佐藤文香のネオ歳時記

第28回「オクトーバーフェスト」「文化祭」【秋】

「ダークマター」「ビットコイン」「線状降水帯」etc.ぞくぞく新語が現れる現代、俳句にしようとも「これって季語? いつの?」と悩んで夜も眠れぬ諸姉諸兄のためにひとりの俳人がいま立ち上がる!! 佐藤文香が生まれたてほやほや、あるいは新たな意味が付与された言葉たちを作例とともにやさしく歳時記へとガイドします。

【季節・秋 分類・行事】
学園祭

傍題 学祭 大学祭 文化祭

 11月3日の「文化の日」は、いわずと知れた秋の季語であり、その傍題に「文化祭」もありはするのだが、どちらかといえば市民会館で行われるような文化イベントを指すようなので、今回は学校の祭という意味で立項したい。体育祭が9月ごろ行われるのに対して、文化祭は10月〜11月に行われることが多く、晩秋の季語とするのがよいだろう。
 神戸に住んでいた幼少期、父親の勤める大学の学祭に行くのが楽しみだった。当時女子短期大学だったその大学では、学生の多くを神戸下町のお嬢様が占めていた。まだ30代だった父親は彼女たちゼミ生を「ゼミーちゃん」と呼び、沖縄へのゼミ旅行では彼女たちにサトウキビを噛み与えるなど、今考えればなかなかな人生の春を謳歌したようである。そういう若い教員の娘などというものは重宝がってもらえるもので、父が顧問をしていた書道部の展示を見るという名目で、毎年秋は父に連れられて地下鉄で大学祭に向かった。小学校では特段なにができるでもなく、人気者になるすべも知らなかった私は、年に一度きれいなお姉さんたちにかわいがってもらえるほど素晴らしいことはないと思っていた。基本的にはお行儀よく、しかしかなりよくしゃべったのではないかと思う。出店で焼きそばやチョコバナナを買ってもらえるのも嬉しかった。ある年など、学祭が楽しみすぎて、土曜の授業後走って帰る途中で転んで唇を切って流血。現在までその痕が残っており、私にとって学祭といえば唇の傷である。
 自分が参加する側の思い出としては、中学三年のときは文化祭実行委員で俳句甲子園形式のイベントの司会をした。高校時代は俳句部の展示や部誌づくりに加え、二年のときは生徒会役員として運営側にもまわった。リレーで1人抜けば黄色い声援をもらえる運動会や、元バレー部として明らかに役に立てるグループマッチも好きだったが、文化祭ではイベント裏方の面白さを学んだといえる。
 私の高校の文化祭の名物は、運動会の縦割班で活躍した3年生のグループ長がライブをやるという、ジャイアンのリサイタルみたいな出し物で、それがいつも盛り上がったが、それよりもギター研究会という、いつもはやってるんだかやってないんだかわからない部が、その日だけバンドとして登場し、すごくかっこよかったのが印象深い。化学部や囲碁将棋部など、普段の活動を見ることができない部活を覗くことができるのも面白かった。いろんな人がそれぞれ面白いということを、確認できるのが高校の文化祭の良さだ。
 大学の学祭は、一度愛媛の県人会のようなところでじゃこてんを売った記憶があるが、以降コミットしていない。人が多すぎた。「文化祭」「学園祭」というとどちらかといえば高校までという雰囲気で、「学祭」というと大学祭。「文化祭」にはない、いくばくかのチャラさが感じられるので、うまく使い分けたい。

〈例句〉
渡り廊下に溜まる男子や文化祭  佐藤文香
学祭抜けてディスクユニオンで会おうか
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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