世の中ラボ

【第110回】夫婦問題トリセツのどこが問題か

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2019年6月号より転載。

 黒川伊保子『妻のトリセツ』という本が売れているらしい。
 巻頭言にいわく〈本書は、脳科学の立場から女性脳の仕組みを前提に妻の不機嫌や怒りの理由を解説し、夫側からの対策をまとめた、妻の取扱説明書である。戦略指南書と言い換えてもいい。要は、「夫」という役割をどうこなすかはビジネス戦略なのだ〉。
 悩める男性向けに、気の利いたことをいってるつもりなんだろうけど、なんか疑似科学っぽい。案の定、第1章でもうこれだ。〈女性脳は、体験記憶に感情の見出しをつけて収納しているので、一つの出来事をトリガーにして、その見出しをフックに何十年分もの類似記憶を一気に展開する能力がある〉。そのような能力は〈女性脳が子育てのために備えている標準装備だ〉。
 はあ、女性脳ねえ。ありましたね、前にもそんな本が。
 アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ『話を聞かない男、地図が読めない女――男脳・女脳が「謎」を解く』(藤井留美訳、主婦の友社)。二〇〇〇年のベストセラーである。なんと200万部も売れたそうだ。〈今日では、男と女では脳の働きがまるでちがうことがわかっている。男女間に起こる問題の大半は、そこに由来しているのだ〉とかいってたな、あれも。まあでも最後まで読んでみなくちゃ何ともいえない。『妻のトリセツ』とはどんな本なのだろうか。

その原因は本当に脳なのか?
 みんなが騙されやすい話からはじめよう。
〈女性脳の、最も大きな特徴は、共感欲求が非常に高いことである。「わかる、わかる」と共感してもらえることで、過剰なストレス信号が沈静化するという機能があるからだ〉。このため女性は〈よるとさわると、自分の身に起こったささやかなことを垂れ流すようにしゃべり合い〉、〈盛大に共感し合〉う。
 ところが〈会話の主たる目的が問題解決である男性脳は、こういう会話が理解できない〉ので、仕事の愚痴などは妻にいっても仕方がないと思っているし、妻の話を聞いても〈「◯◯すればいいんじゃない?」「やらなくていいよ、そんなもん」と、いきなり問題解決してしまう〉。かくして「思いやりがない」「私の話を聞いてくれない」と妻は不機嫌になる。
 女性は共感を、男性は問題解決を求める。たしかによく聞く話である。でもそれは「脳」のせいなのか。仮にそうした傾向があったとしても、十分「環境要因決定説」で説明できる。
 日々外で働く男性は、大事から小事まで、年中「問題解決」を迫られている。グズグズ迷っている暇はなく、トラブルは次々襲ってくるので、思考はおのずと「早急な解決方法」に向かう。いわば社会的訓練の賜である。一方、女性は職場でも家庭でも、概して責任のある立場を任されてこなかった。彼女が懸命に考えて出した結論も、「何をいってる」「話にならん」などの一言で一蹴される。それが度重なればストレスはたまり、誰かに愚痴らずにはいられなくなる一方、結論を否定され続けた人生は、解決策を探す思考から彼女を遠ざける。どうせ考えても無駄だ、という経験が彼女を無駄話の女王にした。そういうことなんじゃない?
 したがって、これは「脳の性差」ではなく、環境と立場の差。現に私が知る限り、社会的責任のある立場の女性に、無駄話の女王は少ない(逆に中間管理職などで、話の長い男は多い)。〈よるとさわると、自分の身に起こったささやかなことを垂れ流すようにしゃべり合〉っているのは、悪いけど、暇な人じゃないの?
 というわけなので、〈共感するフリでいい〉から〈ひたすら共感〉してやれ、という夫へのアドバイスも、しっくりこない。〈「うん、うん、わかるよ」「ひゃ~、そりゃ大変だ」〉なぞと上の空で相槌を打たれても嬉しかないよ。こっちがマジメに話してんだから、そっちもマジメに考えろ、だわよ。
 もうひとつ、本書がムカつくのは、家庭内での性別役割分業も、脳のせいにして肯定している点だ。
 総務省統計局の二〇一六年の調査によれば、六歳未満の子どものいる夫婦の一日の家事育児時間は、夫が83分、妻は454分。共働きの夫婦だと、夫は46分、妻は294分。ひどい差だ。家事には、料理、洗濯、掃除、ゴミ捨てといった「名前のある家事」のほかに、こまごまとした「名もなき家事」があるのだが、〈目の前の観察力の低い夫はほとんど気づいていないのが現実だ〉。一方、〈妻たちは、日々「ついで家事」を行っている〉ため、気が利かない夫へのイライラがつのる。
 ところが著者によると、これも脳の性差が原因で、〈男性脳に、女性脳が求めるレベルの家事を要求すると、女性脳の約3倍のストレスがかかる〉のだそうだ。女性脳は「トイレに立ったついでに、あれをしてこれをして」と比較的長いスパンで物事を考えるが、〈男性脳は、空間認知をして危険察知することに神経信号を使っているために、この能力は低い〉。よって〈名もなき家事に太刀打ちできない男性脳が、名もなき家事と戦っている妻を助けることは、不可能に近い〉。では、どうするか。妻の爆発を防ぎたければ〈とにかくねぎらうことである〉。
 なんだそれ。夫の家事のスキルアップは不可能と決めつけた上で、妻をチヤホヤしておけって? この家事時間の差を放置して? こうなるともう「奴隷の調教法」に近いよね。
 だいたい「名もなき家事」問題だって、女性に一日の長があるのは、第一に幼い頃から「よく気がつくこと」をよしとする無意識のジェンダー規範を叩きこまれたこと、第二に「自分が家事の責任者」という、これもジェンダー規範ゆえに染みついた使命感ゆえじゃないのか。脳じゃなく教育の問題でしょうよ。

