ちくま学芸文庫

正統ゆえに柔軟なみごとさ

文庫版解説

7月刊行のちくま学芸文庫『新しい自然学』(蔵本由紀著)から、中村桂子先生による文庫版解説を公開します。

 非線形科学の解説など書けるはずもない。著者蔵本さんはそれを充分承知したうえで、この本への思いを書けばよろしいというお許しを下さった。それをありがたく受けて筆を進めていく。

 自然科学という言葉があるように、「科学」という学問は、自然、つまり宇宙、地球、生物を知りたいという思いから生れたものである。自然を知りたいという思いは、恐らく人間の本性から出るものであり、人類誕生の時からあったのだろう。その中で、17世紀のヨーロッパで近代科学が誕生し、今やそれが自然を知る唯一絶対の方法であるかの如く思われるようになった。近代科学の意味の大きさは改めて言うまでもない。けれども、三百年以上の実績を踏まえたうえで、そろそろ自然を知る学問を問い直す時が来ていると多くの人が実感しているのではないだろうか。もう少し正確に言うなら300年間の実績が新しい展開を求めているという実感である。

 新しい学問を創るのは難しく、簡単に答えの出るものでないことはわかっているが、とにかく一歩を踏み出す時だと思う気持は強い。そこで重要なのが切り口である。本書は、物理学という近代科学の王道を踏みはずさないという強い意志の下、非線形科学という明確な切り口で書かれた「新しい自然学」へ向けての一歩であり、今まさに求められている書である。小さな声でつけ加えるなら、私は「生きる」という現象を、ゲノムという切り口で捉えることで同じことができないかと考え「生命誌」を始めているので、本書から学ぶことは多く、本棚の好きな本コーナーに置き、何かにつけて読んでいる。

 まず、考え方の基本を示す文を二つ引用する。一つは本を開くとすぐ現われる。「私はかねがね、現代における科学的な知のあり方は相当にいびつなのではないかと思っている。そして、そのいびつさが、科学的な知にとどまらず人間の知全般に及んでいるのではないか、と危惧している。しかし、その病根を浮き彫りにするような視座を求めあぐねていた。」もう一つは、最終章で生死の問題に触れた後にある。「これらは論理的な問いではない。論理上はおそらく原理的に答えのない問いである。答えはおそらく、『物語る』という形によってしかあたえられない。その『語り』が人を深く納得させるなら、それこそが正しい答えである。そのような答えを見出すことを私は『適切な意味の形成』とよぶのである。(中略)事実的な知のみが知であるはずがない。物語的な知によって適切に答えられるべき問いが、不当に抑圧されている時代は豊かな時代とは言い難い。本書の最大のテーマである、現代の『知のアンバランス』の究極の姿をここに見る。」

 最初は、現在の科学から一歩踏み出した科学を求める言葉であり、最後は心まで含めて考える広い知のありようを述べている。この二つの文に挟まれた新しい知を求めての挑戦が魅力的でないはずがない。またここで小さな声でつけ加えるなら、「生命誌」は生きものの歴史物語を読もうとしているので、物理学者が「物語る」というところまで踏み込んで考えて下さっているのはとてもありがたい。そこに描かれているものを追いながら思いを述べて行こう。

 まず、重要な指摘である「いびつな知」とは具体的にどのような姿か。「現在の科学には、探索と開発に至極なじむ自然の領域とまったくそうでない領域とがあるようだ。」「天体の運動や極微の世界については、実に見事に予言し描写する現代の科学だが、ごく身近な世界についての素朴な問いの大半にはまるで答えられないのである。」まさにその通りであり、生物学のようにチョウやハチなど身近なものを対象にする分野では、このわからないことだらけを日々実感している。ここで蔵本さんは、「人がよりよく生きられるよう科学的な知の不自然なあり方を是正し、その内容を豊かにしていくことは限りなく可能だと思う」と明言する。すばらしい。そしてその基本として「硬質の物理学というものをゆめゆめあなどるべきではない」と言う。ただしその時の物理学は「生命性の物理学」であり、そこに隠された基本原理を探したいとも。

 硬質の物理学にこだわるという姿勢は魅力的である。現在の科学がいびつだからと言って、ソフト化というようなあいまいさを持ち込むことで事が解決できるものではない。明確な方法論をもつ学問を捨てず、そこからはみ出す方法を探ることこそ最も確実な道であるに違いない。

 こだわりは具体的に、「孤立分断的記述」と「述語的統一」として示される。前者は、いつでもどこでもという不変性に関わる。17世紀に始まった物理学は要素還元を求めて、ミクロの世界へと進み、そこに「モノ」としての孤立分断性を求めてきたので、この言葉から私たちが思い描くのはこの姿である。そのような見方が蔵本さんの指摘するいびつさを生んだのであり、それでは新しい自然の見方にはならないのではないかと聞きたくなる。

 これに対して蔵本さんは、「モノ」でなく「コト」を見るのだと明快に答える。孤立分断から空間的分断や要素への分解を連想して要素記述を思うのは誤りである。たとえば、一本の樹に集まったホタルがいつの間にか同じ周期で明滅するようになり、心筋細胞が揃って拍動するという周期現象の底には、ある共通性が存在するに違いない。つまりコトとして横断的な見方をしたうえでの孤立分断がある。多様なものの間に共通性を探ることで新しい世界像が描けるはずである。

