世の中ラボ

【第112回】日本の天皇制はどこへ行く

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2019年8月号より転載。

「平成」に代わる新元号が「令和」と発表されたのが四月一日。明仁天皇が退位したのが四月三〇日。五月一日には皇太子徳仁が新天皇に即位し、四月二七日から五月六日までは前代未聞の10連休。改元にともなう喧噪は、まるでお祭り騒ぎだった。
 しかしそもそも、この改元騒ぎ、というか天皇の交代劇とは何だったのだろうか。明仁天皇の生前退位が決まった日から、平成史本が相次いで出版されたり「平成最後の」というキャッチフレーズが流行したりはしたものの、天皇制そのものについて、活発な議論が交わされたとはいいがたい。とはいえそれは、日本国憲法下の象徴天皇について考えるキッカケにはなった。
 明仁天皇自身が退位の意向を国民に直接表明した二〇一六年八月八日の「おことば」で、天皇は自らの務めとして、「国民の安寧と幸せを祈ること」(宮中祭祀)と、「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」(各地への訪問=行幸)の二つをあげた。はたしてそれをどう評価したらいいのか。二〇一九年に刊行された天皇論を読んでみた。

「個人崇拝」から抜け落ちているもの
 伊藤智永『「平成の天皇」論』は、毎日新聞の論説委員による、明仁にきわめて好意的な天皇論である。
〈平成の天皇は、思想家だった〉というのが、伊藤の考える明仁像だ。〈ただ「ある」のではない、象徴に「なる」のであるという思想を創造した。どうすれば、なれるのか。戦後、青年皇太子の頃から日々それを考え、間もなく皇后が、その活動に加わった。抽象的な観念だった象徴を、何とか実体あるものにしたいと意志する人だった〉。まるで歴史上の人物を評するような語り口。神格化ではないまでも、一種の「偉人化」だろうか。
 さらに続けて伊藤はいう。〈そうした思索と行動の表現が、旅であった。天皇は、旅を「象徴的行為」と名付ける。(略)天皇が自らを旅人であったと語る自己認識は、打ち明けられてみると私たちの天皇観を根底から揺さぶるイメージではないだろうか〉。
「思想家」「旅する天皇」としての明仁を高く評価する伊藤にかかれば、譲位も次のような解釈になる。〈譲位は、高齢化に伴う肉体的限界に直面してやむなく思い付かれた単なる「隠居宣言」ではない。一部保守派が勘違いしたような「弱音」や「わがまま」などでもない。象徴制は天皇制を今後も続けていくための伝統に根ざした政治的・社会的・文化的戦略であり、譲位は象徴制を続けていくにはこれしかないと天皇自身が突き詰めた戦略である〉。
 注意すべきは、手放しの礼讃ともいうべきこの明仁論が、いわゆる「左派リベラル」の側から書かれていることだろう。左派が明仁天皇を持ち上げる風潮は以前からあり、とりわけ第二次安倍政権の発足以降、それは「(自分たちと同じ)リベラルな天皇」のイメージで肯定的に語られてきた。逆にいうと明仁は、保守派や右派には「気に入らない天皇」だった。伊藤もそのことは意識していて、保守派に対する「してやったり」な明仁像を好んで描く。
〈毎年八月の全国戦没者追悼式で、安倍首相は二〇一三年から、歴代首相の式辞にあった「加害と反省」への言及をやめた。すると天皇が一五年以降のおことばで、首相に代わって消された言葉を補うように「深い反省」を表明するようになった〉ことを取り上げ、〈国会で野党党首が天皇・皇后と同じ発言をしたとしたら、安倍首相がどれほどムキになって反撃するか想像すれば分かる〉と論評するとか。〈天皇の仕事は祈ること〉で〈海外戦地慰霊の旅も、そこまでする必要はなかった〉という、右派論客・渡部昇一らの発言を〈平成の「象徴の思想」を、真っ向から否定する発言と言える〉として敢然と否定するとか。
 明仁天皇夫妻の好感度が高いのは事実である。しかし、そもそも象徴天皇制とは「天皇個人の思想」が及ぼす影響を封じるための策ではなかったのだろうか。「保守的な安倍政権vsリベラルな天皇」という図式を伊藤は強調するが、仮にこれが「リベラルな政権vs保守的な天皇」という逆の構図だったらどうか。「天皇個人思想」に執着するのは個人崇拝への道であり、かなり危うい。
 原武史『平成の終焉』は、右のような無邪気な明仁礼讃論に釘を刺す本ともいえるだろう。
 原はまず、天皇自らが退位を表明した「おことば」を子細に検討し、そこに含まれた問題点を指摘する。
 ①〈「おことば」を発することで、天皇が日本国憲法で禁じられた権力の主体になっている〉。②象徴天皇の務めを明仁は「宮中祭祀と行幸」と規定したが、〈そもそも、「象徴天皇の務めとは何か」という問題は、天皇が決めるべき問題ではなく、主権者である国民が考えるべき問題のはず〉である。③「宮中祭祀と行幸」を(生前退位も)国民が望んでいるかどうかは必ずしも自明ではないにもかかわらず、〈自明でない民意が、天皇自身によってあたかもはじめからあったかのようにつくられ〉てしまっている。④「宮中祭祀」は明治以降につくられたもの、「行幸」は明治に復活したもので、昭和初期には天皇の神格化に寄与した行為である。それを自らの務めとするのは〈天皇の権力が強大化した明治から昭和初期までの天皇制を否定しつつ、その残滓を受け継ぎ、天皇の務めの中核にしている〉点で矛盾している。⑤天皇がいう「国民」とは誰のことか明確ではない。⑥天皇の行幸は大がかりな警備や交通規制を伴うのに〈「おことば」に言うところの「国民の暮らしにも様々な影響が及ぶ」〉ことへの自覚がない。
 いささか意地悪に思えるかもしれないが、これを読むと、伊藤らの明仁礼讃論に何が欠けているかがはっきりする。それすなわち、この国の主権者は誰なのか、という視点である。
 とりわけ⑤の「国民」に関する指摘は重要だろう。天皇皇后は日系人の施設は訪れても〈外国人が集まる国内の施設や学校など〉は訪れていない。多くの福祉施設を訪れても〈精神障害者を収容する施設〉も〈受刑者が収容された刑事施設〉も自衛隊関連施設も訪れていない。さらにいえば行幸先の公園などからホームレスは強制排除される。天皇個人の意志がどうあれ、背後には「国民」とそれ以外を巧妙に差別、選別する論理が働いている。〈天皇・皇后が心がけて訪ねる人々は、いわゆる社会的弱者だ〉(伊藤)なんて単純な話ではないのである。

