『ドライブイン探訪』刊行記念トーク

橋本倫史×森山裕之
「“モテる雑誌”を作るために」

『ドライブイン探訪』刊行記念トークイベント

2019/2/15にTitleで行われたトークを掲載いたします。

同時代に届けることと、未来に書き残すこと

橋本 『HB』というリトルマガジンを創刊したとき、森山さんにインタビューをさせてもらって、そのタイトルを「モテる雑誌が作りたかった」にしたわけですけど、そのフレーズに僕も何かを託していた気がするんです。それは実際にモテたいとかってことではなくて、雑誌を作る以上は、より遠くに届けなきゃいけないってことをずっと考えていて。 『HB』でインタビューさせてもらったときに森山さんがおっしゃっていたことですけど、『クイック・ジャパン』という雑誌は、タイトルに「クイック」という言葉が含まれているように、街で生まれつつあるカルチャーをいち早く言葉にする雑誌として創刊されたわけですよね。森山さんは2003年に編集長になられて、今の時代に何が可能かと考えたときに、『クイック・ジャパン』をこれまで通称だった『QJ』という表記に変えられて、それはつまり、インターネットがこれだけ普及した今、雑誌にできることは「クイック」であることではないんじゃないかと考えられたということだったと思うんです。そこで何を扱うのかというときに、印象的だったのは2006年に「政治」という特集を組まれたということで。『QJ』が政治特集を組むということはインパクトがありましたけど、それは「今の時代にカルチャー誌を作っていて、政治を扱わない理由がない」ということだったと思うんですね。でも、ただ政治特集を組んでも届かない可能性があるなかで、その号は長澤まさみさんで巻頭特集を組んで、長澤まさみさんが白のタンクトップ姿で表紙を飾っていて、白地に赤で文字を入れて、そこに「政治」という言葉も載っている。その号のインパクトがあったから、『HB』を作っているときは、拙いながらも「どうすれば届くか考えないと」ということを考えていた気がします。

森山 橋本君がさっき「ギョッとさせたい」と言ってたけど、それに尽きる気がします。ミュージシャンや俳優に取材しようとしても、基本はプロモーションのタイミングしか稼働してもらえないんで、主演映画が公開されるとなると、世の中に同じ人が表紙の雑誌が並ぶという現象が起こる。雑誌を作る時、それは何とか避けたかったし、読者を常にびっくりさせたいと思っていました。政治特集も、出したあとで散々色んなことを言われましたけど、普通に触れるものとして、生活や文化の延長線上に政治というものがあるはずだと思った。だから、キャスティングや角度など、色々工夫して、自分たちの身のまわりにあるものとして政治を捉え直したつもりです。政治特集は、『QJ』をやってて途中からずっとやりたかったことの一つでもあったから、あれを作ったことで気持ちが次に行っちゃったところもありました。

橋本 『HB』の最後の号を出したのは2010年の秋だったんですけど、2010年から2011年という時期は、振り返ってみると結構転機だったなという感じがするんです。それは震災のことを言いたいというわけではなくて、森山さんとは『マンスリーよしもとPLUS』でよく一緒にお仕事をしてましたけど、2011年の年始に出たピース特集が最後ぐらいで、そのあとお仕事をする機会が遠のいたんですよね。別に何があったということでもないんですけど、それと近い時期に3年間作ってきた『HB』も出さなくなって、その頃に自分のモードが変わったような気がするんです。『HB』は「“モテる”雑誌を作ろう」と思って作ってましたけど、その気持ちが一回途切れたというか。なぜそうなったのかは自分でもわからないですけど、そんなにライターとしてたくさん仕事をしているわけでもないなかで、「広く届ける」ってことばかり考えていてもしょうがないなと。今の誰かに届かなくてもいいから、自分が今書き残しておくべきだと思うことを、一つでも多く書き残しておかないとってモードに変わったんです。

森山 それで自ら取材して編集して書店に卸す、リトルプレスに力を入れ始めるわけだよね。

橋本 そうですね。ありがたいことに、レギュラーでいただいていた仕事もあるので、そこでお金を得て、あとはひたすら自分が書いておきたいものを追いかけるようになって。最初にドライブインを巡ったのも2011年ですけど、今でもずっと追いかけているマームとジプシーの作品を最初に観たのも2011年の春だったんですよね。

森山 そういうふうにモードが変わった原因は、何だったんだろうね?

