ちくま新書

ニッポンの大学は本当に危機なのか?

入試改革が話題になっていますが、それ以前から大学を改革するという流れが文科省を中心に根強くあり、様々な施策が行われてきました。 しかし、事態はなんら改善していません。はたして大学改革はなぜこれほどまでに混迷を極めているのか?『大学改革の迷走』の冒頭をご覧くださいませ。

『危ない大学 消える大学』
「予算重点化でもランキング低迷 国立大学は甦るか」
「大学が壊れる――疲弊する国立大、捨てられる私大」
『消えゆく「限界大学」――私立大学定員割れの構造』
「国立大学の成れの果て――ノーベル賞がとれなくなる」
『大学大崩壊――リストラされる国立大、見捨てられる私立大』
 

 ――この数年のあいだ次々に出版されてきた「大学危機本」と呼ぶことができる書籍や同じようなテーマをとりあげた特集記事のタイトルです。「大学(経営)冬の時代」の到来が新聞や雑誌などで取りあげられるようになったのは一九八〇年代半ばのことでした。それから三五年以上の歳月を経て、日本の大学は冬の時代を通り越して「氷河期」とでも名づけられる局面に突入しようとしているように見えます。
 事実、「氷河期」の兆候は、さまざまなところに表れています。また、それは大学の経営だけではなく教育や研究の根幹に関わる部分にも見られます。
 たとえば、少子化にともなう受験者や入学者の減少によって深刻な経営危機に直面している大学は、地方や中小規模の私立大学を中心にして一〇〇校(法人)以上にのぼるとも言われています。この私立大学の経営難をめぐる問題は、しばらく横ばいを続けていた一八歳以下の人口が二〇一八年以降に再び減少傾向を示していくことが確実ということもあって、さらに深刻な事態を迎えることが予想されています。
 一方で、この一五年ほどのあいだに、「研究大学」などと呼ばれる主要な国立大学や私立大学の多くは各種の世界大学ランキングで順位を落とし続けています。同じ時期に急速に順位をあげてきたのは日本以外のアジア圏の主要大学、特に中国の大学です。また、中国をはじめとするアジアの国の場合には、ランキングで上位に入る大学の総数自体も急激な勢いで増えています。
 世界大学ランキングの順位を大きく左右する条件の一つには、それぞれの大学に在籍する研究者が発表する研究論文の本数やその質というものがあります。この点でも、日本は大きく後れをとっています。他のアジアの国の場合には、学術論文の本数自体が飛躍的に増えているだけでなく、他の研究者からの引用頻度が高い論文の比率が拡大しています。それに対して、日本の場合は両方とも長期低落傾向にあるのです。
 教育面でも、日本の大学は深刻な問題を抱えているようです。これに関しては、以前から日本では、高等教育の大衆化を背景として「レジャーランド」化している大学が少なくないと言われてきました。近年はこれに加えて、いわゆる一流校でおこなわれている教育の内容や質についても疑問が投げかけられるようになってきました。この点に関してマスメディアで大きく取りあげられてきた話題の中には、たとえば、学業成績という点でトップクラスの若者たちが、東京大学や京都大学という国内の一流校を見限って、海外の有名大学(英国のオックスフォード大学や米国のハーバード大学など)への進学を志すようになった、というものが含まれています。
 こうしてみると、日本の大学は経営上の危機を迎えているだけでなく、急速にその存在意義を失っているようにも思えます。先にあげた何点かの大学危機本の表現を借りれば、存在理由を喪失し「大崩壊」の瀬戸際に立たされている大学の中には、遅かれ早かれ「消えて」しまうところがあるのかも知れません。
 実は、冬の時代とは言われながらも、この三〇年ほどのあいだは、進学率の上昇が少子化の影響を打ち消していたことによって大学への進学者数はむしろ増え続けてきました。また、規制緩和政策の影響もあって大学は「淘汰」されるどころか、私立大学の場合は、二〇一三年まではその総数がほぼ一貫して拡大傾向を示してきました(それが現在の危機的状況を招いてきたという一面もあります)。しかし、この一〇年ほどのあいだは、その「小春日和」とも言える状況がつかの間の小康状態のようなものに過ぎなかったことが、いよいよ明らかになってきました。その意味では、日本の大学は今まさに本格的な冬の時代もしくは「氷河期」に突入しつつあるようにも思えます。
 今から約一万年前に終わった「最終氷期」と呼ばれる氷河期には、巨大生物を中心にして大量の生物種が絶滅したと言われています。同じように、第二次世界大戦の終了後にひたすら拡大を続けてきた日本の高等教育の世界は、この「大学氷河期」にあって大量絶滅を含む重大な転機を迎えつつあるのかも知れません。
 自然界であれば、冬の次には春がめぐってきます。だからこそ、私たちはたとえ今は厳しい冬の時期を迎えていたとしても明日への希望をつなぐことができるのです。しかし、日本の大学の世界ではかなり以前から、冬に続くはずの次の季節の到来を見通せないような陰鬱な空気が支配しています。この本では、そのような、来たるべき未来の姿を見通すことがきわめて難しい氷河期のような状況を引き起こしてきた最も重要な原因の一つとして大学改革政策(とそれに対する大学側の対応)を取りあげて、その問題点について検討していきます。
 これは、取りも直さず、政府や文科省をはじめとする府省による改革の努力や試みにもかかわらず日本の大学が危機に瀕しているのではなく、むしろ改革のために(せいで)より深刻な危機を迎えることになってしまった、と考えられる点が少なくないからに他なりません。
 実際、この三〇年ほどのあいだに各種の審議会や文部省・文科省から示されてきた改革案の中には、どうみても筋が通らない不可解なものが少なくありません。たとえば、中央教育審議会の答申には、委員として名を連ねている著名な学識経験者や経済人・文化人の顔ぶれからすればとうてい信じられないほどに稚拙で意味不明な文章が大量に見つけられます。
 また、大学現場にある者からすれば、それらの「改革」政策にもとづいて文科省から現場に下ろされてくる指示や補助金プログラムの申請条件には、理不尽としか言いようがないものが少なくありません。同じような点は、認証評価機関が提示している評価基準などについても指摘できます。
 事実、それらの政策や指示あるいは評価基準は、政策文書にうたわれているような「改革」を成就させるどころか、むしろ逆に大学における教育と研究の基盤を脆弱なものにし、また大学現場の業務を停滞させてきたのでした。
 この本は、二〇一八年に出版された『50年目の「大学解体」 20年後の大学再生――高等教育政策をめぐる知の貧困を越えて』(京都大学学術出版会)の姉妹編にあたります。前著では日英の大学に在籍する四人の共著者とともに、大学改革政策や研究評価制度が抱えている「症状」についてさまざまな角度から検討を加えました。
 本書では、その前著では紙幅の制約などから説明しきれなかった点も含めて、改めて日本の大学改革が抱えてきた深刻な問題に関する「病理診断」をおこないます。また、その診断結果をもとにして、見当違いの改革政策だけでなく、それに対する大学側の過剰反応によっても引き起こされてきた大学現場の荒廃がこれ以上進まないようにするための道を探っていきたいと思います。

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