PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

さくらももこと消えた先輩

文芸部のその後・1

PR誌「ちくま」11月号より屋代秀樹さんのエッセイを掲載します。

 今は劇作家としてボチボチ活動しているが、大学四年間は文芸部に所属して小説を書いていた。千葉の高校生だった頃から純文学の小説家に憧れており、都内の大学に入学が決まった時、絶対に文芸部に入ろうと思っていたのだ。大学の文芸サークル! そこは小説家を目指す異才鬼才の若者たちが、その学と技を切磋琢磨しあう場! と、当時は割と本気でそう思っており、文化的な資本といえば図書館くらいしかない郊外で育った自分は、先輩同朋に舐められちゃいけないと、入学までの春休みの間中、図書館で、近代文学の小説を読みふけった。志賀直哉! 中島敦! 安部公房! なんかそこらへんのやつ! それでもまだ舐められるかもと、本屋で買った現代文学読本みたいなムックに紹介されてる現代作家の小説も、片端から図書館で読み漁った。J文学! J文学みなさん覚えていらっしゃいますか!
 これごときで準備万端とは思ってなかったが、自分の人生ではもう金輪際ないくらい当時は夢と情熱に満ち溢れており、ボコボコにされる(文学的に!)覚悟もあった。俺は仲間たちと文学をやる。そのために大学の文芸部に入る。
 初めて行った部室で上級生が開口一番こう説明してくれた。
「ここはさくらももこみたいなエッセイ書いて賞金をもらって、みんなで海に行こうってサークルなんです」
 部室にはビールの空き缶が転がっており、当の先輩は小柄だが蛇みたいにやつれてて、見たことない安っぽそうなタバコ(ゴールデンバットだと後に教えてもらった)を吸っていた。絶対海行くような肌じゃないので明らかに嘘ついてる。「世の中やっぱりお金だよね、さくらももこ好きですか?」さくらももこの話をされるのが怖い! という新鮮な体験。部室には女性の先輩が他にいて、この人はずっと「刺青を彫りたい」という話をしていた。たぶん良かれと思って上京してきた十代の子に和彫りの話をしてたんだと思う。今ならわかる、今なら。部の説明をキチンとしてくれる親切な先輩も後から現れたものの(なぜか部室に入ってきた時息絶え絶えだった)、この人も雑談の途中で突然刺青の(話する)先輩にキレ出して口論になり、どうやら新入生の前で刺青の話をするその態度を咎めていたらしいが、こっちとしては知らない大人の男女(大学生大人に見える)が目の前で突然喧嘩しはじめただけだった。
 翌日また部室に赴いたところ、刺青の話の先輩はいなかった。他の先輩に聞いたら、なんでも自分が帰った後のその日の夜、隣のバイコロジー同好会と合同の花見会が開催され、その余興の相撲大会で、刺青の先輩が文芸部側の賞品として提供されそうになって本人激怒、部を辞めたという(バイコロ側の賞品はテレビ)。そんな蛮族かと思ったが、実際その先輩と部室で会うことは二度となく、春の幻みたいだった。
 およそ二十年前の話だ。自分にとっての「カルチャーショック」となると、はじめて文芸部の部室に行った時のこれらのことを思い出す。後年先輩に、なんであの時さくらももこの話をしたかと聞いたら「なんかホンモノっぽいのが来たので舐められちゃいけない」と思ったからだそうだ。

PR誌「ちくま」11月号