橋本 何でしょうね。でも、演劇を――というよりも、マームとジプシーを――観始めたことが大きい気がします。最初のうちは「この人たちの作品は面白い」と思って観ていたんですけど、東京以外で上演されるときも「観にきてくださいよ」と声をかけられて、観に行かない理由がないから観に行くようになって。それがさらに遠くなって、海外公演のときも「観にきてくださいよ」と言われて、それも断る理由がないから、イタリアまで普通に観に行ったんですね。その頃から、せっかくだから書き残しておきたいと思って同行記を書き始めて。そうやって言葉に書き残し始めた頃は、これは一大事になるんじゃないかと思ってたんですよね。今思うと我ながら呑気ですけど、演劇のツアーに誰かが同行して書き残すことなんて珍しいことだから、これは一大事になるはずだ、と。でも、一大事になるどころか、ほとんど反響らしいものはなくて。そこで「自分の活動の意義をアピールしたり、それが多くの人に届くように働きかける」ってことになってもよさそうなものなんですけど、そうはならなかったんですよね。マームとジプシーの活動のスピードが早いってこともありますけど、そんなことをしている暇があるなら、一つでも多く書き残しておかなければ、と。書いておけばいずれ誰かがわかるだろうという気持ちで、ずっと取材してきた気がします。

百年後の読者を想像する

森山 今回のトークイベントは「“モテる”雑誌を作るために」というタイトルをつけていただきましたけど、その「モテる」って言葉の意味が変わった気がするんです。『QJ』をやっていたときは「広く届けたい」って気持ちで作ってましたけど、インターネットの状況も含めて時代が変わっていくなかで、どんどん円が小さくなったというか。そこで今、本に、雑誌にできることを考えると、「記録する」ことに尽きるんじゃないかと。記録したいから本を作っているし、記録したいからこれから雑誌も始めようと思ってます。そこでモードが変わったのが、世の中の変化なのか、自分自身の変化なのか、今日、橋本君と話す中で自分でも確認したかった。

橋本 どっちなんでしょうね。2011年に出会ったものはいくつもありますけど、その一つはシンガーソングライターの前野健太さんで。それまでも名前は知っていたんですけど、そんなに熱心に聴いていたわけでもなかったんです。ただ、地震のあとに高円寺のライブハウスで、前野さんのライブがあって。その時期はライブが自粛になっている時期でしたけど、「このライブはやります」という情報が流れてきたんです。その時期、僕はとても呑気に過ごしていたので、ライブがあるなら観に行きたいってことで、ふらりと観に行ったんです。そのライブで撃ち抜かれて、ツアー先のライブまで観に行くようになって。

森山 編集者の森田真規君が作っている『なんとなく、クリティック』という雑誌で、シンガーソングライターの前野健太さんについて書いてたよね。あの橋本君の文章はすごく好きです。

橋本 ありがとうございます。あれも『ハッピーランチ』というアルバムがリリースされたタイミングではあったんですけど、時間をかけてインタビューさせてもらって。そのインタビューというのも、ツアー先のMCで前野さんがポロっとおっしゃったことが僕の中にずっと残っていて、「いつだかそんなふうにMCでおっしゃってましたけど」と質問したりして。前野さんからすると、ツアー先でふいに口にした言葉なんて、消えゆく言葉であって欲しかっただろうなと思うんですけど、その質問にも答えてくださって、それで書けた原稿でしたね。

森山 それまでも橋本君が自分のことを書いた原稿もあったと思うけど、相手と自分の関係とか、もちろん震災直後のことも書かれていたし、社会や時代のことも含めて、今を記録しようとしていることが伝わってきた。文章でうまく書く/書かないってことじゃなくて、「ちゃんと記録しよう」という強い意思が感じられたんだよね。

橋本 森山さんはスタンド・ブックスという出版社を立ち上げられて、最初に作られた本が前野さんの『百年後』(2017年)でしたよね。「100年後」というのは前野さんの歌のタイトルでもありますけど、それは僕がすごく好きな歌の一つで。あの歌をいろんな土地で繰り返し聞きながら、百年後っていう時間のことを想像してみたときに、今の時代にどう受け止められるかわからないけど、百年後にはきっとこれを必要とする人がいるはずだって確信に近いものを抱いたことは、記録という方向に気持ちが向いていった大きなポイントの一つであるのかもしれないです。

