ちくま新書

なぜ信長を殺したのか?

”謀反人”の人生から戦国ミステリーを読み解く

日本史最大のミステリーとも言われる本能寺の変。主君殺害にいたるまでの、明智光秀の人生はどのようなものだったのでしょうか。8月刊ちくま新書『明智光秀と本能寺の変』の冒頭を公開します。

 天正十年(一五八二)六月二日、織田信長は明智光秀の急襲により、自害に追い込まれた。本能寺の変である。光秀が信長に叛旗を翻した理由については、未だに不明な点が多く、本能寺の変は日本史史上最大のミステリーといわれている。

織田信長

 謎が多いのは本能寺の変だけではない。光秀の生涯も同じである。
 光秀の生涯が明らかなのは、後半生のわずか十数年に過ぎない。どこでいつ生まれたのかもはっきりせず、若き頃の姿は後世に成った史料にしかあらわれない。光秀の前半生に謎が多いことは、本能寺の変のミステリー性を際立たせている。
 本書は光秀の生涯を軸としながら、信長、足利義昭、朝廷などの動向を交えつつ、本能寺の変に至る経過および結果を述べたものである。

明智光秀


 その際、もっとも注意したのは、史料の問題である。史料には、同時代に作成された一次史料(古文書―書状など、記録―日記など)、そして後世に編纂された二次史料(軍記物語、系図、家譜など)がある。歴史研究では一次史料を重視し、二次史料は副次的な扱いになる。二次史料を使用する際は、史料批判を十分に行う必要がある。
 ところが、こと本能寺の変に関しては二次史料への批判が甘く、特に歴史史料に適さない二次史料であっても、「この部分だけは真実を語っているはずだ」という思い込みで、安易に使用される例が散見される。
 これに伴って難しい問題なのが、史料の誤読である。人間のやることなので誤りはやむを得ないが、明らかに解釈を間違っていて人から指摘されても、誤読した状態のままで押し通す例も見られる。
 もっとも重要な問題は、首を傾げたくなるような論理の飛躍や、推論に推論に重ねた暴論である。満足な史料的な裏付け、あるいは状況証拠による蓋然性がないにもかかわらず、突拍子もない論理展開で新説を導き出す例が見受けられる。結論が奇抜であればあるほど、世間的には「おもしろい!」と受け入れられてしまう現状がある。
 二次史料の批判の甘さ、史料の誤読、論理の飛躍、推論を重ねた暴論を行うのは、自説を有利に運ぶためだろう。当然、読者は歴史研究の専門家ではないので、それが正しいのか誤りなのかはわからない。
 本書は二次史料に対しては、やや辛口である、光秀の前半生については二次史料を使わざるを得なかったが、従来説とは異なった見解を示している。また、随所に史料解釈の相違や従来説への批判を提示した。その点に留意しながら、読み進めていただけると幸いである。

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