 二つ目にあげた「述語的統一」も興味深い。モノに注目し、それの同一不変性に基づいて世界を把握しようとする科学では、What(何)が問いの主体になるので、蔵本さんはこれを主語的統一と呼ぶ。それに対してHow(どのように)を基軸に世界を見る、つまりコトに注目した時は、夕日も炎も赤いというつながりで見えてくる。ここでは新しい関係性を探ることができ、ここからも新しい世界像が描けるというのである。思いを書いてよいという蔵本さんのお許しを生かし、またつけ加えると、「生命誌」では、生命とはと問うのでなく、生れる、食べるなどという動詞を問いにしている。そこで、述語という切り口の重要性はよくわかる。

 「コト」に注目する考え方が生れたのは、蔵本さんが物理学の中でも非線形科学という、従来の物理学に比べて、複雑で、私たちが日常接する自然現象に近い現象を対象にする分野を専門としていらしたからであることは理解できる。非平衡解放系、散逸力学系、カオス、リズムなど非線形科学の具体が第2章で簡潔に解説されている。この章も、通常の教科書的解説とは異なり、蔵本さんが考えるこの分野独自の自然観を基本に書かれているので日常と結びつけて考えやすく、楽しい読みものになっている。優れた研究者だからこそ書ける文である。第2章で非線形科学の一端を知ったうえで、第1章に示された新しい考え方を思い起こすと、とても素直に、しかしみごとに新しい自然学への方向が示されていることがわかり、ワクワクする。何度も語ったように、「生命誌」とも重なるところが少なくないので、対象として生きものを考えた時に浮び上る問いを基本に、少し広がりを考えてみたい。

 自然の一部である生きもの(人間も含めて)は、非線形科学の対象であり、したがって新しい自然学の構築には、生きものへの眼も必要なはずである。本書でも細胞、脳などのはたらきや、心拍、呼吸などに触れているところがあり、蔵本さんの中に生きものを考えてみたいという意識があることはよくわかる。ただ、ここでは思い切って生物側からの問いを立ててみる。生物学で、物理学での原子に相当する存在は細胞と言える。「生きている」という現象を支える基本単位であり、その中に存在するDNA(ゲノム)のはたらきがそれぞれの細胞の性質をきめているのである。一人の人間を構成する細胞はすべて一つの受精卵から生れたものであり、受精卵に存在したゲノムを受け継いでいる。受精卵は両親の卵と精子から来ているので、そのゲノムは両親から半分ずつ受け継いでいる。現存の生きものは、このようにすべて親へ親へとさかのぼり、最終的には38億年前に地球の海に存在した祖先細胞に戻る。これが現代生物学が描き出す生物界である。つまり、ゲノムの解析により、生命の歴史物語(生命誌)が読みとれるわけである。

 そこで、生きものを考える場合は歴史性が重要となる。WhatとHowの他にWhen(いつ)、Where(どこで)が書き込まれているゲノムを対象にしながら不変性を求めるには、コトに注目し、「述語的統一」に眼を向けることが重要であり、「物語る」という知をとり入れていく他ない。蔵本さんも、「物語る」という知の必要性には触れておられる。物理学者としては、恐らく高い山から飛び下りるつもりで書かれたのだろうと推測するのだが、ここは更に思い切って、「新しい自然学」を「新・新しい自然学」に展開し、物語るにつなげていただきたい。

 第1章と第2章をかけ足で追い、「新しい自然学」の素描と勝手なお願いとを書いてきたが、本書のもう一つの特徴は、「科学という知を相対化するための展望」という、正統派研究者である蔵本さんとしてはよくぞと思う踏み出しをしている第3章にある。「知の不在と現代」というこの章の基本は、二元論の解消という提案である。ここでは、ギリシャ哲学の藤沢令夫、物理学から哲学に移った大森荘蔵の考え方をとり入れている。私もこの二人から多くを学んできた。藤沢先生は、「現代は、世界・自然のあり方への省察と人間存在の意味やそのあるべき生き方への省察の一体的な追求が失なわれている」と指摘し、大森先生は「抜き描き」という巧みな自然描写を提案する。科学による世界記述の正当性と科学から受けた恩恵と便宜とは充分認めたうえで、だからそれを支えた「二元論を下絵とする世界像」を正しいと言うことはできないという二人の哲学者と蔵本さんの指摘に共感する。

 「科学では価値的な言葉を用いないのが基本だが、価値抜きの事実の提示が、それを受け取る人それぞれにさまざまな価値を暗示するということが重要である」「美の創造を第一義的な目的とはしない科学であるが、美的価値との関係はきわめて密接である」「科学的営為に携わる人間に関して言えば、価値から自由どころかけっこう生臭い」など蔵本さんの筆は自由に走り小気味よい。そして、この文の最初に引用した本書最後の言葉へとつながるのである。

 第3章を読んだうえでまた第1章・第2章を読むと、「新しい自然学」が求めていることが改めて明確に見えてくる。こうしてくり返し読みながら、生きもの、人間という物理学より生臭い対象を知りたい「生命誌」を考えている者として、もう一度お願いを書いておきたい。「『新・新しい自然学』への道を是非探って下さい。生きものについてお話ししたり、つたない考えをお伝えしたりはしますので。」

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