森山 まさに『ドライブイン探訪』も、「そうして書き綴られた言葉が、たとえば一〇〇年後に生きる誰かに届くことを想像する。その誰かに、この言葉たちはどんなふうに伝わるだろう?」という言葉で締めくくられています。僕はスタンド・ブックスで本を作ったあと、「編集後記」みたいなものを毎回ウェブで書いてきたんですけど、前野健太の『百年後』を作った後には「『百年後』は、ゼロ年代後半から2010年代の、今の時代の「東京の空」の下の記録である」と書きました。『QJ』をやっていたときは、常にその時代の新しいものや、それをどのような角度で取り上げるかということを読者に求められていると思っていました。そして、それを自分に課してきました。同時代の前野健太の日記(ウェブ連載「Life」)を読むと、彼が売れなかった時代、毎日労働をしながら、音楽に真摯に向き合いながらようやくファーストアルバムを出す日々が綴られていた。それを読んで、この精神を「残しておきたい」、「記録しておきたい」と思ったんですよね。「モテる」雑誌をと言っていた頃も、雑誌や本を編集するとき「記録」ということは常に頭にありましたが、「モテる」という意味合いが次第に変質してきて、「記録する」という気持ちは今、さらに強くなっている気がします。

仕事論として読む『ドライブイン探訪』

橋本 僕がドライブインを取材し始めた理由というのも、記録しておきたいというのが大きな動機だったんですよね。ただ、いざ『月刊ドライブイン』を創刊するとなったとき、これまでとは違うことも考えるようになって、これまでとはちょっと違う意味で「モテる」ってことを考えなきゃなと思ったんですよね。『月刊ドライブイン』を創刊すれば、ドライブインの店主たちに話を聞くことはできるし、原稿と写真をチェックしてもらって、とりあえず「この形で記録してオーケー」という許諾をもらうことはできるわけですよね。ただ、リトルプレスの形のままで終わってしまうと、百年後という時間を想像したときに、「よっぽどのことがないと、百年後にこの文章を発掘してもらうことはできないな」と思ったんです。この本は僕の表現なんてことではなくて、ひとりひとりに人生を語ってもらった記録でもあるので、もっと広い規模まで届かせる責任がある、と。そのためには書籍化まで漕ぎつけないとということで、読者にギョッとしてもらう方法を考えるようになったんです。

森山 先日、下北沢の「B&B」で橋本君と又吉君がトークしたとき、橋本君が「ドライブインを取材することは、女性がテーマになるってことに途中で気づいた」と話してたでしょう。『ドライブイン探訪』を読んでいると、夫に先立たれた女性が、その後もひとりで続けているケースがすごく多いじゃないですか。それを読んで、皆さん何を思って続けているんだろうってことを考えてしまった。理由は人によって違っていて、「ボケ防止のために続けている」と冗談半分に語る人もいれば、「近所の人に続けて欲しいと頼まれて続けている」という、いわば受け身な理由で続けていらっしゃる方が多かった。そこが、この本を読んでいちばん感じ入ったところでした。

橋本 お店を始めたきっかけを伺うと、これはご本人の言い方をそのままにして話しますけど、「最初は主人が『ドライブインをやるぞ』と言い出して、商売の経験も料理の経験もないまま操業して、主人に先立たれた今はひとりで続けてます」とおっしゃる方が多いんですよね。あるいは、創業したのは両親だけど、自分は長男/長女だから、「せっかく親が始めた店を潰してしまうのは心苦しい」ということで、本当は別にやりたいこともあったんだけど、仕方なく継いだって方も大勢いらっしゃる。僕自身は好き勝手に過ごしていて、行きたい場所に行って会いたい人に会う仕事をしているから余計に、そうやって40年、50年と過ごすっていうのはどういうことなんだろうと考えてしまうんですよね。 それで、『 月刊ドライブイン』 には毎号裏テーマがあったと話しましたけど、 6 号はまさに「 女性」 がテーマだったんです。 それで、『 月刊ドライブイン』 というのはほんとに慌ただしく作っていて、 ひとりで取材してひとりで書いて、 自分で版を組んで入稿して―― と続けてきたものなので、 事前に印刷所に連絡しておく余裕がいつもなかったんです。 それで、 いつものように直前になって注文を出すと、「 いつも使っていただいている、 わら半紙の在庫がありません」 という話になって。「 ただ、 それに近い手触りの紙ならあります」 と言ってくださって、 きちんと確認しないまま「 じゃあその紙でお願いします」 と発注したら、 仕上がってみるとピンク色の紙で。 別に意図があってその色を選んだわけでもないのに、 僕が「 女性だからピンク」 と考えたみたいになってしまって、 ちょっとそわそわした号だったんです。 その6号を作っている時期に、 川上未映子さんが責任編集された『 早稲田文学 女性号』 が出版されて。 その巻頭言を川上未映子さんが執筆されているんですけど、 そこに「 言葉や物語が掬ってこなかった/ こられなかった、 声を発することもできずに生きている/ 生きてきた『 女性』 がいる。 そしてそれらは同時に、『 語られることのなかった、 女性以外のものやできごと』 を照らします」 という言葉が出てくるんですね。 その言葉がすごくまっすぐ届いてきて、 それ以降はその言葉についてぐるぐる考えていたから、 その側面が強くなった気もします。

