報をみんなで共有し、みんなで助け合えば、より賢い解決策を見つけ出すことができるからです。

 もしも、その逆で、一部の人だけが「みんな」と思う一部の人だけを「これで全員だ」と考えて物事を決めてしまっては、その決定は一部の人にだけ都合のよい解決策になってしまうかもしれません。一番困っている人が見えないままで、「これで全員だ」と決定されれば、問題解決とならないばかりか、社会の問題を悪化させる原因となることもあるでしょう。

 また、解決策の実行にはお金(予算)が必要ですが、それをどのように集めて、どのように配分するかを注意深く「みんな」で決めないと、その負担(税金)が偏ったり、配分が必要な問題や人に行き渡らなかったりすることがあるからです。

 少なくとも現在、日本には一億二千万人余もの人がいて、全員がそのことを一斉に話し合うことができません。その難題を解くためには、代表を選んで、その選ばれた代表が「みんな」とは誰かを話し合い、誰が最も困っているのかを見極め、何を最優先に解決するか、そのお金をどのようにして集めて使うかを決定する場が必要です。

 国会とはそうした場であり、「政治」とは結論を出すための意見調整を行うものです。

 国会の歩き方を知る

 この本では、投票する権利を持ったあなたが選んだ国会議員が政治(意見調整や合意形成)をする場である「国会」で果たす数々の役割について、できるだけ分かりやすく書いていきます。

 第一章では、政治参加について、第二章では立法について、第三章では予算について、第四章では行政監視について、そして第五章では国会を通じて司法を変えることについて、各章ごとに、その理想と、現実と、今後のための提案を、紹介したいと思います。

 国会の動かし方を知っても、権力を持たない一人にとっては、実際に動かすとなれば容易なことではありません。しかし、それでも、動かし方を知ってもらい、知る人が増えることによって、投票だけでは辿りつかない世界に辿り着いてもらいたいと思います。

 入口(投票)と出口(国の形としての社会)の間にある、迷路のようにしか思えないかもしれない国会の歩き方を知っていただきたいと思います。

 私がそう思うようになったのは、国会で約四年間、国会議員の政策担当秘書として働いた経験からです。法律はすべての人になんらかの形で影響するものであるにもかかわらず、国会では、いとも簡単に、「みんな」にしっかり知らせることもなく、「みんな」の意見を促すこともなく、毎年何本も新たな法律が誕生していました。その実態を、これからの有権者に知ってもらいたいと思います。

 なぜなら、それらが、ほんの一握りの人たちの利益になるための制度作りや制度改正(悪)であることが少なくないからです。今ある制度ですでに何らかの利益や権利を得ている少数の「既得権者」の意見を最大限に反映して成立し、この国が作られがちだからです。

 それが政治の理想であるとは思えません。理想は、「みんな」で決めることです。みんなが、この国がどのようにできているかを知り、どのような国を作りたいか意見を言う機会が守られていることが理想です。

 投票の向こう側にある、一歩先の世界を知って、理想を引き寄せることのできる人を増やしたい。大きな野党のベテラン議員と、なんでもやらなければならない小さな野党の新人議員のもとで見たり、学んだり、知りえたり、実践してきたことを、この本の中に投入したいと思います。

 あなたが、あなたの一票を最大限生かす踏み台として、この本が少しでも役立てばと切に願います。

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