ゴッチ語録

第3回 後藤正文インタビュー 
創作の源にあるもの

『ゴッチ語録 決定版』刊行記念インタビュー

『ゴッチ語録 決定版――GOTCH GO ROCK!』(ちくま文庫)発売を記念して、著者の後藤正文さんのインタビューを公開します。よく聴く音楽のことから、社会問題のこと、歌詞の秘密、好きな本など、話題の尽きないインタビュー。第3回は未来の音楽についてです。
(聞き手=編集部 井口、山本拓)

第3回 未来の音楽

いよいよ、このインタビューも完結編です。ゴッチの作品のバックヤードにあるものとは?

好きな作家

 

―― 好きな作家や詩人、書き手をお教えください。

後藤 古川日出男さんとか、好きですよ。村上春樹も好きだし。あ、いま村上春樹にはどうして「さん」を付けなかったんだろう(笑)。あんまり会うことはないから、いいかなと思ってるのかもですね。タモリみたいな感じで。 

―― 記号になってる(笑)。外国の小説家では、誰が好きですか。

後藤 僕はジャック・ケルアックが好きですね。他にも詩集は買ったりしますよ。パティ・スミスやボブ・ディラン、モリッシーの詩集とか。スミスの音楽は好きじゃないけどモリッシーの詞はいいなと思うので。

日本の作家だったら、佐々木中さんの本には影響を受けています。あと、町田康さんも好きです。『告白』(中公文庫)という小説は、すばらしいと思います。あと宮沢賢治も好きですね。水木しげるも藤子不二雄Ⓐも好きです。あと松本大洋さんも。民俗学だと、網野善彦さんの『日本の歴史をよみなおす(全)』(ちくま学芸文庫)とか、柳田國男とか。宮本常一さんの本も読みます。

―― 古川日出男さんとは対談もされてましたけど、古川さんは昔から、言葉の投げかけ方がロックな感じがします。『LOVE』(新潮文庫)とかもそうですよね。

後藤 バシバシ改行してきますからね。詩みたいに書きますよね。ドライヴしてくると、独特なリズムになって圧倒されます。ハードボイルドもユーモアも、どこまでも行く感じなのですごいなと。最近は物語が巨大すぎて追いつけていないと感じながら、必死に読んでいますね。時々一緒にご飯を食べたりしていただいています。

―― 『新潮』(2016年4月号)の対談(「福島を旅して語った」)も、すごくよかったです。

後藤 ありがとうございます。僕は対談などする時には、ワーッと想いを言っちゃうんですけど、古川さんの言葉が文章化された原稿を読み直すと「古川さんのこの言い方のほうが、すごくわかりやすい」と思ったりして、さすがだなと思いますね。自分の中では8割ぐらいの感じで現場で受け取った言葉も、原稿になって読み直してみると、現場で語ってもらったとき以上にバチッと入ってくるんだなと思って、そういう発見がありましたね。古川さんの文体からは、すごく影響を受けてますね。町田さんや、佐々木中さんもそうですね。彼らには独特の言い回し、リズム、文体があって、真似ができない感じですね。真似をしたらばれるというか。とにかく個性がすごいですから。

―― 佐々木さんは熱い文体ですよね。熱が伝わってくるような。

後藤 熱い語り口もありますが、とにかく美しいですよね。だから、実は、古川さんと佐々木さんとは知り合いなんですけれど、僕のエッセイ集を送ってないんです。事務所にも「送らなくていいです」と言っていて(笑)。だって、あんな天才的な人たちに見せたくないでしょう。自分の本を読んだ後に彼らの本を読んだら、「すげえなぁ。なんだこりゃ」と思って落ち込みます。僕はずっと、文学の人たちに畏怖の念を抱いてるんですよね。この人たちは本当にすごいなと思って。僕はロックミュージシャンだけど、どうにかして彼らがやってることの一番端っこにいたいなと思っていて。坂本さんに対しても、そういう思いがあります。坂本さんが求道されているような音楽に続いている道があるとしたら、その道が消えないうちに足を踏み入れていけたらいいなと。そういうことは、同時代を生きる作家にも感じたりします。