みんなが悩む夫婦問題、解決の鍵は発想の転換
 まあしかし、こういう本が売れるのは、夫婦間のコミュニケーションで悩んでいる人がいかに多いかの証しだろう。実際、この種の本は想像以上に多数出版されているのである。
 高草木陽光『なぜ夫は何もしないのか なぜ妻は理由もなく怒るのか』もそんな一冊。〈夫婦関係は「相手を知り、ちょっとしたコツさえつかめば、うまく機能していく」ことを多くの人に知っていただきたい〉というコンセプトは『妻のトリセツ』と同じだが、内容はいくらかマシである。
〈夫は、アドバイスを求める/妻は、共感を求める〉という話にしても、妻の「相談があるの」には〈すでに答えが決まっている相談、本気で意見を聞きたい相談、とりあえず思いを吐き出したい相談〉の三つがあるといい、夫には〈一つめに対しては「NOと言わない」。二つめは「アドバイス」や「提案」を。三つめは「共感」あるのみです〉とアドバイスする。
 家事をめぐる争いも〈夫は、教えてほしい/妻は、自分で考えてほしい〉という要求の違いだとする(当たり前だが脳の問題ではない)。例として示されているのはこんな場面だ。
 食器を洗った後、リビングでテレビを見ていた夫。すると妻がいった。〈食器を洗っただけで〝家事に協力的な夫〟だなんて勘違いしないでよね!〉。夫はカチンときつつも、グッと抑えて〈そんなこと思ってないよ。何かしてほしいことある?〉ときいた。妻の答えは〈そんなこと自分で考えなさいよ!〉。夫への著者のアドバイスは〈妻を労わる言葉がけ「一日一言」を!〉、妻には〈夫にしてほしい家事の内容や方法を紙に書き出しましょう〉。
 夫にも家事をさせようとしている点で、「奴隷の調教」よりはマシである。とはいえ、共働きでも家事の責任者は妻、という発想からは出ていない。結果的に妻の負担は決定的には軽減されず、夫は四六分、妻は二九四分という時間差は残るだろう。
 夫婦問題の解決本は、日常的なトラブルをいかに最小限に抑えるかという小手先の問題に終始する。読者が求めているのも小手先だから致し方ない面はあろう。が、それをやっている限り、現状は変わらず、根本的な問題は解決しない。トラブルの原因を「脳の性差」に求めるなど、現状補完も甚だしい。
 もうちょっとこう、新しい発想の本はないの? と思っていてぶつかったがこの本だった。小室淑恵+駒崎弘樹『2人が「最高のチーム」になる ワーキングカップルの人生戦略』。〈「大黒柱ヘッドギア」を外そう〉という話から本書ははじまる。「大黒柱+専業主婦」の家族モデルはもう現実的ではない。ではどうするか、という地点からスタートすると、話はだいぶ違ってくる。
 例のコミュニケーションの差問題は、「男は問題解決型、女は共感型」になる理由として〈女性の「モデル」の少なさ〉をあげる。男性は働く上でのモデルが多いので、壁はまだ乗り越えやすい。が、女性にはモデルにできる同性の先輩が少ないため、不安が多く愚痴が増える。つまり〈男性は女性が職場で置かれている環境を体感しておらず、辛さに共感できない〉。働く妻や女性の部下を持つ男性はもっと想像力を働かせよ、と。
 家事についても、妻の不満がたまる理由は〈家事を分担し切っていない〉からだ、と明快だ。大きな家事(名前のある家事)も、小さな家事(名もなき家事)もすべてリストアップし、「ポイント制」にして、ゲーム感覚で得点を競ってはどうか……。
 そんな非現実的な……とも思うけど、要は発想の転換の問題なのだ。彼らが提唱するような方向に舵を切らない限り、日本の夫婦は負のスパイラルから抜け出せない。ちなみにこれ、二〇一一年の本なのよね。それから8年たってもまだ売れる『妻のトリセツ』。日本の男女関係は何も変わっていないのだと思わずにいられない。
 

