ちくま新書

三大感染症と戦う国際機関に学ぶ「最強の組織」とは

HIV、結核、マラリアの三大感染症と戦う「グローバルファンド」はどのようにして生まれたのか? 戦略局長としてジュネーヴを拠点に活躍する國井修氏の組織論、「はじめに」を公開いたします。 

「世界最強の国際機関」の誕生

  一九九〇年代に世界中で猛威を振るい、多くの国の存亡まで脅かしたエイズと結核。
 年間何億人にも襲いかかり、特に多くの子どもや母親の命を奪ってきたマラリア。これら三大感染症による死者数は、二〇〇〇年当時、年間五〇〇万人以上にのぼり、ボーイング七四七型ジャンボジェットが毎日二三機墜落するのに匹敵するといわれた。保健医療の領域を越えて、政治・社会・経済を混乱させ、人類の未来を脅かすこれらの地球 規模の課題を解決するため、当時の国連事務総長コフィ・アナンらの呼びかけで設立され、元マイクロソフト共同創業者ビル・ゲイツ、世界的ロックバンドU2のボノなど、多くの人々の絶大なる支持を受けている組織が「世界エイズ・結核・マラリア対策基金(The Global Fund to Fight AIDS, Tuberculosis and Malaria)」、通称「グローバルファンド」である。
 グローバルファンドは世界中から調達した資源(資金、物資、技術)を、必要とする国々のニーズに応じて配分し有効活用して、リターン(感染症の予防、死亡の低減)を得るという一連の活動を投資と考え、その効果と効率を最大化するためのメカニズムを創り、稼働させ、進化させてきた。過去一六年間で調達した資金は約五〇〇億ドルにのぼり、近年の年間予算は四〇億ドルを超える。これは世界保健機関(WHO)の年間予算の約二倍で、国際機関の保健医療援助額としては最大である。
 官民連携を超える「二一世紀型パートナーシップ」という新たな形のビジネスモデルを展開し、「グローバルヘルス分野のイノベーション」とも呼ばれてきた。ビル・ゲイツは、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事で「私が行った最高の投資」の一つと述べたが、グローバルファンドが世界にもたらしたインパクト、その透明性や説明責任の高さは国際的にいくつもの高い評価を受け、「世界最強の国際機関」の一つとも称されている。
 私は現在、この組織の約一〇人の幹部の一人として執行部会や理事会に出席し、戦略情報部、 技術支援・連携促進部、コミュニティ・人権・ジェンダー促進部など五つの部を統括している。
 私以外の幹部は、マッキンゼーを含むコンサルティング会社、セーブ・ザ・チルドレンを含む国際NGO、バンク・オブ・アメリカ、ノバルティスなどのグローバル企業、世界銀行、WHOなどの国連機関、米ホワイトハウス、英・仏などの中央政府、ハーバードを含む大学・研究機関など、各分野で「最強」と呼ばれる組織の幹部や重役を経てきた。
 彼らとの毎週の議論は刺激的である。「このパートナーとのローン・バイ・ダウンを実施すれば、一対二〇の投資対効果(ROI)が期待できて、この国に四〇億ドルの新たな保健医療投資が生まれる。三つのリスクがあるが、これをとるか、とらないか。」 「この治療薬は薬草からの抽出物をベースに製造しているため、その生産高に左右されて国際 価格が変動してしまう。短期的には共同調達メカニズムで調達価格を安定化させるが、中長期的には市場協創の仕掛けをしてみよう。」
 など、私が以前のように病院で医師として働いていたならば、口にすることのないような話題を、毎日のように熱く議論している。
「最強の組織」「理想の組織」に近づけるにはどうすべきか。より多くのリターンを生み、社会的なインパクトを与える組織にするにはどうすべきか。多くの知見と示唆を与えられている。
 本文でも説明するが、グローバルファンドの理事会には、世界銀行、国連合同エイズ計画 (UNAIDS)などの国際機関、日本を含む先進国および開発途上国の政府、保健医療分野で 世界を牽引するグローバル企業やビル&メリンダ・ゲイツ財団(以下、ゲイツ財団)、大手国際 NGOなど、世界中から様々な組織・団体の代表・幹部が集まる。
 その中で、多くの難題が事務局に提起される。我々はそれらを事務局内で、また様々なパートナーとともに検討し、方向性やオプションを決めてから理事会に報告をするのだが、理事会 の休憩時間にコーヒーを飲みながら、その難題に対する理事会メンバーの意見を聞いてみると、「うちの組織でも検討したのだが、わからない。だからグローバルファンドに期待しているんだ」という答えが返ってくることが多い。つまり、現在、最強ともいえる民間・公的組織でもわからないことをグローバルファンドに実現してもらおうというのだ。
 理事会での議論は、国際社会が何を求め、世界がいかなる方向に進んでいこうとしているのかを知るのにもいい機会である。我々は感染症パンデミックという課題を扱っているが、国境を越える地球規模課題の解決には、関連するステークホルダーの連携・協力が必須であるという共通項がある。口で言うのは簡単だが、実践するのが困難な連携・協力をどう具体化するか。 理事会での議論やグローバルファンドでの仕事はとても刺激的である。