現代詩は時々買うけど、疎くて。でも、いくつかの詩集を買って読んでみると、やっぱり音の制約がないから、自由でいいなと思います。音楽の詞と何が違って、何が同じなのかとかいうことを考えたりしますね。

 

影響を受けた書き手、学者

―― 坂本龍一さんの人脈を見ると、ただミュージシャンとしてつながってるわけじゃなくて、本当にいろいろな人とつながってると思うんですけど、後藤さんは最近、内田樹さんや建築家の光嶋裕介さんとコラボされたりしています。内田樹さんとは『THE FUTURE TIMES』でも一緒にお仕事されてますよね。近年は、内田先生からの影響もかなりありますか?

後藤 そうですね。内田先生とか中沢新一先生とか、話が面白いですもんね。あとは赤坂憲雄先生とか。赤坂先生は岡本太郎の本も書いたりしてるんですけど、以前から著書を読んだりしてます。とにかく、ああいう面白いおじいさんたちにもっと会いに行かなきゃいけない気がするんです。おじいさんって言ったら怒るかな(笑)。でも、みんな60代ですからね。坂本さんもそうだし、内田先生たちもそうだし。あのぐらいの世代には、面白い人がたくさんいるじゃないですか。安保法制に関しても60代の憲法学者たちがわらわらと出てきて、街に出て声を上げている。これは素晴らしいことだと思います。

―― 内田さんも演説されてましたね。

後藤 ええ。先を歩いてる人たちに話を聞きに行くことは、とっても大事なことだと思います。聞きに行けば行くほど、そう思いますね。とにかく、面白いことを知っている。そして、その道で自分たちよりも20年30年長く考えていらっしゃる。これはすごいことで、僕たちが学ぶべきことがいっぱいあるんです。というか、学ばなきゃいけないんだと思いますね。バトンを受け取らないと。

 

曽我部恵一さんの書評の感想

―― サニーデイ・サービスの曽我部恵一さんが『ゴッチ語録』の書評を書いてくださってるんですけど(PR誌『ちくま』2016年6月号)、お読みになりましたか?

後藤 読みました。いやぁ、感動しましたね。曽我部さんが書いてくださったお酒の話とか、めちゃくちゃ覚えてますもん。最初に会った時は、たしかに酔っぱらってらっしゃって。僕はビールを飲みたかったんですけど、「ビールじゃないよね!」と言われて(笑)。「バーボンだよねぇ。バーボンだよねぇ」ってずっと念を押されて、「じゃあ、バーボンにします」って言って(笑)。

 

今後の活動 ソロアルバム

―― では今後の活動についておうかがいしたいと思います。セカンド・ソロアルバムが出るんですよね。

後藤 はい。本と一緒に並んだらちょうどよかったんですけど、ちょっと遅れていて。来月、あるいは再来月になるかもしれませんね。ずっと好きだったデス・キャブ・フォー・キューティー(Death Cab For Cutie)っていう変わった名前のバンドにいた、クリス・ウォラというプロデューサーと一緒にやっていて。今、6割7割まで来たところで止まっている感じですね。海外の人たちはのんびりしてるから(笑)。あと何曲かできたら終わるんですけど。

―― デス・キャブもすごくキラキラしてて空間が感じられる音楽なので、すごく楽しみです。ファンタジックな音楽性を持ってますよね。

後藤 そうですね。彼はアンビエントや環境音楽にも興味があって、日本のこともすごく好きでいてくれたみたいで。ジブリも好きだし、坂本龍一さんの大ファンで。「僕、坂本さんとけっこう仲いいよ」って自慢しておきました(笑)。

 彼らみたいなバンドがアメリカでグラミー・ノミネートまで行ったりする状況は、うらやましいなと思います。そんなに派手に活動してるバンドじゃないと思うんですけど。特段振り切って奇抜な音楽性をアピールするわけでもなく、グッド・メロディの曲を書きながら活動していて。僕はずっと好きですね。

 