グローバル時代の天皇像
 戦争の激戦地への訪問も、訪問先を見れば〈平成の天皇は、昭和天皇の戦後観から身を離し、独自に自分自身で、あの戦争と敗戦と戦後に向き合ってきた〉(伊藤)と簡単にはいえないことがわかる。
 皇太子時代を含め、天皇皇后が訪れた激戦地は、沖縄をはじめ、硫黄島、サイパン、パラオ、フィリピンと、一九四四年から四五年にかけて、日米が戦い敗北を重ねた島々だった。しかしながら、瀋陽の柳条湖や北京の盧溝橋、南京、武漢、重慶、真珠湾、マレーシアのコタバルなど、〈満州事変や日中戦争で日本軍が軍事行動を起こした場所や都市〉や〈太平洋戦争でも日本軍が米軍や英軍に奇襲を仕掛けた場所〉は訪れていない。いかに「おことば」の中で中国や韓国への「深い反省」を示しても、訪問先を見る限り、二人が加害の歴史と向き合っているとは見えない。
 原はまた、被災地へ訪問を報じる新聞記事が、しばしば首相と天皇皇后を比較していることに注目する。一九九一年、雲仙普賢岳を天皇皇后が訪れた際には、当時の海部俊樹首相との態度の差が比較された。こうした比較は阪神・淡路大震災や東日本大震災でも踏襲された。〈被災地を訪れた首相の村山富市や菅直人の態度を批判し、天皇と皇后の態度を称賛するというものです〉。そして原はいう。〈ここには、権力にまみれた現実の政治に対する人々の不満が高まれば高まるほど、天皇や皇后がそこから超越した「聖なる存在」として認識される構造がはっきりと現れています〉。その一例が伊藤の『「平成の天皇」論』だといえるかもしれない。
 ではこの先、日本の天皇制はどこへ行くのだろうか。
 ケネス・ルオフ『天皇と日本人』は、いくつかの興味深い論点を提出している。生前退位による王位継承は、日本だけでなく、じつは二〇〇〇年代のトレンドで、二〇〇六年から一四年までに、ブータン、オランダ、カタール、ベルギー、スペインの五カ国で王位が継承された。その際、ブータンは日本をモデルに議会制民主主義と象徴王制に転換し、オランダの新国王は「陛下」という称号をやめてほしいと述べ、多言語国であるベルギーの新国王は三カ国語で宣誓を行った。新しい路線を続々と打ち出す各国王室のグローバルな流れに、日本も連動すべきだとルオフはいう。
 明仁天皇は、天皇中心の国家主義を志向する〈最右派の世界観とははっきり異なる立場〉をとってきた。それは〈ナショナリズムとは異なる国際協調主義〉であり、次代の徳仁&雅子夫妻は先代よりもさらに国際的な経験を積んできた。であるなら新天皇皇后は〈海外の日系人だけではなく、日本の国民共同体への全面的統合を求めているマイノリティ・グループにも関心を向けるべきだ〉し、人種的にも宗教的にも多様化する将来の日本を見すえて〈神道の祭祀も再考すべき時期がきているのかもしれません〉。
 思えば私たちは天皇制について、真剣には考えてこなかった。多くの日本人は皇室をセレブの一種くらいに見てきたし、旧左翼は「天皇制なんていらないよ」の一言で片づけてきたし。徳仁&雅子夫妻がどんな天皇皇后像を創出するかは未知数だが、せめて思考停止には陥らないようにしよう。主権者はあくまでも国民なのだ。
 

