加納 Aマッソ

第19回「拳銃!」

 単独ライブの大阪公演と、続く名古屋でのライブ出演のため、一週間ほど家を空けることになった。数日分の荷物を用意するのはいつも億劫で、当日の朝に慌ててキャリーバッグに詰めていくのだが、「これだけ確認してもどうせ何かは忘れてるしな」という諦めの気持ちで臨むから、やはり忘れる。一応前日に「持って行くものリスト」は作成しているはずだが、そもそもそのリストに記入漏れがあるのでどうしようもない。さらに時間に余裕を持って行動するのはもっと苦手で、今出ないと新幹線に間に合わないという時間ギリギリに、散らかしたままにしてバタバタと家を出る。こういう時に限って、携帯の電池は50%を切っている。昨夜寝る前の自分を恨んでも遅い。
 案の定、マンションのエレベーターで下へ降りている途中で思い出す。「拳銃!」と声が漏れる。誘拐犯のコントで使うオモチャの拳銃を机の上に忘れたのだ。なんとも物騒な独り言だ。誰も乗り合わせていなくて良かった。取りに帰ろうかとも考えるが、電車の時間を考えると、諦めたほうがいい。
 こういう時、私は私に対する「いかに心が乱れてないか」のプレゼンを行う。まず、現地でだって買える。そうでしょ? 最悪の場合買えなかったとしても、手のかたちで拳銃を表せばいい。考えてみて、拳銃持ってるか持ってないかで、笑いの量が左右されることなんてないでしょ。じゃあ何が問題? 余裕余裕! あ、天気いいですねー!
 こうして、一つ目の失敗によって生じた小さな動揺から、すぐに平常心に戻すことに成功する。その成功を誇らしくも感じながら駅まで早歩きで向かっていたら、一つ目の信号で、また思い出す。「柄シャツ!!」前から歩いてくる白いTシャツを着た大学生が、不思議そうに自分の服を一瞥する。やってしまった、誘拐犯が着る柄シャツも忘れた。すぐさまプレゼンは始まる。いや、そもそも誘拐犯が派手な柄シャツを着ているところに面白みを感じるのもどうかなと思ってたんだよね。浅いっていうかなんていうか。見た目で一つでも笑いを取ろうってところが下品だと思うわ、リアリティーの時代なの知らない? 誘拐犯って誘拐することに必死だから服とかは気にしないと思うんだよね、ってことはつまり何着てもいいじゃん、あ〜新幹線でなんのお弁当食べよっかな〜。
 普段よりも軽快な足取りで、地下鉄の入り口から改札へつながる階段を降りた。下から吹く強い風で前髪を乱したまま、荷物の中から財布を取り出しICカードを改札機にタッチする。その時、するすると電車がホームに入ってきた。えー最高! これこれ。まるで私のタッチで電車を呼び出したかのような完璧なタイミング。私はハイヤーに乗り込むハリウッド女優のように、優雅な動作で車内へと体を滑り込ませた。車体とホームの隙間にキャリーバッグが挟まってガガッとなったことで、セレブタイムは2秒で終了したけれど、乗ってしまえばこっちのもの。窓に映る自分を見ながら、ゆっくりと乱れた髪を戻した。地下鉄の入り口の風が強い原理ってなんだろうな〜涼しいからいいけど〜あ〜車内涼し…………「クーラー!!!」
 またたく間に、全身が絶望に包まれた。つけっぱなしにしたクーラーが、びゅうびゅうと音を立てて無人の部屋を冷やしている映像が浮かんだ。やばい。完全に消し忘れた。はやくプレゼンを始めないと。ほ、ほら、一週間家空けるって言ってもさ、本来は出かけなければ使うはずだった電気代なわけじゃない? じゃあ別に、でもまあ消しているに越したことはないけどね、じゃなくって、えー、クーラーの広告でさ、なかった? 「買うなら冷やせ、消すなら買うな」みたいなやつ。え、ない? あるわけない? お弁当のこ……どうでもいい? グミ買おっか? いらない?
 結局私は私を説得できないまま、新幹線の中でも立ち直れずに「最悪……」と10分に一度つぶやいてため息をついた。うっすら姿を現した富士山も無感動で眺め、「今頃うちはあの山頂ぐらい冷えてるのか」と思ったら泣きたかった。仲のいい後輩から「大阪単独頑張ってください!」とLINEがきたので「黙れお前に家のクーラー消し忘れた人間の気持ちが分かるんか」と送ったら、すぐに「え! 大家さんに連絡しましたか!?」と返ってきた。
 私は座席で飛び上がりそうになるのをなんとか抑えた。そうか、その手があった。なぜ思い浮かばなかったのだろう。大急ぎで車両の後ろへ行き、大家さんである優しい老婦人に電話をかけた。そして、しばらく家を空けること、部屋に入ってクーラーを消してほしいことを伝えた。老婦人は笑って、「はいはい〜気をつけていってらっしゃいね」と快く聞いてくれた。再度お礼を言おうとしたその時、携帯の電池は切れた。しかし、用件は伝わった。ようやく安堵して席に戻ろうとした時、再び思い出した。「拳銃!」
 大家さんに、芸人であることは伝えていない。部屋に置かれた拳銃と、散らかった部屋。東で老婦人が悲鳴をあげたちょうどその時、西ではそれをかき消すように、音を立ててプラットホームに新幹線が到着した。

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