ちくま学芸文庫

戦後が生んだふたり

加藤典洋『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011』解説

10月刊のちくま学芸文庫『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011』(上下巻、加藤典洋著)より、下巻に収録された松家仁之氏による解説を公開します。村上春樹の短編世界の全体像をとらえたこの長篇評論について、松家さんは「本書のこころざしはおおきく、その手つきは繊細である」と評します。加藤さんによる緻密な批評の眼目はどこにあるのか? ぜひご一読ください。

 本書は2009年の夏から2011年の春まで「群像」に連載された長篇評論である。本の厚さは四センチを超え、加藤さんの単著としてはいちばん分厚いものになった。村上春樹の小説をめぐる著作はほかにもあるが、本書が「総本山」とでもいうべき構えと奥行きを備えているのはまちがいない。

 執筆当時、加藤さんは早稲田大学国際教養学部の教授で、連載が始まって半年あまりが過ぎた2010年3月30日からサバティカル休暇に入り、夫人とともに日本を離れている。前半はデンマークのコペンハーゲン、後半はアメリカ西海岸のサンタバーバラがそれぞれ拠点となった。帰国は2011年3月30日。

 日本を発つ前にお目にかかり、季刊誌「考える人」にサバティカル期間の日記を書いてくださいませんか、とお願いした(私は新潮社の編集者だった)。のちに本になったのが『小さな天体――全サバティカル日記』である。サバティカル休暇ではあったものの、書き手としては休みなく書きつづけた1年だった。日記を読み返してみると、ヨーロッパ各地に旅行に出かけ、当然ながら大量の本を読み、美術館に足を運び、音楽を聴き、ファーマーズ・マーケットで買い物をし、料理も洗濯も掃除もしている加藤さんの姿がある。異郷での生活に小さなトラブルや心配ごとがなかったわけではないだろう。それでも日本とは別の時間が流れる日常は、還暦を過ぎた加藤さんの人生の、小春日和めいた日々だったかもしれない。

 サバティカル休暇がまもなく終わろうとする2011年3月11日。海の向こうの日本が東日本大震災に見舞われる。それ以降の、帰国から5月までの2ヶ月間は、「帰国日記」として『小さな天体』に加えられている。加藤さんの頭上にはすでにアメリカ西海岸の乾いた青い空ではなく、戦後の日本をおおいつづけている鉛色の空がふたたび広がりはじめる。帰国後に発表された著作、『3.11――死に神に突き飛ばされる』『人類が永遠に続くのではないとしたら』は、予期せぬ震災と原発事故から生まれた情況への発言だった。

 サバティカル休暇をはさんで書かれた『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011』と『小さな天体』のなかに横顔を見せている加藤さんはしかし、穏やかで、潑剌として、おのずとわきあがってくる言葉を思い煩うことなくのびやかに解き放っているようにみえる。

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「作品を読む上で、その出自を問うことは、けっして必要不可欠なことではありません。それなしに、一つの作品であるということが、作品が単独で存在しているということの意味だからです。とはいえ、われわれが関与し、それを読むと、そこに何かがつけ加わる。一つの作品が作品として成立するのに、読者という項目が必須なのは、作品が本質的に他者にひらかれた存在だからでしょう」(上巻212 頁)

 村上春樹の小説をどのように読み、批評するか――加藤さんの姿勢はここに書き尽くされている。関与する、つけ加わる、と体温の低い表現が使われているものの、作品の読解は創造と背中合わせ、セットで成り立つというつよい自覚、執筆姿勢はあきらかだ。

 テキストから離れず、その呼吸やリズムに神経を集中させ、著者と同じスピードで伴走する緻密な読解には、沿道にならぶ観衆への目配りもある。年譜的な事実、時代背景も見逃さない。一九七九年にデビューした村上春樹の小説を、デビュー以来の約三十年の時間軸に並べ、年代順に眺め渡すこと。前後に書かれた長篇とのあいだの紐帯もさぐりだし、総体としての小説世界をあきらかにしようとすること。本書のこころざしはおおきく、その手つきは繊細である。土台のないところで試みられる空疎なジャンプは、ここにはない。

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 デビュー後に初めて書かれた三つの短篇、「中国行きのスロウ・ボート」「貧乏な叔母さんの話」「ニューヨーク炭鉱の悲劇」は、「無謀な姿勢」で書かれていると加藤さんはいう。発表されるたびにすべての作品を読んできた人間なら、デビューまもない村上春樹の作品に「無謀な姿勢」という形容ほど馴染まないものはないと感じるはずである。

