ちくま文庫

姉だって女なのだ

南沢奈央・書評 源氏鶏太『御身』(PR誌「ちくま」より)

ちくま文庫では4冊目の源氏鶏太作品『御身』。本作について女優の南沢奈央さんにご寄稿いただきました。PR誌「ちくま」からの転載になります。 “60年前の衝撃的恋愛小説”を南沢さんはどう読んだのか?!

 姉にとっての弟というのは、かわいくて仕方ないものだ。
 私が大学生の頃、高校生になった弟がはじめて彼女を家に連れてきた。仕事で外出している両親と姉から、どんな子かちゃんと見ておいてと仰せつかっていたので、私は家から離れるわけにもいかなかった。……というのは大義名分で、どうしてもこの目で弟の彼女とやらを見てみたかった。いざ、彼女を迎えた時の私の器の小ささと言ったらない。笑顔で対応しながらも、目の奥では粗探しすることに必死だった。そして両親と姉への報告は、「中学生なのに、化粧をしていた!」
 当時スッピン主義だった私から見ると、何だか小生意気に感じたのだった。しかも前に、私が仕事のメイクを落とさずにそのまま帰った時に、弟から「今日メイク濃いなあ」と気持ち悪がられたことがあったから、余計に悔しかった。
 こんな感情が芽生えるなんて。自分が〝女〟であることを自覚した。同時に、守ってやらねばと思っていた弟も、彼女とならぶといつもより逞しく見え、やはり〝男〟なのだと気づかされたのだった。
 姉と弟も、女と男である。恋愛だってするし、いずれ結婚もする。本書は、たった一人の家族である弟を守る為に、女ではなく姉としての使命を選択する章子が主人公だ。
 姉の月給は一万二千円、弟は一万円という時代に、弟・利夫は課長から預かった三十万円という大金を落としてしまう。章子は、結婚を考えていた恋人・和気には相談できず、思い詰めている弟の為に自分の恋愛を諦め、身体を売ることを決意するのだ。弟への愛情の深さと、処女としての相当な覚悟が窺い知れる。そして、煮て食べようと焼いて食べようとご自由にと、長谷川という男との半年間の契約が始まる。
 だが、待てど暮らせど、食べるどころか煮にも焼きにも来てくれない。覚悟を決めていた分、拍子抜けだ。さぁ、こうなると人間とは不思議なものだ。三十万だけもらって、恋人がいるから堪忍してくれないかな、なんて都合のいい考えが浮かんでくる。でもお金をもらった限り、結末は決まっている。となると、連絡も一切よこさない長谷川が一体どういうつもりなのか、気になってくる。不安で仕方なくなる。すると、こちらから長谷川に連絡してしまうという塩梅。これが恋の駆け引きというものか。そう、章子はいつの間にか恋に落ちていた。長谷川に二号、三号がいようとも、その事実が恋の火をさらに燃やした。
 女とはずるい生物だ。長谷川との関係が進みながらも、「和気ならどのように私を愛してくれるだろうか」なんぞ空想し、会ってみたらやはり「結局、あたしは、この和気さんがいちばん好きなんだわア」と思い、契約期間を終えたら和気と結婚すればいいとまで考える。だが、そんなことは虫が良すぎることも分かっている。会社の同僚が和気とくっつくよう取り計らったりもしたが、そうなると「和気を誰にもわたしたくないような気分」にまでなる。一方で、長谷川への愛も大きくなっていく。この葛藤をひたすらに繰り返すのだ。
「私」という一人称で語られる心理描写は、まるでシェイクスピア作品の傍白のようだ。〝本音〟と〝建前〟、〝姉〟と〝女〟、〝理性〟と〝感情〟といった、相反するものを天秤に載せ、ぐらぐらと揺らす。行ったり来たり。結局、矛盾した考えに何かと理由を見つけて正当化しつづける。葛藤は弱さかもしれない。だがこれが人間味であり、読者を惹きつける魅力なのだと思う。
 これは相手を好きになればなるほど、自分を非難することになる複雑な恋だ。でも最後にはこの身を売ったはずが、身も心も捧げることになる。徐々に女として美しくなっていく章子を見ていて、私も羨望の眼差しを抱かずにはいられなかった。弟がいなければこのラブストーリーは始まらなかったと思うと、あれ、私にもかわいい弟がいる。

関連書籍

こちらあみ子

源氏 鶏太

御身 (ちくま文庫)

筑摩書房

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入
こちらあみ子

源氏 鶏太

家庭の事情 (ちくま文庫)

筑摩書房

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入
こちらあみ子

源氏 鶏太

最高殊勲夫人 (ちくま文庫)

筑摩書房

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入