今後の執筆、好きなエッセイ

後藤 そうですね。ソロをやりつつ、文章を書くのも好きなのでちょろちょろ随筆を書いてます。最近ミシマ社のwebで、「凍った脳みそ」という連載が始まりました。あと『ROCKIN'ON JAPAN』の連載は「YOROZU IN JAPAN――妄想の民俗史」というタイトルで、僕が民俗史をでっちあげてるんですけど。妄想とはいえ、本をたくさん読みながら書いてます。あと自分のブログで「原色オジイ図鑑」というのを始めまして。奇矯なオジイに会ったら、図鑑にしていこうと思って(笑)。

―― 『何度でもオールライトと歌え』の中でも、エッセイでありながら小説風の、もう一歩でフィクションに行きそうな感じがありますよね。

後藤 怖いですよね。小説とか書いたら、古川さんとご飯に行きづらくなるじゃないですか(笑)。佐々木さんとご飯に行くのも、しんどくなるから嫌だなと。「嫌だな」って言ったらあれだけど(笑)。外側から読者として感想を言うのは簡単じゃないですか。「いいですねぇ」とか「あそこ、ぐっと来ました」とか言うのはいいけれど。同じ土俵に立つのは、やっぱり恐ろしいです。

今まで、小説を書こうという気持ちがまったくなかったわけじゃないんですよ。実はミュージシャンになる前、小説を書こうと思って原稿用紙を買ってきたことがあるんです。5枚ぐらい書いて「これは駄目だ」と思って捨てたんですけど(笑)。やっぱり小説はきついなぁ。今はとにかく音楽が楽しくて、音楽ほどの熱量を小説につぎ込むことはできないとも思っていて。あと小説だと、2作3作って書こうと思わないんじゃないかと。村上春樹が確か「誰にでも1作は書ける」って書いてましたね。小説めいたものは、誰にでも書ける。ただ、書き続けることはできないと。どこかのタイミングで退場してしまうと。一番新しいエッセイ(『職業としての小説家』スイッチパブリッシング)の中で、そういうことを書いていたと思うんですけど。たとえ書けたとしても、そういう小説めいた何かでしかないような気がします。たぶん、1作書いて終わりだろうなと。

くだらないことを書いたり、面白いことを読んだりするのは好きなんですよ。松尾スズキさんも好きだし、宮沢章夫さんの本も面白かったし。古くは大槻ケンヂさんのエッセイも、好きでよく読みました。目標は、大槻さんじゃないですか?(笑)

―― 大槻さんは小説もすごいですよね。

後藤 初期の『グミ・チョコレート・パイン』(角川文庫)とかは実体験というか、エッセイを書き直したみたいな感じですよね。でも僕はミュージシャンなんで、この先も肩書はミュージシャンでいたいです。たまにおもろいことを書くミュージシャンということで(笑)。

 

 

インターネットと音楽

―― 『何度でもオールライトと歌え』ではceroというバンドに関して書かれていますね。あのラップの感じとかジャズの消化の仕方って、今まであまりなかったんじゃないかなと。そうした新しい世代を見ていて、変わってきたなと思うことってありますか?

後藤 そうですね。これからはネット上にアーカイヴができてくるから、どの場所からでも良質なアーカイヴに接続して、ceroみたいな人たちが出てくる可能性がある。世の中は変わったなと思います。ただ、ブログのときにはceroの魅力について書いたことが上手く伝わらなくて、もどかしい思いをしました。彼らはもちろん、インターネット以後みたいな環境じゃなくても出てきた人たちだと思います。時代とは関係なく、才能のある人たちですから。僕は田舎で育ったし、青春時代には手段がなかったので、知るっていうことが一番大変だったんです。どんな音楽が面白くて、どんな本を読んだらいいのか全然わからなかった。だからやっぱり、周りの大人がどうかっていうことに左右される。でも、今は違いますよね。これはソーシャル・ネットワーキング・サービスのすばらしいところで上手く使えばどこまでも広がる。

書店もいろいろあるけど、今や通信販売が隆盛ですからね。クリックひとつで欲しい本やCDがすぐ手に入るんだから、夢みたいな話ですよ。東京は、日本のみならず世界的にも大きな街で、独自の文化があってすごい都市です。そこに住んでるアドバンテージっていうのはあると思うんだけど、ネットのお陰もあって、田舎でもすごいことを思いつくことができるようになった。最近の若いミュージシャンは、みんな演奏が上手いんですよ。それはなぜかというと、みんなネットとかで上手なミュージシャンの演奏を簡単に見られるからで。