 当時私は「貧乏な叔母さん」を、記号的、概念的なものとして受け取っていたとおもう。それは時代を画したふたつのアメリカ小説、ナサニエル・ウェスト『孤独な娘』(1933年)、リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』(1967年)に支えられてもいた。「孤独な娘」も「アメリカの鱒釣り」も、詩的な概念としてイメージが喚起されれば、対応する現実がなくてもかまわない、つまり「貧乏な叔母さん」もその隣に並ぶものだろうと。

 しかし「貧乏な叔母さん」の命脈は、約30年後に書かれた長篇『1Q84』にまで保たれていることを、加藤さんは小説の設定や印象的な場面とともに指摘する。小説を書く動機はどこにあるのか。小説家を動かすものはどのように生きつづけるのか。

「小説を書くとは、大きな『観念』(気がかり)に苦しめられながら、身近な出来事に助けられ、これに具体的な、小さな『形』(手がかり)を与えることなのではないだろうか。それに『小さな』形を与えながらまた、『大きな』観念から離れないことなのでは、ないだろうか。つまり、大きな汚染された『物語』から、小さな『初心の形』を離隔し、取り出すことなのではないだろうか」(上巻163~164頁)

 村上春樹の短篇を読むと言いつつ、それまでに書かれた長篇との対応関係まで緻密に論じているのが本書の眼目だ。小説のモチーフとディテール、長篇と短篇、それらは二分するものではなく、不断に往き来するもの。加藤さんのなかには批評家だけが棲んでいたのではない。小さな詩人、小さな小説家が、黙って座っていた。だからこそ見えてくる。さらにいえば、「大柄で直接的な社会的関心を愚直なまでに作品に盛ろうと」する「無謀な姿勢」とは、『敗戦後論』を書く加藤さんの姿勢そのものでもある。

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 本書で初めて指摘されることはまだある。「デタッチメント」と「コミットメント」が入れ替わる時期はいつか。阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた1995年を境に、作品としては『ねじまき鳥クロニクル』あるいは『アンダーグラウンド』を境に、その転換が起こったと考えるのが一般的だ。

 しかし、デタッチメントには書法としてのデタッチメントと、態度としてのデタッチメントのふたつがあると分けて考え、転換の過程は何段階にも分かれてなされたという見方を加藤さんはとる。その最初、書法としてのデタッチメントがまず『1973年のピンボール』で終わり、『羊をめぐる冒険』で「物語」の道を選ぶことによってさらに次の転換が起こるのだと。たしかに歴史とは二進法ではなく、螺旋を描いてアナログに進むものだろう。コミットメントがある日突然、幕をあけるわけもないのだ。

「書法としてのデタッチメントは、『物語』が選ばれることで、姿を消す。すると、今度はその『物語』を賦活すべく、『物語』の一要素である主人公の造型のなかに――主人公の『態度』として――そのデタッチメントが埋め込まれる」(上巻236頁)

 家族(兄妹)をめぐる悲喜劇を、女性誌にさらりと一筆書きで書いたかに見えた「ファミリー・アフェア」の果たした役割も見逃さない。広告代理店勤務の「僕」(兄)は「確固としたいい加減な生き方」をして「他人のことと僕のことは別問題だ」と考える人物。しかし妹の婚約相手が現れたことを契機に、態度としてのデタッチメントがなすすべもなく崩壊してゆく姿を描いていると見る。「こうして態度としてのデタッチメントを指標とする前期世界が終わる」。そのうえで『ノルウェイの森』が書かれてゆくのだと。

『1973年のピンボール』と「ファミリー・アフェア」に特別な愛着を覚えてきた自分のむずむずするような気持ちに、ふわりと言葉を与えられたような驚き。

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『ノルウェイの森』後に書き手の経験した「孤立」の姿を加藤さんはじっと見ている。そこからの脱出はどのように可能だったか。さらには「女性性の語り」が生まれた背景と、そこから長くのびた先にある『1Q84』の青豆の造型の道筋にも光はあてられてゆく。

「人間生存のきつさ、という観点から、きわめて個人的な孤立の様相が、ジェンダー性の孤立の外貌をいくぶん虚構的な枠組みとして――隠れ蓑として――身にまとって採用される」(下巻18頁)としたうえで、不穏な短篇「眠り」を「苦しかった彼女が、外からの他者の暴力にさらされ、その『苦しさ』の見えない壁を可視化させ、恐怖におののき、泣くというところに、一つの希望、『温まりの予感』、作者の『進み始め』のしるしがある」(下巻104頁)と見るに至るのは、加藤さんが作品を通して書き手の内部に深く入りこみ、その「孤立」と作品の結び目をさぐりだそうとしているからだ。『ねじまき鳥クロニクル』の前に発表された短篇「沈黙」と、発表後の短篇「七番目の男」をめぐる分析の確信に満ちた視線は、箱庭療法でなにかを見いだし静かに感嘆する臨床心理家の眼差しに似ている。

