ちくま文庫

もしこれが学校のクラスなら
『酔っぱらいに贈る言葉』(大竹聡 著)解説

この本に登場する、ボードレール、古今亭志ん生、タクシーの運転手さん、ブコウスキー、中島らも、檀一雄、高田渡……約50名の酒飲みが一クラスにいたらどうなるでしょう! 戌井昭人さんならではの解説! 

 本書に登場するのは、有名無名問わず、偉人だとか一般人だとかも関係なく、遠い昔に死んだ人、少し前に死んだ人、まだ生きている人などです。ボードレール、古今亭志ん生、タクシーの運転手さん、ブコウスキー、中島らも、檀一雄、高田渡、ランボー、小林秀雄、佃島の老人、酒豪の兄弟などなど、約五十名の酒飲みが出てきます。作家が多いけれど、登場する順番は秩序がなく、年代順でもありませんが、この滅茶苦茶な並び方に、なんだかグッときてしまいます。ですから、目次欄の人名を眺めているだけでも、酔いがまわってくるようにワクワクと目眩がしてきます。
 わたし、教員免許は持っていませんが、もしコレが学校の出席簿だったらと考えてみました。もちろん彼らが酒飲みになる前の中学生か高校生のとき、しかし、考えてみたら「ゾッ」としました。絶対、担任にはなりたくありません。初日から学級崩壊間違いない。そこで、クラスメイトとしてならどうかと考えてもみました。確かに面白いクラスにはなりそうで、イジメとかも無さそうですが、あまりにも突飛な奴が多いので、どんどん自分の存在が小さくなっていきそうです。そして一番の問題は、果たしてこの人たちが、きちんと学校に来るかということです。
 とにかく、個性の塊の人間が次から次に出てきます。そして彼らの酒にまつわる言葉が、大竹聡さんによって紹介され、わたしも含め、世間の酔っぱらいに贈られているのです。
 一つ一つの項目を読んでいくたびに、登場してくる方々の酒にまつわるエピソードに驚きますが、実は作者である「大竹聡・AKA・酒吞まれ」も、そうとう酔狂な方であることに気づくことでしょう。大竹さんは、酔っぱらいや酒を飲んでいる人を見るのが、とことん好きなのだと感じます。まるで酒飲みを肴に酒を飲むような節があるのではないかとも思えてきました。
 実はわたしも、大竹さんの前で酒を飲んだことがあります。というか一緒に酒を飲んだのですが、話していたら、わたしと大竹さんは東京の外れの出身で、近所であることが判明し、それを肴に、また酒が進みました。その後、わたしはビールを数杯飲み、「さて次は日本酒を飲みたいけれど、どれが良いのか」と悩んでいると、大竹さんは、どんなものが飲みたいか尋ねてきて、答えると、的確なアドバイスをしてくれました。もちろん、酒の薀蓄(うんちく)とかではなく、アドバイスは、なんだか心地のよい音楽のようでもありました。そして、頼んだ酒を飲み、「美味い」と言うと、大竹さんは、自分が飲んでいるかのように笑顔になるのでした。コッチが酒を飲むと、向こうの大竹さんが微笑み、それを見てコッチがまた飲む、はたから見れば、おっさん同士の気味の悪い交流ですが、大竹さんは、酒吞まれでもあるけれど、相当な酒吞ませでもありました。とにかく、酒を飲む人が好きなのでしょう。
 そんな大竹聡・AKA・酒吞まれ・AKA・酒吞ませが、大好きな酒飲みたちを本書に集めました。そして彼らの言葉や、大竹さんの解説を読んでいると、こちらも確実に酒が飲みたくなるのです。
 つまり過去から綿々と続くアルコール摂取人間の橋渡しを大竹さんは本書でやってのけていて、「こんな人たちが、こんなこと言ってんだから気にするな、飲んじまいな」と悪魔のように囁いているようでもあります。いや、もしかすると天使の導きなのかもしれません。たとえば、酒を神とするなら、大竹さんは酒飲みの伝道師であるのか? とも思えてきました。するとこの本は、酒飲みの聖書なのか? などなど、酒飲みの本なのに「伝道師」だ「聖書」だなんぞ、わたし自身が酔っぱらいの戯言になっていますが、現在この原稿を書いている最中ですから、もちろん酒は飲んでいません。本書にも数人出てきますが、わたしは酒を飲みながら原稿を書ける派ではありません。
 人生の困難に出会ったときに用意されている言葉を集めたものが聖書であるとすれば、本書は、酔っぱらいが、どうして酒を飲むのか問われ、困窮したときに言い訳をするバイブルになり得るのではないかと思うのです。ですから、「おい、お前さん、なんで、そんなに酒を飲むんだ?」と言われたときは、本書をペラペラめくり、誰かの言葉を相手に放ったら効果的かもしれません。酒飲みの皆さま、ぜひ実践してみましょう。もしかすると、余計怒られるかもしれませんが。
 さあ、ここまで書いてきたら、そろそろわたしも酒を飲みたくなってきた。それにしても、わたしという人間は、もしくは、あなたという人間は、どうして酒を飲むのでしょう? このことは考えるほどに馬鹿らしくなってくる問題ですが、そんなときは、やはり、この本のページのどこかを開いてみましょう、そうすれば答えのようなものがあるかもしれません。いや、無いかな?
 とにかく酒があれば飲むという人間は、どちらにしろ酒を飲み、そして酔うのです。それで酔っぱらったら、現実から一センチくらい浮いた状態になります。五センチの人もいるし、〇・三センチの人もいる、酔い方は人それぞれですが、わたしの場合は〇・八センチくらいだと思います。
 酔うのは心地が良いけれど、もちろん酔って失敗することもあります。後悔することもあります。それでも飲んでしまうのは酒の謎です。でも、酒飲みに真実なんてものはありません。謎だらけなのです。だからこそ、魅惑的であり、面白味があるのです。そのような言葉が本書には詰まっています。
 そんなこんなで、わたしも、大竹さんの真似をして、まわりの酒飲みたちの言葉を思い返してみました。
 ある酒場で、隣に座っていたおじさんが突然立ち上がり、肩に天秤桶を持っている態(てい)で歩きながら、昔の納豆売りの真似をはじめ、「なっと、なっと~」と叫びだしたことがあります。「なっと、なっと~」以来、わたしは、どういうわけか二日酔いに納豆は良いと思っています。ついでにもうひとつ、あるとき居酒屋の囲炉裏に敷き詰められた丸石を食っている人がいて、「そんなの食ってだいじょうぶですか?」と言ったら「石は食えるんだぞ」と放った言葉、以来わたしの中で、石は食えるものということになりました。もちろん自ら望んで食べることはありませんが、アサリの味噌汁などで、歯の奥でジャリっと嫌な音がしても、「石は食えるんだぞ」が浮かんでくるのです。と、ここまで書いておいて気づきましたが、本書は酒場での戯言ではありません。どちらかといえば、酒飲みが素面のときに酒のことを考えた言葉だから、わたしがいま書いたのはちょっと趣旨が違うかも、すみません。でも大竹さんには、酒場で聞いた言葉というのも大量のストックがあるだろうから、そのような本も今後希望します。
 結局のところ酒は、実体の摑めない人間を形成するようで、酔っぱらうことは死の恍惚に近づこうとする行為でもあるように思えてきました。でもそれで良いじゃないか、酒とはそういうもんだ。
 本書は、酒飲みの伝道師かもしれない大竹聡・AKA・酒吞まれの、酒飲みたちへの愛がつまっているのです。

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