加納 Aマッソ

第15回「両親を愛するようにして、歴史を愛している」

 大きくなるまでのあいだに、私の心をとらえたたくさんの「分からないこと」は、主に言葉だったような気がする。皆と同じように「なんで勉強せなあかんの?」「宇宙はどこまであるん?」などといった、あるある疑問もおそらく一度は抱いただろうが、記憶が曖昧ということはあまり魅力的ではなかったようだ。「?」のなかに怒りや悲しみ・漠然とした不安が付随していて、沈んだ気持ちになったからかもしれない。
 それとは違い、「鉛筆の“HB”ってなに?」と考えたことは、なぜかしっかりとした輪郭をもって記憶に残っている。この不思議な2文字にはどんなストーリーが込められているんだろう、と思った。文字が金色で刻まれていることにも惹きつけられた。その後すぐ、大して仲良くもない席が近いだけのいけ好かない男の子(歯医者の息子)からHard Blackというそのまんまの意味の言葉の略だと教えてもらい、「なんやぁ」と言いながら、「想像を超えてけえへんかったな」という表情をその子に向けたところまでセットで記憶している。
 中学生にもなると、親は自分の得意ジャンルのことについては意気揚々と教えてくれたが、大して知識のひけらかし甲斐のないものは「辞書ひけ」と一蹴された。「宗教ってなに?」「辞書ひけ」「ぶんきんたかしまだってなに?」「辞書ひけ」「69ってなに?」「知らんでいい」「くろさわ映画ってなに?」「それを語るにはまず観とかなあかんのが5本あってやな……」といった具合である。返答率が0%でもないため、私もしつこく「なになに攻撃」をやめなかった。高校生になって「戦争はなぜ繰り返されるのか?」を差し置いて「ワルサーP38ってなに?」と言っていた頃あたりに電子辞書を買ってもらい、分厚い紙をめくる機会は減った。
 今でも、分からない言葉に出会ってはネットで検索ばかりしている。情けないがしょうがない。たった80年ほどの人生でインプットできるものには限りがあるが、諦めずにできるだけ取り込んでいくしか他ないしなぁ、と思っている。
 そんな中で、ずっと私の心を掴んで離さない「分からないこと」が、司馬遼太郎の言葉である。『二十一世紀に生きる君たちへ』の冒頭になにげなく書かれていた、「両親を愛するようにして、歴史を愛している」という一文。言葉は分かるが、どういうことか分からないのだ。
 歴史小説に夢中になっていた22歳の時に出会ったこの言葉は、当時は全く理解できなかった。「難しいことを言ってるわけではないはずなのに」という気持ちが、さらにこの文に執着させた。まず自分がどのように両親を愛しているのかが分からない。深く? ガバッと? などと考えてみても、どれも浅いような気がした。
 そこで私は、この言葉を自分の成長の尺度として使うことにした。歴史にまつわる本を数冊読むと、「もうそろそろあれを理解できるようになったかな?」と考える。それでも結局まだ分からないと首を振り、母の日にもお祝いカードを書きながら、歴史への感情と共通しているところはないかと考えて、「長生きしてほしいな、歴史に。歴史に?」と、頭がこんがらがったりする。私が愛の質感を理解できるようになるのは何歳になるのか。今のところなんとか導き出しているのは、どちらも「ありがたい」ということぐらいである。なぞかけだとしたらひどいクオリティだ。
 ふと思ったが、「なぞかけ、ってなに?」といつか子どもに聞かれたらどうしよう。なぞかけってなんやっけ? なんでやるん? とりあえず「辞書ひけ」で逃げよう。その頃の辞書は、どんな形をしているだろうか。そんなことすらも、やっぱり私には、分からないのである。

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