「一度完全に孤立し、孤独地獄を味わい、ここまで硬直した姿勢で日本社会へ憎悪を募らせるということがなければ、きっと、その後の一九九五年の展開、つまり阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件をきっかけに生じた村上の回心に似た展開はなかったはず」(下巻132頁)

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 もうひとつ、対立関係をなすキーワードに「隠喩的世界」「換喩的世界」がある。その「換喩的世界」の極限にある短篇「かえるくん、東京を救う」を詳しく論じる部分は本書後半の白眉だろう。「大衆」や「正義」といった火傷しかねない言葉まで正面にひっぱりだし、この短篇の「わかりにくさ」をひらいてゆく手つきは、「かえるくん」の闘いを、加藤さん自身の闘いにまで重ねてゆくかのようだ。「迫力というのは、書き手が自分でもよく意味のわからないことを、作品を書くことの無意識の力に導かれて『こう書くしかない』という仕方で書いているということです」(下巻236頁)「かえるくんから蛆虫やみみずや虫という虫が出てきて、病室の壁をよじ登り、片桐の耳や口、肛門に這入りこんでくるという最後は、僕に勇気を与える。そういうものでなければ、『正義』などというものは、正義であり続けることはできない」(下巻254頁)

「きみは悪から善をつくるべきだ」というロバート・ペン・ウォーレン『すべて王の臣』からの引用が、『敗戦後論』で一度ならず浮上する。ここにもその感慨が伏流している。悪とはなにか。善とはなにか。意味とはなにか。

「そもそもある個人に深く沈潜した経験というものは、誰にとっても『意味』をもっているのじゃないだろうか。ある経験が、誰の目にもその意味はわからないながら、でもわからないままに耳目をそばだてさせ、また別種の『意味』を生む、ということがなければ、われわれの世界は、広がりをもたないことになってしまう」(上巻355頁)

『敗戦後論』の最後の章「語り口の問題」には、ハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』が「ニューヨーカー」誌に掲載されたとき、ユダヤ人社会から徹底的な批判にさらされたが、それはアーレントの語り口や文体が火に油を注いだのだ、ということに触れた部分がある。アーレントは、「語り口というのはむろん非常にアイロニック(皮肉っぽい)です、それはまったくのところその通りです。この場合、語り口は実際のところ、人となりと分離不可能です。ユダヤ民族を告発したというわたしに投げかけられた非難については、噓のプロパガンダだと答えればすみますが、語り口については、わたしの人となりへの異議で、わたしにできることは何もないのです」「わたしとしては、実際のところアイヒマンが道化であることがはっきりとわかった。彼のたしか三六〇〇頁にも及ぼうという警察での尋問調書を読んだのです。で、何度笑ったか知れません、何度吹きだしたことか!」(『敗戦後論』)

 勢いあまって村上作品を追い抜きそうになっていると気づくと、「アブないおじさん」と自嘲し、照れ笑いするくだりが本書のなかにある。が、意見はとりさげない。加藤さんも村上さんもふだんは機嫌のいい、素直な笑いかたが印象的な、冗談好きの人柄だ。敗戦後3、4年で、それぞれ生まれたふたりの笑顔。団塊の世代に冗談好きが多い気がするのはなぜだろう。橋本治さんもそうだった。

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『小さな天体』の8月の記述。デンマークのミュン島で行われた「日本の小説家のイベント」に加藤さんは足を運んでいる。イベント2日目の席が最前列だとわかり、「少数の親密な小説家のファンの集まりであるような会で、最前列に無粋な日本の文学関係者がいるのも、やりづらいだろう(というか、そうだろうしまた、こちらも気詰まりになる)」と書いている。チケットは知り合いに譲ってしまい、ホテルで山室静の本を読みながら眠りこみ、いびきをかきはじめる。ふたりがここで会うことはなかった。本書が「日本の小説家」に読まれる必要もないかもしれない。私は本書の続篇が不可能になったことよりも、加藤さんの笑い声や少し控えめな冗談がもう聞けないことがただかなしい。

                          (まついえ・まさし 小説家)

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