【この記事で紹介された本】

『「平成の天皇」論』
伊藤智永、講談社現代新書、2019年、840円+税

 

〈すべては天皇・皇后が平成の30年を通して作り上げた戦略だった〉(帯より)。著者は一九六二年生まれの毎日新聞編集委員兼論説委員。平成の天皇は昭和天皇から宮中祭祀や公的行為をすべて受け継ぎながらも、独自の天皇像を作り上げた。そんな認識の下で書かれた明仁天皇論。退位をめぐる政局など、ジャーナリスティック視点はあるものの、明仁天皇を持ち上げすぎ?

『平成の終焉――退位と天皇・皇后』
原武史、岩波新書、2019年、840円+税

 

〈二人の「平成流」とは何だったのか〉(帯より)。著者は『大正天皇』『昭和天皇』などの著作もある一九六二年生まれの政治学者。皇太子時代を含め、天皇夫妻は全都道府県を三巡するほど日本中を歩いた。「おことば」の分析や行幸を報じる地方新聞の記事などから、そんな明仁天皇と美智子皇后の六〇年を描く。巻末の訪問先一覧は圧巻。行幸の意味を考えさせられる。
 

『天皇と日本人――ハーバード大学講義でみる「平成」と改元』
ケネス・ルオフ著/木村剛久訳、朝日新書、2019年、810円++税

 

〈明仁天皇と美智子皇后の目標と象徴性を徹底分析!〉(帯より)。著者は一九六六年生まれ。アメリカにおける近現代天皇制研究の第一人者。戦後の天皇制はイギリス、スペイン、ベルギーなどと同じ「象徴君主制」であると見なし、世界史的な視点から明仁天皇夫妻を論じる。美智子皇后の単独での欧州訪問に女性天皇の可能性を見るなど、意外な指摘もあって刺激的。

PR誌ちくま2019年8月号

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