答えのない課題を模索する

 これらの経験と知見を基に、本書には「世界最強組織のつくり方―感染症と闘うグローバルファンドの挑戦」という、挑戦的な題名を付した。
 グローバルファンドは、いかなる組織も単一では実現し得ない夢を実現するために、大きな期待を背負って創られた組織である。世界から多大な支持と支援を受ける一方で、国を救い、世界の未来を変えるための成果、理想の実現を求められてきた。そこには解決策が未だに示されていない課題も多く、そのため各界の頭脳を世界中から集めて、答えを模索する作業が行われている。「世界最強の国際機関」となることを求められ、それを追求しているともいえる。
 その意味で、本書はグローバルファンドとは何か、この組織の挑戦を伝えることで、営利・ 非営利に関わらず、大きなミッションを担って動いている組織、大きなゴールに向かって走っている機関に対して、いくつかの示唆を与えられるものと信じている。
 特に、国内外を問わず、非営利組織、公的機関で働く人々、社会貢献に関心のある人々に対しては、民間企業がもつ「投資」という概念の重要性、成果やインパクトを測って示すことの必要性、バリュー・フォー・マネー(VfM)の概念などは参考になるだろう。
 一方、営利企業に勤める人々、金銭的リターンに関心のある人々にとっても、近年は、「企業の社会的責任(CSR)」「共通価値の創造(CSV)」、「環境・社会・ガバナンス(ESG)投資」のように、企業と社会・世界との結びつきを無視できない時代となっているため、本書 には「持続可能な開発目標(SDGs)」のようなグローバルな目標と企業の目標や事業とをどのように調和させるか、その目標達成のためにいかなる努力や配慮が必要かなども記した。さらに、グローバルな組織と日本の組織との様々な違いについても述べており、参考にしてもらえることは多いと思う。

本書の構成

  本書は七つの章で構成されている。第一章では、世界最強の組織がなぜ必要とされ、創られたのか。なぜ既存の組織ではだめだったのか、地球規模の課題とそれに対する世界の対応を振り返ってみたい。
 第二章では、世界最強の組織にはなぜ「ビジョン、ミッション、目的、戦略、実施計画(VMOSA)」が必要なのか。また、それらをいかに紐解き、組織の隅々、個人の行動・パフォーマンスにまで浸透させる必要があるのかを説明する。
 第三章では、組織間の連携・協力、真の意味でのパートナーシップについて考え、官民パートナーシップを超えた「二一世紀型パートナーシップ」とは何かを説明する。
 第四章では、グローバルヘルス分野の国際機関としては世界最大の資金を調達し、また「革新的資金調達」も推進しているグローバルファンドの資金調達戦略とその資金活用について説明する。また、世界で最近トレンドともなっている「バリュー・フォー・マネー(VfM)」についても解説する。
 第五章では、組織の成果、インパクト、パフォーマンスを示すこと、それらを最適化、最大化することの重要性とその方法について説明する。
 第六章では、世界最強の組織にするために、いかに優秀な人材を集め、育て、活用すべきかを検討する。グローバルファンドの事例を示し、今後、日本人がグローバルに活躍するために必要なアドバイスも加えた。
 第七章では、未来を創るためにいかなる仕掛けを作っていくべきか、日本への期待を込めて説明する。
 世界の開発問題や地球規模課題に関心のある人のみならず、日本国内の社会問題に関心のある人にもぜひ読んでいただきたい。
 本書が、組織の利益と社会の利益、そして未来のニーズや可能性との結びつきを考えて、組織のリーダーシップやマネジメントをもう一度見直す機会を与えることができれば幸甚である。世界を見ていると、日本の良さも悪さも見えてくる。私は日本人として、開発途上国だけでなく、日本社会の未来にも何らかの貢献をしたいといつも思ってきた。グローバルファンドの学びや進化が、グローバルな経験が、日本の課題解決のため、さらに日本の素晴らしい未来のために、活用できれば幸いである。

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