ちくま新書

「生まれ」と教育

出身家庭と居住地域という「生まれ」により教育格差があり、人生の選択肢・可能性が制限される……今月刊行の松岡亮二『教育格差』(ちくま新書)は、その実態を小学校就学前~高校まで検証し、さらに採るべき対策を提案します。さて、ここに一部を公開する「はじめに」は、クイズで始まります。皆様、気軽にチャレンジしてみてください!

†前口上(prologue)
 人には無限の可能性がある。
 私はそう信じているし、一人ひとりが限りある時間の中で、どんな「生まれ」であってもあらゆる選択肢を現実的に検討できる機会があればよいと思う。なぜ、そのように考えるのか。それは、この社会に、出身家庭と地域という本人にはどうしようもない初期条件(生まれ)によって教育機会の格差があるからだ。この機会の多寡は最終学歴に繫がり、それは収入・職業・健康など様々な格差の基盤となる。つまり、20代前半でほぼ確定する学歴で、その後の人生が大きく制約される現実が日本にはあるのだ。
 これは近年だけの話ではない。戦後日本社会には、程度の差こそあれ、いつだって「生まれ」による最終学歴の格差――教育格差があった。高度経済成長期にもあったし、1970年代の安定成長期にもあった。みなさんの感覚とは一致しないかもしれないが、1980年代後半のバブル景気に浮かれた時代にも存在した。もちろん、格差論が注目されるようになった2000年代にもあったし、「子どもの貧困」を扱う報道が珍しくなくなった2010年代も同様だ。そう、戦後日本社会に育ったあらゆる人にとって、教育格差は他人事ではなく、「古き良き時代」が存在したことはないのである。
 生まれ育った家庭と地域によって何者にでもなれる可能性が制限されている「緩やかな身分社会」、それが日本だ。現行の教育制度は建前としての「平等」な機会を提供する一方、平均寿命が80歳を超える時代となっても、10代も半ばのうちに「身の程」を知らせる過程を内包している。「生まれ」による機会格差という現状と向き合い積極的な対策を取らなければ「いつの時代にも教育格差がある」ことは変わらず、わたしたちはこの緩慢な身分制度を維持することになる。それは、一人ひとりの無限の可能性という資源を活かさない燃費の悪い非効率な社会だ。
 ただ、わたしたちは毎日とても忙しい。目の前にある仕事や家事をするだけで時間は過ぎていくし、疲労の蓄積は睡眠を求める。手が空いた細切れの時間を束ねて考えることができるほど、社会や制度の在り方は小さなテーマでもない。どうしても今日考えなければならない理由は特に見つからないし、先送りしても自分や身近な人が実際に吐血して倒れるわけでもない。
 結果的に教育機会格差が存在する社会状況に根本的な変化を求める大きなうねりは発生しないまま、昨日のコピーのような今日が過ぎ去る。そう、このままだったら、また同じことの繰り返しになるはずなのだ。いや、「生まれ」による格差拡大傾向を示す兆しも散見されるから、昨日の忠実な複製であればまだよいだろう。まして、何もせずに格差が自動的に縮小する理由は見当たらない。良くても維持、おそらくは劣化したより厳密な「生まれ」による身分社会になっていく。
 こんな現実の中で教育社会学の研究者である私にできることは、入手可能な質の高い様々な調査データを理論と先行研究に基づいて分析し論文にすることだ。そう信じてアメリカ合衆国で博士号を取得後、2012~19年の間に国内外の学術誌で20編の査読付き論文
を発表してきた。ただ、これだけではいつまで経っても物事は変わりそうにない。そもそも16編は英字論文であるし、同業である研究者に向けて書いているので、一般のみなさんに届くわけもない。
 そこで、過大評価も過小評価もせずに現時点でわかっている教育格差の全体像を一人でも多くのみなさんと共有することで、既視感だらけの教育論議を次の段階に引き上げることができればと本書を執筆することにした。

†本書の構成
 まずは、研究知見をどのように理解すればよいのか、その考え方を手短に解説しよう。その上で、第1~7章にわたって様々なデータを用いて教育格差の全体像を描いていく。
 第1章では、2015年の大規模社会調査の個票データを用いて、どの年齢層であっても
「生まれ」によって(最終)学歴が異なること――戦後、教育格差が常に存在してきたことを示す。ここでの「生まれ」とは出身家庭の社会階層(以下、出身階層)と出身地域のことで、本人が選んだわけではない帰属的(ascriptive)特性を意味する。どのような社会的属性(出身階層・出身地域)を持つ人――「誰」が大卒になってきたのかを確認する。
 第2章は未就学段階(出生~保育所・幼稚園)で立ち上がる格差を大規模追跡調査データによって描く。第3章は小学校、第4章は中学校について、様々な観点で、義務教育であっても出身階層と学校・地域によって、機会と結果に大きな格差があることを提示する。「生まれ」という観点で見ると「公立学校には多様な児童・生徒がいる」のは幻想に過ぎないし、「公私立格差」や「通塾格差」は重要であるが複雑な格差構造の一部分に過ぎないことがわかるはずだ。第5章は学校間格差が大きい高等学校について、データで制度的特徴を浮き彫りにする。「生まれ」と学力に強い関連があるまま高校受験という教育選抜を行うので、結果的に学校間に大きな出身階層格差が生じる。進学校は「勉強ができる」と同時に「恵まれた家庭で育った」生徒の集まりなのだ。
 第2~5章では、このように各教育段階について様々な格差の実態を包括的に描く。近年のデータを用いているが、戦後日本社会で育った人にとって共通していることも多いはずだ。同じテーマについて各教育段階で格差の程度が変わっていく姿を、みなさんが潜り抜けた教育経験を思い出しながら読んでいただきたい。
 第6章では、他国と比較しながら日本の教育制度の特徴を簡潔にまとめ、その上で、国際比較データで日本の教育格差について俯瞰する。日本の義務教育制度が格差を縮小するほどの力がないこと、それに高校教育が世界的に特異であることを確認する。
 時代の趨勢(第1章)、各教育段階の格差(第2~5章)、そして国際比較(第6章)と多角的なデータを踏まえて、最終章である第7章では、わたしたちに何ができるのか具体的に論じる。対策を考える際に土台とすべき観点をまとめ、2つの具体案を提示する。

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