森山 ドライブインを続けている女性たちは、受け身な選択の中で仕事をしてきたのかもしれないけど、彼女たちが語っている言葉が仕事論としても人生論としても響きました。僕は社会人になって、5年間印刷の営業をやってたんですけど、それは自ら望んだ就職ではなかったんです。それでも一所懸命毎日営業をやっていた頃、実家に帰った時に母親から「仕事というのは御用聞きなんだよ」と言われたことを、『ドライブイン探訪』を読んでいて思い出しました。それは当時、営業の仕事をやっていた自分に向けられた言葉だったんですけど、今、編集者をやる上でも生きる言葉だと実感しています。本や雑誌も、人が求めているものを編集者が察知して作っていくものだと思っています。今回、本になった『ドライブイン探訪』を読み返して、そのことを強く感じました。

雑誌は時代を記録する

橋本 森山さんは今、スタンド・ブックスから雑誌を出そうと準備を進められているんですよね。それはどういう雑誌になるか、方向性は決まっているんですか?

森山 自分がこれまで作ってきた雑誌は、「広告収入で制作費を賄う」というものではなくて――もちろん広告も入ってましたけど――書籍と一緒で、売上で成立するものを作ってきました。週刊誌のような情報を提供するものではなく、書籍として成立する雑誌です。違うのは、本がひとつのテーマで、ひとりの著者であることが多いけど、雑誌は様々な記事を複数の人間が書いているということです。ただ、20年間この業界にいますけど、本の初版部数は落ちました。新刊時の注文数が圧倒的に少なくなったからですが、その大きな要因は書店の数が減りつづけていることです。一方で個人の小規模な書店が全国に増えている。そこでどんな雑誌ができるか、もうここ何年もずっと考えていて、ようやくかたちにするところです。雑誌のいいところは何より、それを言い訳に人に会いに行けることですよね。

橋本 ああ、そうですね! それはドライブインを取材していても思ったことです。雑誌を作っていなければ会いに行けなかったけど、「こんな雑誌を作っているんです」と差し出すから、話を聞くことができて。

森山 あと、記録ということで言うと、本より雑誌のほうがより一層「記録」の度合いが増します。同時代の異なる表現を一つのパッケージにまとめるという意味では、雑誌がいちばんの記録だと思う。それで今、スタンド・ブックスから異なる3つ雑誌を作ろうと思っているんです。まずは今年、『酒場っ子』のパリッコさんと『のみタイム』というお酒の雑誌を始めます。昨日も最初はお茶を飲みながら打合せをして、酒場に場所を替えて終電まで飲みながら打ち合わせをしてました。

橋本 それで今日は二日酔いだったんですね?

森山 安い焼酎で深酒して、今日の午前中は使い物にならなかった(笑)。でも、やっぱり雑誌の話をしてるのがいちばん楽しい。ひとりじゃなくて、複数で作るのもやっぱり楽しい。

橋本 森山さんがまだ前の会社にいらっしゃった頃から、「いつか雑誌を作ろうと思っている」と聞いていたので、楽しみにしてます。

森山 でも今、総合誌を作ろうという感じにならないんだよね。『QJ』は総合誌のつもりで作ってたんだけど、今はそういう気持ちにどうしてもならない。もう一つは文芸誌で、もう一つは漫画雑誌。今、成立する文芸誌とは何か、毎日頭の隅でそのことばかり考えています。漫画雑誌はウェブでやります。ウェブでどう「雑誌」にできるか、「記録」できるか、自分にとっても新しい挑戦です。共に来年(2020年)、かたちにしたいと動いています。

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