82年生まれ、キム・ジヨン

『82年生まれ、キム・ジヨン』の謎を解く――語り手は誰なのか?
『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著 斎藤真理子訳)をめぐる対談

『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著 斎藤真理子訳)について、まだ語られていないことがある。 この本の語り手は本当は誰なのか? その他、仕掛け、翻訳の苦労などについて、本書の翻訳者である斎藤真理子さんと、書評家の倉本さおりさんが語り合う。下北沢のB&Bで2019年1月18日に行われたトークだが、いま明かされる話がある。 現在発行部数13万部(2019年7月現在)の本書は、今後も、映画化、欧米での刊行予定など、今後も話題満載!

■コンセプチュアルな小説

 

斎藤 『82年生まれ、キム・ジヨン』を翻訳した、1960年生まれで、キム・ジヨンのお母さんの方に年齢が近い斎藤でございます。

倉本 私は79年生まれで、ジヨンが大学1年生の時に私が4年生ということになりますから、年齢的にはこの本に出てくるチャ・スンヨン先輩にあたる、書評家の倉本さおりです。今日はもう思いのたけを爆発させましょう。私は細かい部分で気持ちが同期しすぎて泣きそうになって。特に就職して社会に出てからがきつかったですね。たぶん自分もジヨンと同じ選択しちゃっただろうなと思っちゃうから。

斎藤 ジヨンは韓国人の女性としては内省的で、言いたいこともあまり言わずに我慢する性格という設定で、それは意図的にそうなってると思うんです。ジヨンのお姉さんはわりとお母さん似で本音を言うタイプですが、ジヨンは、お姉さんが言ってくれるから黙ってていい。だからいつも言う機会は逃しちゃうけど、なんとかやってきたというタイプですね。

倉本 私の知り合いが夫にこの本を読ませてみたんですって。その人は、世間的にはリベラルな理解ある男性ということで通ってるんですが、これ読んだときに「いやぁ、やりたいことはわかるけど、小説としてはどうかな」みたいなコメントをしたらしくて(笑)。予想通りの返答が来たって呆れてました。

斎藤 韓国でも、男の人たちがこれをディスるときにまず言うのが「文学じゃない」というセリフ。韓国の書店「教保文庫」のレビューでの批判も、「これは小説ではない」というのがとても多かったです。

倉本 小説であると認めた上で非難すると自分の理解が足りないみたいに思われちゃうから、とりあえず「文学ではない」と。いわば土俵の外に置いてしまうことでディスるんですね。

 けれど、そもそもこれぐらいコンセプチュアルに書かないと、社会が変わってこなかったという点は否定できないと思うんです。今まで、ジヨンが抱えているような苦しみを小説の中に緻密にちりばめた小説は日本にも当然たくさんありましたが、その影響によって現実の社会が目に見える形で変わることはなかった。『キム・ジヨン』のように、これぐらいわかりやすく手順を追ってテーマを示してみせたからこそ、韓国で100万部というベストセラーに繋がったんだと思います。

 去年、直木賞をとった島本理生さんの『ファーストラヴ』という小説がありますが、作中で事件の中心となる女性は、小さい頃から「女であること」に対して罪悪感をずっと植えつけられて育っている。その影響で、常に周囲の反応を窺うことが習い性になってしまって、本当のことが話せなかったり、逆に過剰に飾り立てて話したりせずにはいられなくなってしまっているんですよね。そもそも彼女には、自分が受けてきた抑圧を適切な言葉で表現するという機会が与えられてこなかったわけです。

 そうした言語化のプロセスに必要なものをわかりやすく示してくれた小説が『キム・ジヨン』だったんだろうなと思って。少なくとも日本の読者としてはそう感じました。

斎藤 今そういうことを無意識に小説に書けるかと言ったら、やっぱりジェンダーの意識を持ってないと書きにくい時代だと思う。だからこの本はそこだけに特化してます。わかりやすい設定にして、それを語らせる人間としてキム・ジヨンが設定されています。だから反発する人はその設定に反発するんですね、過剰だとか、めったに起きないことばかり起きるのはおかしいとか。それはその設定にまんまと読者が乗ってるというか、キム・ジヨンさんが敷いた土俵に上がってるという感じはします。

倉本 確かに、一人の人生にこれだけの出来事が起こるのはありえないと言われるのはわからなくもないけど、例えば私の友達5~10人集めたら、これぐらいの経験になると思うんです。

 

■韓国の人々に日本での反応が注目された

 

斎藤 筑摩書房からこの本が出る前から、日本のK-POPファンや映画ファンの方たちが注目してくれていましたが、それと同じように韓国の方たちも注目してたんです。日本版が出て2日目に2刷、4日目に3刷の重版がかかりましたが、そのことを筑摩書房の人がSNSに上げたところ、その日にものすごい数の韓国人の意見、ディスる人・嘆く人と、よかったと言う人がSNS上に出てきた。

倉本 『キム・ジヨン』の日本版が出た直後に、日本版のAmazonレビューに書き込んだ人たちの中で多数を占めていたのが韓国人男性と、それに対して反発する韓国人女性だったんですよね?