【この記事で紹介された本】

『妻のトリセツ』
黒川伊保子編著 講談社+α新書、2018年、800円+税

 

〈妻は納得。夫は感謝!〉〈脳科学から解けば、ややこしい夫婦関係も意外にカンタン!〉(帯の惹句より)。著者はコンピュータメーカーでAIの開発に携わったという人工知能研究者。「男性脳」「女性脳」という主語を使って「妻が怖い」という夫たちに妻の扱い方を伝授する。ひたすら下手に出て機嫌を損ねないようにしろって話だが、先端科学ぶっているわりには古臭い。

『なぜ夫は何もしないのか なぜ妻は理由もなく怒るのか』
高草木陽光、左右社、2017年、1700円+税

 

〈また同じパターンでケンカしてる?〉〈クスッと笑えて役に立つ38の処方箋〉(帯の惹句より)。著者は現在までに7000件のカウンセリングをしてきたという夫婦問題カウンセラー。夫婦ゲンカでは「夫は、逃げる/妻は、責める」、「夫は、ときどき育児に参加したい/妻は、ときどき育児を休みたい」など双方にアドバイス。頷ける部分も多いが、夫婦モデルはやはりまだ従来型。

『2人が「最高のチーム」になる ワーキングカップルの人生戦略』
小室淑恵+駒崎弘樹、英治出版、2011年、1500円+税

 

〈成果を上げる秘訣は、「家庭」にありました〉(帯の惹句より)。著者はともにワーク・ライフバランスを推進する組織の代表者で、自らも共働き家庭で子育てを実践中。「テニスでダブルスを組む」ような夫婦をモデルに、生活上のあれこれを伝授。「妻が怖い」という夫には恐妻家ぶった男が多いが、いってるうちに本当に妻が嫌いになるぞと脅かす。やや青臭い点も含めて新鮮。

PR誌ちくま2019年6月号

関連書籍

こちらあみ子
こちらあみ子

斎藤 美奈子

ニッポン沈没 (単行本)

筑摩書房

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入
こちらあみ子

斎藤 美奈子

本の本 (ちくま文庫)

筑摩書房

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入