海をあげる

きれいな水

 女性は自分のことを、「艦砲の喰ぇぬくさー」だと私に言った。艦砲射撃という化け物が人間を喰い散らかしたあとに残った残骸という意味だ。
 女性は母親とふたりで名護市の嘉陽(かよう)にある捕虜収容所に連れて行かれ、そのあと、宜野湾市の野嵩(のだけ)にある捕虜収容所に連れて行かれた。捕虜収容所を解放されたあと、壊滅していた自宅の敷地にバラック小屋を建てて、女性と母親は暮らし始めた。女性の戦後は、そこから始まった。
 戦争が終わって2年たったころ、女性の婚約者が戻ってきたが、あまりにも「よーがりていた(瘦せ細っていた)」のでだれだかわからなかった。それでも女性はその婚約者と結婚して看病し、花を育てて基地に売り、土地を開墾して菊の花を育てて生活してきた。
 戦時から戦後へとわたる歴史を聞きながら、戦場を逃げまどう時間が3カ月も続いたことに気がついて、「生理とかはどうしていたの?」と私は聞いた。男性が、「おしめでしょう、おばあ?」と聞くと、女性はかぶりをふって、「そのときはあんまりなかったよ。あれ(爆撃)で止まるのかしらね?」と話す。「捕虜になって、こっちに戻ってきてから生理も戻ってきた?」と尋ねると、「あんまりなかったさ」と女性は言う。
 3カ月ものあいだ、どこに逃げたらいいのかわからないまま女性は逃げていた。逃げる前も逃げるときも十分な食べ物はなかった。逃げ惑う先々で家族はひとりずついなくなった。飢えと恐怖で生理は止まるだろう。私はやっぱりなにもわかっていないのだと話を聞く。

                   *

 あれから何度か、女性の家を訪ねている。
 甥や姪や娘を引き連れて女性のうちを訪ねたのはちょうど人参の収穫期で、女性は「畑に入って自分で取りなさい」と子どもたちに声をかけた。
 歓声をあげながら人参を収穫している子どもたちを縁側から眺めていた女性は、帰り際に私を呼びよせて、「子どもたちにおやつを買いなさい」とお金をくれた。「こんなのもらえないです」と私が驚いて言うと、女性は「なんで! もらって!」と、大きな声で私に言い、そばにいた男性が、「えー! もらっておけ! もらわなかったら、おばあ、怒るからさぁ!」ともっと大きな声で私に言った。これはもう甘えてしまおうと思いなおし、子どもたちをずらりと並べて、「ありがとうございます」と私もまた、大きな声でお礼を言った。
 こういうふうにもらったお金は、なにかの記憶として残しておかないといけないと思って、帰り道でアイスクリーム屋さんに立ち寄った。
 アイスクリームのショーケースを前にして、「おばあちゃんのプレゼントだから、自分の好きなアイスクリームを選んでいいよ」と子どもたちに言うと、「かーちゃんと半分こ?」と娘は聞いた。「おばあちゃんからもらったお金だから、風花もひとりで食べていいよ」と言うと、娘は「ひとりでぜんぶ食べていいの」と目を丸くした。その日、娘はひとりでいちごのアイスクリームをぜんぶ食べて、夜になってから巨大なアイスクリームの絵を描いた。

 あの日の娘の記憶は、たぶんもう、人参とアイスクリームだけになっている。私たちを招き入れてくれた柔らかい土の畑は、戦争のあと、あのひとがもう一度つくりあげた場所であることをどのように娘に教えたらいいのか考えあぐね、結局、なにも教えることができないまま時間がたった。
 地形が変わるほどの爆弾が撃ち込まれるのが戦争だということを、子どもたちが次々と亡くなるのが戦争だということを、子どもと自分はいつまでも一緒だと告げて亡くなった母親がいるのが戦争だということを、飢えと恐怖で生理が止まるのが戦争だということを、そして、あのおばあちゃんはそれらのぜんぶを体験したあと、もう一度、あそこで土をたがやして生きてきたのだということを、娘にどのように伝えたらいいのか私はまだわからない。
 恐怖で眼を見ひらく娘に、戦争があったのはほんとうにはるか遠く、これはむかしむかしのお話だと、いつか私は娘に言ってあげられるのだろうか。いまこうしているあいだにも、自然壕のなかでは水は休むことなく湧き出ていて、光る水面を飛ぶカワセミを一緒に見ようと娘を連れて、ここはとてもきれいな水のあるほとり、だから風花はなにも怖がることはないと、私はいつか娘に言ってあげることができるのだろうか。

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