斎藤 一晩で16人とか18人ぐらい書き込んでくれたと思うんだけど、おそらく全員韓国人なんですよ。日本人はまだ読んでないので、書けないじゃないですか。否定的なレビューを書いた韓国人も、そもそも韓国語でも読んでないけどこの本の存在自体が嫌だから文句を言っておく、みたいな人もいたと思うんですね。韓国はAmazonがない国だから使い方もわからないと思うんだけど、ある程度日本語のできる方が書き込んだり、または自動翻訳機能を使って一生懸命書き込んでました。それだけ熱い。ただ、韓国語話者特有の癖が日本語に現れるのですぐわかるんです。それと、韓国ではこの本は男女間の葛藤を助長するという言い方をするんですが、そのまんまの言説が続けてAmazon Japanに出た。

 

■ジヨンの母のバイタリティーと無力感

 

倉本 男女間の意識の差異をあぶり出したといえば、『私たちにはことばが必要だ――フェミニストは黙らない』(イ・ミンギョン著、すんみ・小山内園子訳、タバブックス)という本も話題になっていますよね。これは男の人に理不尽なことを言われたらこう切り返しなさいという、痛快な会話マニュアルです。その中で、そんなにツンケンするからこっちも喧嘩腰になるんだ、とか、今までうまくやってきたのになんで急に険悪になるんだい? といった男性側の「あるある発言」が引き合いに出される。それに対して、この著者は、今までうまくやってきたと思ってるのはそっちだけで、こっちは最初から仲良くやれてきたとは思っていない、いつも妥協してきたんだ、と言う。胸のすく思いがしました。

斎藤 水面下で飲みこんでいた言葉が、『キム・ジヨン』で言語化されている。キム・ジヨンはマジョリティーの中でも経済的にはやや恵まれてるほうですね。お母さんがものすごく頑張ったから。ジヨンさんのお母さんは1970年代に女工として働いてた人です。今日、ここにちょっと懐かしい本を持ってきたんですよ。『ソウルへの道』(宋孝順著、劉光石訳、新教出版社)という本ですが、82年に韓国で刊行されて83年に日本で翻訳版が出ています。これはジヨンのお母さんが労働者だったころより後、キム・ジヨンが生まれたころの本ですが、労働組合を作っても作ってもすぐにつぶされる時代に、組合を作って頑張った女工さんが書いた本です。その記録が日本でもすぐに刊行されたってことは、一部ではホットな話題だったんですよね。70〜80年代の韓国の高度経済成長の中で、使い捨てされるように女の子たちが働いていた。でもキム・ジヨンのお母さん、オ・ミスクさんがすごいのは、小卒で働き始めて、働きながら高卒資格まで取ったことですね。当時、70年代の工場は女工に徹夜勤務させて効率をあげていました。二交代制で夜じゅう働いて、その後は昼間下宿で死んだように眠る。夜中は眠くならないように、支給された眠気覚ましの薬を飲んで働くという状況です。なので、夜学に行っても眠っちゃって勉強できないという人も多かったそうです。

 シン・ギョンスク(申京淑)という韓国の作家がいますが、彼女は実際に工場労働をしていた人です。その人の自伝的な小説に『離れ部屋』(安宇植訳、集英社)というものがありますが、それを見ると、夜学で眠気と戦いながら勉強している描写が出てきます。オ・ミスクさんが行った工場は、工場の中に夜学の中学がある。そこを出た後、自力で高卒資格まで取るというバイタリティーがあり、また頭のいいお母さんがいてこそのキム・ジヨンだということはありますね。

倉本 このお母さんは奥行きのある人物として描かれていますよね。本当は自分が大学まで進学して教師になりたかったんだけれども、中学を卒業する前に女工として働いて、その間に貯めたお金を全部、兄二人に注ぎ込んで大学に行かせた結果、彼らは医者と警察署長になることができた。ところが、彼らがお金を稼げるようになったときに、妹たちに返すんじゃなくて末っ子の弟に投資する。

斎藤 でもそれは当時、自然なことであったし、日本でもかつてそういうことはいっぱいあったと思う。そういうことをして一族が階級上昇したわけです。お母さんは策士だし頼もしい女性なんだけど、そういう母がいても、今の時代のキム・ジヨンの悩みは救ってやれない。その無力感がよく描写されてますね。

倉本 日本の男性作家も「肝っ玉母さん」を書くことがわりと多いのですが、その場合はたいてい賛歌で終わっちゃう。その「母」が担わされてきた苦労が「娘」にどんな形で影響を及ぼしうるのか考えさせるところまではいかないんですよね。

斎藤 そうですね。それでお母さんのオ・ミスクさんが肝っ玉を発揮してもどうにも救ってやれないから、キム・ジヨンにそのお母さんの生き霊が憑依するわけですね。

 キム・ジヨンのお母さんは、不動産を転がしてどんどん儲けていきます。この年代の女性には、都市再開発の時にチャンスを摑んでお金を貯めた人がたくさんいますよ。例えばサウナに行って、近隣の女性たちから情報を集めたりしながら有利に資産形成をしていく。そういう姿を、この本の解説を書いてくれた伊東順子さんがつぶさに知っていて、『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)にたくさん書いたのですが、とても面白いです。そういう女性は発言権もあるし、夫にもガンガン意見します。日本のように節約だけしているような妻は、あまり有能な妻ではないんですね。韓国は、女性がそれだけ有能に動けることを知ってる社会なんだけど、それを絶対に公には認めない二重構造だといえると思います。ただ現実には、女性の力はやっぱり凄まじいと思う。IMF経済危機で国家財政が破綻した後、キム・ジヨンのお母さんみたいな女性たちがどれだけ努力したか。小金を集めて、一族の誰かがお店や会社をやるというときの協力の仕方というのは凄まじいものがありました。この本はそういった社会的背景にはあまり踏みこみすぎませんが、当然、社会の雰囲気の変化は出ている。お父さんは公務員で毎日安定した仕事をこなしていくのに向いてる人で、お母さんは事業家タイプなんですよね。だからそれぞれ適材適所の夫婦です。

倉本 またキム・ジヨンが職場で出会う女性課長もすごく良い上司なんですよね。ただ課長ひとりじゃどうにもならん状況という。

斎藤 個人がどんなに努力をしても限界がある。その限界を可視化させている。

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