加納 Aマッソ

第18回「うちの店、潰す気かぁ!!!」

 城下町という言葉に惹かれて、初めての一人暮らしは伏見桃山に決めた。駅を降りてすぐ東を向くと、赤い大鳥居が厳然として立っており、それを抜けると御香宮神社への参道が、ゆるい坂道になって続いている。さらに上ると、伏見城である。駅の西側には、踏切を超えた先に明るいアーケードに覆われた大手筋商店街が見え、南北に走る近鉄電車の高架下には、立ち飲み居酒屋やおでん屋が賑やかに軒を連ねていた。歴史が感じられる町並みに、18歳の私は目に入る景色全てが気に入った。これから始まる新生活が、楽しみで仕方なかった。

「うちの店、潰す気かぁ!!!」
という女将さんの怒鳴り声が、狭い店内に響き渡った。あまりの大声にカウンターで静かに呑んでいた常連のおじさんも、肩をピクッと動かし、手に持っていたタマネギ串をそっとお皿に置いた。
 高架下の串カツ屋でバイトをし始めて2カ月ほどが経っていた。面接の際に女将さんから「厳しくすることもあるけど、頑張ってや〜」と言われた時から、うすうすヤバそうだとは感じていた。厳しくすることもある、と事前に申告してくる人の「そもそもベースが厳しい率」は100%である。「じゃあ結構です」ということもできず、おそるおそる働き始めたものの、せっかくの新生活が憂鬱な日々になる予感をひしひしと感じていた。店内のBGMにはいつも、女将さんの好きなビートルズのイエローサブマリンがかかっていた。「もしかして潜水艦ってのが、高架に潜ってる店、みたいなことで関係あったりするんすか〜?」なんていう軽口は、あのつり上がった眉をみて言える人は誰もいなかった。3年前からこの店で働いているという21歳のヤスさんは毎日のように怒鳴り飛ばされていたが、女将さんのキレ方は前兆なく最初からトップギアでくるのが特徴で、ヤスさんはその時いつも一瞬キョトンとした顔をして、そこから慌てて反省の顔を作るのだった。それを見て、次に私がキレられる時は、キョトンはなるべく省こうと思った。

 その日23時すぎに来た3人連れのサラリーマンはすでに顔が赤く、どうやら2軒目のようだった。入ってくるなりカウンターごしに、「酔い冷ましに、うどん三つちょうだい」と注文した。私は「おおきに〜!」と元気に応え、ヤスさんに「うどん三つお願いします〜!」と伝えた。10分ほどしてまもなくうどんが出来上がるという時、3人は「ごめん姉ちゃん、やっぱり終電やから帰らなあかんわ」と言って立ち上がり、「せっかく作ってくれたのに悪いな」と謝って、うどん3杯分の1200円をカウンターに置いて店を出て行った。私とヤスさんは顔を見合わせ、まあ終電ならしょうがないかと、今日のまかないはうどんかな、と考えた矢先、裏で作業していた女将が戻ってきた。中途半端に出来上がったうどんとテーブルに置かれた1200円を見て「これなんや?」と聞いた。「あ、うどん出そ思たら、終電やから言うてお金置いて帰らはりました」と私が説明し終わらないうちに、「ええかげんにせぇ!!!」と雷は落ちた。私はあれだけイメージトレーニングしていたのに、はっきりとキョトンから入ってしまった。女将さんは、驚くべき剣幕で「出してもない料理の代金とる店やて噂立ったらどうしてくれる? え? うちの店、潰す気かぁ!!」とまくしたてた。急いで反省の顔にシフトしようと考えた時、遮るように「今すぐ走って金返してこんかぁ!!」と言われたので、「はぃい!!」と言って私は1200円を掴んで店を飛び出した。
 改札の前に着いたのは、終電が出たすぐ後だった。おそらくは3人のサラリーマンを乗せている電車が、むなしく頭上を過ぎていった。肩を落として、どうやって謝ろうかと思いながら元来た高架沿いの道をトボトボと戻っていくと、目の前の異変に気がついた。ゴゴゴゴと音を立てて、店全体がゆっくりと後ろへ下がっている。まずい。怒りを動力として、女将さんの潜水艦が動き出してしまった。私は焦って、店が高架下からすっぽりと抜け出てしまうギリギリに、店内に駆け込んだ。
 道路に飛び出した船は、西に向かって進んでいった。私は「すいません艦長、私の足が遅くてお客さんにお金返せませんでした」と言ったが、「謝る理由がちゃうやろドアホ!!」とキレられ、船はさらにスピードを増した。そのまま南に進路を変え、古い町家が並ぶ通りに出た。由緒ある大きな酒蔵の前を過ぎ、かの有名な寺田屋の前を過ぎたところで、ここが城下町であることを思い出した。船が水路を目指していると気づいた頃には、前方に宇治川が見えた。かつて京阪をつなぐ水運の拠点として栄えた、伏見港であった。
 宇治川の流れに任せしばらく南下したあたりで、女将さんはタバコをふかして潜れる水深かどうかを確かめはじめた。そこで船の速度が緩んだのを見て、私はもう一度、今度は味付けなしのプレーンな「すいません」を試してみた。が、そんなものは通用するはずもなく、「何がや?」とすぐにカウンターを食らい、窮した私は「……全部です!」と言うと、最高潮にブチ切れた女将さんが「お前もこないしたろかゴラァ!!」と、フライヤーの中に食材を思い切り投げ入れた。私はキョトンなしで、これ以上ないくらいの反省の顔をキメたが時すでに遅く、「本場のあほんだらに、うちの串カツの味分からせたらあ!」という女将さんの勢いそのままに、船は猛スピードで淀川を走り抜け、やがて大阪港に突っ込んでいった。「店の評判落としてすいませんやろが!!」という解答を聞きながら、評判と物流、当時どっちのほうが早かったんだろうかと、沈みゆく船の中で、それだけを考えていた。

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