―― YouTubeとかでいくらでも見られるし。

後藤 そうそう。YouTubeがない時代は、上手なミュージシャンの演奏は金を払ってコンサートに行かなきゃ観られなかった。だから、上手いってどういうことなのかよくわからなかった。それは、食ったこともないものを作れないのと同じで。観たことがあったら、同じようにできるかもしれない。今では、いい意味でインターネットが与えてくれたフェアネスみたいなものがある。知的財産にアクセスする道筋がいっぱい増えてて、これは本当にすばらしいことだと思います。そういう面では開かれたところがあるんだけど、一方ではそんなに変わらないような気もしていて。いろんな人がいろんなことに気づいて、読んだり見たり感じたりして自分の表現に反映させることができる。でも、そこから一歩抜け出してくる人たちは、そういった便利な環境がなくても抜け出してくると思うから。

―― 時代は関係ない部分もあると。

後藤 そうですね。今は音楽って、どこの場所でも作りやすくなっている。文章も同じだと思うんですよね。ネットの普及によって誰でも書くことができるようになったけど、そこでズンと出てくる人たちって何か違ってると思うんですよ。今はブログがあるから、誰しもが批評家、エッセイストになれるような時代ですよね。でもやっぱり、人から「紙に刷りませんか?」って言ってもらえることには、ある種のありがたさがあるんですよね。文が面白いとかキャラクターがユニークだとか、いろいろ理由はあると思うんですけど。

音楽だってある種のコンピュータやソフトを使えば、何となく形になるようになった。でもそこから先の話っていうのは、ちゃんと立ち上がってきいて。その人は、どういう考え方で取り組んでいるのか。音楽になってしまえばわからないところもあると思うんですけど、その後ろに何があるかっていうことはすごく大事になっていくような気がします。形にしやすくなったぶん、その人そのものの有り様が重要になってくる。僕の興味が四方八方に散らばっているのは、バックヤードの部分をしっかりしておこうという気持ちがあるからです。氷山みたいに海面から出てるところだけが、作品として扱われがちだけど。

―― これから、すごく楽しみですね。バックヤードがどんどん広がっていって、それが音楽にますます豊かになってフィードバックされる。

後藤 本来、そうだと思うんです。書く人の場合、それがわかりやすく現れる気がします。バックヤードの状態がそのまま形になってしまう。すべてが、どこかでつながっている。今後はおそらく、表現物はすべて、そうなっていくんじゃないかなと。とにかく、自分がどういう人間なのかということが作品にすごく関係しています。音楽を美しいと思うということは、自分が何を美しいと思うかということとすごく関係がある。だから、アンビエントノイズを聴きながらギターロックを作ったりすることには、意味があると思うし。これは音楽同士ですけど、もっと別のことともつながってるところがあるような気がします。

インターネットの登場で、誰もが入り口に立てるという意味でのフェアな社会は担保され始めてるんだけど、どうやってそのドアを開けるか、どのドアを開けるかということはそれぞれの手元に託されている。どうしたって、自分の力でひねらなきゃいけないドアがあると思うので。今一回平たくなって、みんな平等でフラットみたいな感じになってますけど、いずれは本当にすごい人だけがすごいと言われる時代が来るような気がしています。

出版社とかレコード会社も今折れないで、もう20年ぐらい頑張ってほしいなと思うんです(笑)。僕も自分にそう言い聞かせてやってます。僕は今年40歳になります。ミュージシャンとしてはもう中堅ですから、若い人たちがやりやすいようにしてあげたいなという気持ちがあります。僕たちより10歳下ぐらい、20代後半から30代の子たちは一番、いろんなあおりを食らっている。人生どうするのか、音楽どうするのか。そういう二択にならないようなリリースの方法、活動の仕方を、手助けできたらいいなと思うし。みんな、上手にやっていけたらいいなと思うんです。

―― 今日はありがとうございました。

                                          (2016.5.12)

               

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