高橋 久美子

第13回
白い地下足袋

エッセイ集『いっぴき』(ちくま文庫)も絶好調、また絵本翻訳でも注目を集める作家・作詞家の高橋久美子さんの連載コーナー。彼女にしか紡ぐことのできない言葉たちで、日々の生活を鮮やかにエッセイや小説に仕立てます。〈作家・高橋久美子〉の新しいスタートを告げる連載は毎月第4水曜日の更新になります。


 フランクフルトが鉄板の上で飛び跳ねていた。
「ケチャップかけます? マスタードは?」
 長蛇の列は商店街のゲートの辺りまで続いている。
「旺ちゃん、新しい袋開けて。あとケチャップ足りないから買ってきて」
「あちっ。油はねるのどうにかならないかねえ」
 旺ちゃんは、うんざりするほど見てきた業務用のそれを鉄板にぶち込むと、油まみれになった肌襦袢のままコンビニへ走っていった。
 秋祭り、私たち夫婦は昨日からずっとフランクフルトを焼き続けていた。一昨年までは神輿を担いで帰るだけだったのが、つい調子にのって実行委員の打ち上げに出てしまい、商店街のバザーの手伝いをすることになってしまったのだ。去年はラムネ係、そして実行委員の金髪リーダーが言うには昇格して今年は花形の焼き物係を仰せつかってしまった。
「どうもー、お世話になりますー」
「ああ、斎藤さん。ご家族みんなでいいですね。何本にしましょうか」
「十本で」
 信じられない。四人で十本も食べるなんて。
「ケチャップはかけます?」
 いらないと下の子は言ったが、上の子はいると言って喧嘩しはじめた。
「じゃーあー、ケチャップありが四、なしが二、ケチャップとマスタード両方が四で。マスタードのだけ別のパックにしてもらえる? ごめんねー」
 子どもを左右に連れた斎藤さんの顔、全く悪気なさそうだ。私がもし母親だったらこの状況見て同じようにはできないなあ。いや、いざとなったらするのかなあ。斎藤さんは商店街の水色のチケットを十枚切って渡すと、スマホをいじる旦那を肘でこづいて、パックを受け取らせた。
 新調したばかりの白い地下足袋が油でぎとぎと。私たちにフランクフルト大使を命じた金髪リーダーたちは、さらしを巻いた祭り女たちとビールを飲み飲みいちゃついている。同い年だというのに元気なことで。
「ごめんごめん、どこもケチャップきれてて何軒も回ったよー」
「旺ちゃん、おつかれ! 新しいの足してもらっていい? ねえ、そういえば二階堂さん来ないよね。あの人もフランクフルト係じゃない?」
「確かに遅いねえ……」
 油の跳ねる音の向こうに、子どもたちの歓声が聞こえる。
「暑いのにご苦労だね。一本お願いできる?」
 肉屋のおばさんが、わたがしを持った男の子を連れてきている。こんなに小さい孫がいたのか。
「あれ? お菓子拾い、ほら今やってますよ。行かなくていいの?」
 私はトングで賑やかな方を差しながら五歳くらいのお孫さんに尋ねた。
「ああ、あれね、先にもらっちゃった」
 ぺろっと舌を出しながら、おばさんはトートバッグの中の菓子の袋を見せた。
「こんなに暑い中走らせるのも危険じゃない。ねえ」
 おばさんは、旺ちゃんからパックを受け取ると孫と帰っていった。
 歩行者天国になった道路に並べられたお菓子袋めがけて、子どもたちが走り出し、母親たちが携帯で写真をとっている。
「あのお菓子、僕らが詰めたやつじゃん。みんな喜んでる。良かったね」
 旺ちゃんが、フランクフルトを転がしながら気持ちのない顔で言った。言いたいこと言えばいいのに。
「そだね、良かったね」
 私も言いたいこと言えばいいのに。
 あの菓子の袋を作ったのは、この私でーす。と叫んでやりたかった。
 一昨日の夜、集会所に集まってほしいと言われたので行ってみて驚いた。集まっていたのは保護者でも、祭りの中心的若い衆でもなく、ボランティアが好きそうなおじいさんおばあさんばかりだった。そこに、比較的暇そうな私たち夫婦も招集されたらしかった。うまい棒サラダ味、コンソメ味、蒲焼、コアラのマーチ、マシュマロ、じゃがりこ……作業台の上に並べられた箱入りの駄菓子を一つずつ取ってナイロン袋に詰めていく。地味だ。ひたすら地味だ。まじめだから誰一人つまみ食いする人はいないし、無駄口一つ叩かない。十五人ほどのメンバーで三百袋近く作った。
 帰り際、自治会長の野田電気のおじいちゃんが「君たちがいつも来てくれるからほんとに助かるよ」と一袋差し出してくれた。ちょっと前まで子どもだった年齢でもないし、子育て中でもない。嬉しいのに切ないのは何でだろう。子どもがいないのに手伝ってくれてありがとうなんて言われてもないのに。傷ついたとしても、いちいち言わないし、でもすぐ消せる年齢でもなくて、わりとヒリヒリしたまんまの夜だった。夜道を、二人でうまい棒を食べながら帰った。

