ちくまプリマー新書

ギリシア神話、新しい時代の読みかた。
『はじめてのギリシア神話』より

この世界はどんなふうに作られ存立しているのだろうか。これを描いたギリシア神話。ではその神話自体は、どのように成立したのだろうか。今を生きるわれわれも心動かされるそのあらすじやキャラクターを紹介しながら、成立の歴史的背景を探る本書の、冒頭部分です。

はじめに

日本神話との比較
 ギリシア神話についてはこれまでも多くの本が出版されています。もちろん、是非知っておいてほしいギリシア神話の基礎知識や定説はありますが、今回はそれらをすでにある本とは少し違った方法で紹介していきたいと思います。
 一つは、他地域の神話との比較をしながらギリシア神話の特徴を浮かび上がらせるという方法です。なかでも日本人に最もなじみが深い日本神話との比較をしていきます。
ギリシアも日本も周囲を海に囲まれて多くの島々が点在しています。ただギリシアは完全な島国ではなくヨーロッパ大陸から突き出た半島です。また周囲の海も、日本のような太平洋、日本海といった大きな海ではなく、周囲を大陸に囲まれた内海である地中海でした。こうした地理的な類似と相違が神話にどのような違いを生み出すのか、比較しながら考えてみましょう。

日本の歴史との比較
 しかし神話の違いは地理的条件だけでは説明できません。地理と無関係ではないけれど、歴史もまた神話の違いを生み出します。おそらくギリシア神話の最も古い部分は、ギリシア人と祖先を共通にする古代インドや古代イランの人々の神話にも共通するものが見られることから類推するに、ギリシア人がギリシアに到達する紀元前二千年紀以前にさかのぼると思われます。南ロシアの原郷から西に移動し、そしてその後、ギリシア神話はギリシアの地でさらにメソポタミア、エジプト、ウガリット、ヒッタイトなどの周辺の諸地域との交流の中で発展します。その結果、紀元前5世紀の都市国家の最盛期にはほぼ現在知られている形が完成していたようです。
 日本の場合、1万5000年くらい前から二千数百年前(紀元前4世紀)まで続いた狩猟・漁猟・採集の縄文時代があり、大陸から稲作などの農業が伝わってきた弥生時代、そして食料の備蓄が可能となって人口が増え、結果的に階層化が生じて、支配者層が出現した古墳時代、その傾向がさらに進んで大和朝廷を中心とした統一国家が出現した飛鳥時代と続いていきます。古墳時代や飛鳥時代には大陸との交流も増大し、漢字や法律や官僚制度も伝わり、そうした国家の体裁を整える過程の一つとして支配者層の由来を語る神話もまとめられたのでしょう。たとえば日本神話の場合も最古の要素には縄文時代にさかのぼるものが見られますが、次いで弥生時代に特徴的な神話要素、そして王権が誕生する時期になって成立した神話要素などの時代的重層性があるのです。

神話・伝説・昔話はどう違う?
 神話はまだ世界の秩序が完全に整っていない大昔の出来事についての物語です。そこではまだ人間が主人公ではありません。主人公は世界を作り上げる神々や神々の血を引く英雄やその英雄たちによって退治される怪物などです。しかし特別な力を持った主人公が敵や怪物を退治する物語なら、神話の他にもあります。たとえば日本ならば怪力の子供の金太郎、巧みな戦術を駆使して勝利する戦士・武士としてのヤマトタケルや源義経などを主人公とする昔話や伝説がありますし、海外なら子供が巨人や人食い魔女を退治する「ジャックと豆の木」や「ヘンゼルとグレーテル」といった昔話やアーサー王の騎士たち、ロビン・フッド、ジークフリートなどの英雄伝説があります。
「神話」はまだ世界の秩序が完成する以前の時代を舞台に、神々や英雄の活躍と行動によってその後の社会の秩序がどう定まったかを語っています。それに対し、「伝説」では神ではない特別な人間が活躍して、人々にどのように利益をもたらしたかが語られます。また「昔話」では主に子供たちに向けて、子供に近い主人公たちが活躍して、社会に認められるという内容が語られ、それを聞いた子供たちに同じように立派な人間になるよう教えるのです。
 ストーリーによって何かの情報をもたらすという点では神話も伝説も昔話も同じだということはお分かりいただけたでしょうか。人間は目的に応じてこれらの物語を使い分けてきたのです。
 本書では神話エピソードの持つ意味を理解するために、神話学以外の分野の研究成果を利用していきたいと考えています。そうすることで何か新しいものが見えてくるでしょう。

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