ちくま新書

頼み頼まれる日本人の絆を読み解く

「頼む」という言葉の変遷は、日本人の心とどのような関わりを持っているのか。『万葉集』『源氏物語』から「一揆契約書」「頼み証文」まで様々な史料から読み解く一冊。その「はじめに」を公開します。

 慶長三年(一五九八)八月、死の床にあった豊臣秀吉は、息子秀頼のことを頼んだ書状を徳川家康・前田利家・毛利輝元・上杉景勝・宇喜多秀家の五大老に宛てて書いた。

  「秀より事なりたち候やうに……たのミ申し候、なに事も此のほかにおもひのこす事なく候」

 秀吉はこの年五月には死を覚悟したようで、死後の秀頼の補佐体制について細々と遺言し、五大老・五奉行からそのことを誓う起請文を取り立てた。また七月には毛利輝元が徳川家康・前田利家へ宛てて、太閤様同然に秀頼に奉公することなどを誓った。恐らく残りの上杉景勝・宇喜多秀家も同様に起請文を出したであろう。秀吉は死後の体制固めを懸命に行った上で、最後の力を振り絞って、この書状を書き、八月一八日に亡くなったとされる。もう秀頼の今後を頼むこと以外に、できることはなかったのである。

 尾張の百姓の倅から身を興し、一代で天下を統一した秀吉の末期の思いを人はどのように見るだろうか。親としての切実な思いや、戦国人の心情を込めた率直な言葉に心打たれるだろうか。あるいは秀吉ほどの権力者も、最後は幼子の将来を思いやったということに、一抹の哀れを感じるだろうか。おそらくいずれも間違いではないだろう。

 秀吉はなぜ秀頼のことを頼んだのだろうか。いろいろな答えが可能だが、「頼み」という言葉が、当時の人びとの心をどのように捉えていたかという観点から迫ってみたいと考えている。しかしここでは、まず本書の課題について少し説明しておきたい。

 本書では「頼み」「頼む」という言葉が、日本人の意識や行動様式のなかでどのような位置を占め、その歴史的変容が人びとの結びあいの、いかなる変化のなかから生まれたかについて検討する。その歴史の文脈のなかで秀吉の「頼み」の位置も、よりよく理解できるであろう。

 

†結びあいの日本史

 グローバル化のなかで、日本人の生活のよりどころとなってきた村落共同体が解体され、現在それが、家族にまで及ぼうとしている。人間関係がかつてないほどに希薄になっている現代社会において、一つの生き方として強い個人主義が主張されて、それが市場原理主義と結びついて展開されている。

 一方で、共同体への回帰願望も歯止めなくかき立てられている。その行き着く先は、どういう場合も、際限ない同調圧力と個の放棄、排除となる。ネット社会の問題点は、この両者がからみあって生まれている。そこでそのいずれにも与しないで、新しい共生の形を探ることが現代社会の課題となっている。これに応えるのは容易ではないが、人びとの結びあいの歴史をたどることが、なにほどかそのよりどころになるだろう。

「頼む」という言葉は、現在それほど重みも感じないで使われている。しかし日本の歴史を振り返ってみると、そこに表されている社会関係が、人びとを強く律していたことがわかる。「頼む」という言葉は、日本の社会的結合、紐帯のあり方を照らし出す大事な手がかりになるのである。

 このことは早くから気づかれていた。土居健郎の名著『「甘え」の構造』は、日本人のアイデンティティーに関わる言葉として「甘え」を取り上げ、鋭い分析を展開している。日本語には、「甘え」の心理を表現する語彙が多くあるとして、その一つとして「たのむ」という言葉を取り上げている。そこで土居はイギリス人社会学者ロナルド・ドーアの解釈を紹介して、「いいかえれば、「たのむ」とは甘えさせてほしいということに他ならない」と述べている。

 

†パーソナルな頼み

 ここではドーアの著書『都市の日本人』から、その部分を直接紹介しよう。ロナルド・ドーアは第二次大戦直後の日本社会を調査した日本学者で、最近まで日本について発言し続けていた。ドーアは日本のある行政の決定が、以下のような形で行われると説明している。

「これらの有力な個人に「頼むこと」(asking)によるのである。「頼む」という言葉は、英語の「願う」(ask)と「たよる」(rely on)のほぼ中間ぐらいにあたる。それは、まず自分自身を他人の手に委ねることを意味している。そしてその人の決定は、法律的に決められた機構の行使としてではなく、パースナルに好意を与えるか、差控えるかといったものであると考え、したがって、好意的な決定はパースナルな感謝の心を必然的にともない、ひいてはある種の負い目を認めることになる。」

 ドーアによれば、「頼む」という言葉には、ピッタリと英語に訳せる言葉がない。日本固有の語感のある言葉であった。「頼む」はパーソナルな好意を導き出す言葉で、その好意的な決定に、人は負い目を感じることがある。この結果、頼んだ側が世話をしてくれた側の申し出を受け入れて、選挙でその意向にしたがって投票するのだという。

 行政へのアクセスが、権利の主張ではなく、「パーソナルな頼み」として行われる。これに対して、好意的な決定によって目的が達成されるという風潮は、第二次大戦直後から見れば薄れているとはいっても、現代でも通用しそうな話である。

 日本では、この枠組みに沿って物事が進むことが望ましい流れであり、なまじ権利を主張して流れをかき乱すと、たちまち自己責任論が浮上しかねない。頼むことに孕まれた依存関係は、現代では日常的には感じられないものの、実はまだその意識や行動様式の底にあって、何かことがあれば、突然表に現れる。「頼む」という言葉は、そうした日本人の基底にある心理に繫がる言葉でもある。

 人を頼むことは、頼んだ側が、頼まれた側に身を任せることを意味していた。そこから頼まれた者の優位と、それへの依存が生まれ、上下関係にもとづく秩序が生まれる。

 しかし一方では、人は頼みあって横の連帯を形成する場合もある。また「頼み」は私的な行為であるが、それにより人びとが絆を結びあって、公的世界を構成することがある。さらには、その公的世界が「頼み」により私的利害に解体されることもある。

「頼み」は伸縮自在でどのようにも操作される。人は「頼み」を操作しながら関係を生きる。こうした依存と連帯、公と私の間で揺れ動く人びとの関係が、「頼み」の機能する場であり、歴史学が解明すべき領域なのである。

 ここでは歴史的状況のなかで、人と人の絆を、「頼み」を通じて、流動する相のままに描こうと試みた。移ろいゆく時代のなかで、人は「頼み」をどう生きたか、そこにおける結びあう形はどのようなものであったか。それが本書のテーマである。

          

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