 フランクフルトもようやく残り十袋を切った。「ケチャップとマスタードかけますか」の聞き過ぎで喉ガラガラ。どうせ潰すんだったら、もっとましな言葉で潰したかった。
「おうおうおう、遅れてすまんかったな。あっちの商店街で提灯が落ちてるて連絡あったから直しに行っててなあ」
 真っ黒に焼けた長身の二階堂さんが、オールバックにした頭をぴょこぴょこ下げながらやってきた。鳶職の二階堂さんは、祭りの設営でも一役買っているのだ。
「二階堂さん、お疲れ様です。来ないのかと思っちゃいましたよー」
「ほれ、ビール飲みや。くすねてきた」
「えっと、飲んでも……いいんですか?」
「当たり前や、こんなタダ働き。やってられんだろ」
 長半纏から出た屈強な腕で私たちに生ビールを渡すと、二階堂は豪快に笑った。確かにさっきから酒屋の外にビールサーバーが出現していて、地元の人達が代わる代わるに飲んでいるなとは思っていたが、私も旺ちゃんもこういうの便乗できないタイプだ。
 二階堂さんは、みんなからニイさんと呼ばれて慕われも嫌われもしない不思議な人だった。金髪リーダーたちとも話はするが特に群れたりはしないし、打ち上げにも参加してないと思う。昔はこの街に住んでいたそうだけど、今は仕事の関係で川崎に住んでいると言ったかな。ニイさんはフランクフルトにマスタードをたっぷりかけると、かじりついた。
「ニイさん、それ、駄目。ただでさえ残り少ないし、この行列見えてますー?」
「なくなったら他いくやろ。あんたらは商店街で商いしてる人やったかね?」
「いえ、私たちは普通のサラリーマンですよ」
「やろ。俺もやねん。商店街のために頑張ってるんやからガンガン食ったらええと思うで」
 すごい。誰も言ってくれなかったことをさらっと言ってのけた。全くその通りだ。人のためと思って頑張りすぎるから、どんどん卑屈になるんだ。
 私たちは二日目にして初めてフランクフルトを食べた。ぶ厚い皮が前歯にはじけて中から油が出てきてビールと一緒に食べるとなんだか清々した。美味しいんだな、祭りで食べるフランクフルトって。ニイさんは調子にのって隣の焼き鳥と交換し始めた。同じように生真面目な焼き鳥担当も最初は驚いていたが、ついにフランクフルトを頬張り始めた。
 二杯目のビールと焼き鳥を食べて、やっと祭りの気分になってきたぞ。「後は俺に任せて二人で出店を見てきな」とニイさんが言うので私たちは、商店街をうろついた。そして、神輿が出てくる頃にはすっかり五百本のフランクフルトもはけてしまった。

 六基の神輿が商店街の中央に集まると、商工会の理事長が挨拶を始める。羽織袴にカンカン帽を被った晴れ着姿の老人たちも、神輿の先頭の花棒を狙う若者たちも、バザーのあたりにはいなかった人たちで、私は挨拶を聞きながら、高校時代を思い出していた。やっぱり自分も旺ちゃんもあの頃から何も変わってなくて、いつも文化祭の末端で働き、美味しいところはこの人たちに持っていかれるのだった。挨拶も終わりいよいよ開始の合図を待っていると金髪リーダーが私たちの所に走ってきた。
「旺太さんたちさ、悪いんだけど駅前で今から木遣唄(きやりうた)があるから、行ってきてくんない。聴く人が足りないらしくってさ。ごめんね、退屈なんだけど、ま、立ってて唄聞いてりゃいいだけだから。よろしくー」
 そう言うと、同じくらい眉毛の細い地元の友達と肩を組んで騒ぎ出した。きた。やっぱそうなるんだ。何が何だかわからないけれど、すぐ始まるというので旺ちゃんと私は駅まで走る。
 七年前に旺ちゃんの転勤で静岡から東京に引っ越してきて、子どもができたときのことも考えて地域に入ってみることにした。もちろん悪い人はそういない。みんな親切だしすぐ仲間に入れてくれた。でも東京にも地元民っていう考えがちゃんとあって、数的に地方出身者の方が多い東京においてむしろそれは、地方よりももっと強いのかもしれなかった。人当たりは良いが、ちょっとやそっとじゃ奥には入っていけなかった。面白みもなく、子どもを持たない四十五歳の夫婦が、地元という壁を突破するのは思ったより難しかった。
 息を切らして到着した駅前、がっちりよく焼けた男たちが整列している。この地域のではない緑の半纏を着た男たちは滔々と語るように、歌いだした。唄というよりは、俳句のような七五調のリズム、どこかで聴いたことのある懐かしい音律。電車と噴水の音を包み込むように、二人を解き放つようにその声は優しかった。
 子どもたちが泣き叫び、おばさんは立ち話をし、犬は喧嘩をし、聴こうとする人は誰もいなかった。それでも、今、世界中で二人の心だけにはちゃんと届いている。ばらばらの空気が束ねられ、しゃんと背骨が自立していくようだった。体の中を唄が巡って、溜まっていた淀みの蓋が開き、静かに流れ出ていく。私は私でしかないのだった。
「ね、あれ二階堂さんじゃない?」
 旺ちゃんが私の耳元で言った。
「ほんと。ニイさんだ。真面目な顔して歌ってる」
 ニイさんは一番うしろの列の真ん中で、ときどき首を捻りながら気持ちよさそうに歌っていた。さっきまでとは別人のように、いや逆だ、ちっとも変わらないんだ。ニイさんは自分のやりたいことをやっている。自分の方法で地元と接点を見つけて無理なく遠慮なく。こういう子、確かにクラスにいて、いつも助けられていたなあ。

 終わって周りを見渡すと、お菓子を詰めにきていた人ばかりでなんだか可笑しかった。学生時代からずっと、この人たちも学祭の準備ばかりを続けてきた人生なのだろう。特に「不平等だ」などと声をあげることもしないで、よく馴染んだ革靴みたいにこのポジションを全うしてきた人々だ。私は同志達と目を合わせると、ふふふっと笑い合った。
 あれ、ぽってりしたお腹とあのまんまるメガネ。笠かぶってたから分からなかったけれど、木遣集団の先頭で裃姿に扮して歌っていたのは、自治会長の野田電気のおじいちゃんだったみたい。
「やあ、君たちも来てたのかい。」
 私は挨拶のついでに木遣唄の由縁を聞いてみた。
「木遣唄は元々は鳶職の人たちの仕事の掛け声だったんだよね、そこからお祭りや婚礼なんかの祝の席で歌われるようになって。うちの街にも昔は木遣の会があってさ、おじさんも歌ってたの。いい声してたでしょ。十年ほど前うちの会はなくなってしまって、今は毎年、川崎から来てくれるんだわ。やっぱり締まるでしょ。祭りってのは楽しいのは無論かまわんですけど。始まりと終わりが大事だからね」
 三分おきに電車が到着し、祭りを知らない人の群れが改札から吐き出され、私たちの半纏姿を珍しそうに眺める。さっきの唄の欠片がまだふわりふわり浮遊していて、駅全体が清められている感じがする。野田電気のおじいちゃんが言うのは、きっとこういうことなんだろうと思った。
「なーにやっとんのあんたら。もう神輿出たんちゃうか? こんなとこに来てたらあかんやん」
 ニイさんが私たちを見つけて駆け寄ってきた。
「ニイさん格好良かったですよー。こっち来て得しました」
 旺ちゃんがそう言うと、ニイさんは恥ずかしそうにオールバックの横髪をなでつけてはにかんだ。何だか学園祭の帰り道みたいにすっかり満たされてしまった。神輿が出てしまった商店街は誰もいなくて、私たちは酒屋前のぬるいビールで乾杯する。
でもやっぱ少しだけでも神輿が担ぎたいよね、と、遠ざかっていく祭り囃子を油でベタベタの白い地下足袋で追いかけた。

関連書籍

こちらあみ子

高橋 久美子

いっぴき (ちくま文庫)

筑摩書房

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入
こちらあみ子

エイミー・クラウス・ローゼンタール

ディア ガール おんなのこたちへ

主婦の友社

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入
こちらあみ子

スーシー

パパといっしょ

トゥーヴァージンズ

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入