海をあげる

私の花

 それから性教育を始めてみた。お風呂に入ると身体を拭きながら、おまたやおちんちんはきれいな手で触らないといけないこと、大事な場所なのでだれにも見せたらいけないこと、風花の身体を見たり触ったりするひとは悪いひとで、それを不審者っていうから、嫌なことがあったら、すぐにお母さんかお父さんか誰か大人に話してほしいと繰り返し説明した。娘もまた、「子どもを連れて行く不審者がいる」「子どものおまたやおちんちんを見ようとする不審者がいる」「嫌なことがあったら言う」と話すようになり、娘の誘拐ブームはようやく終わった。
 それから娘は4歳になった。秋になったころに保育園ではその年2回目の集団検診があって、保育園に検査のためのおしっこを持っていかないといけなくなった。
 眠る前に、「明日、お医者さんにあげるから、おしっこを持ってきてねって先生がいっていたよ。朝になったらおしっことって、保育園に持っていこうね」と娘に言うと、娘はおびえた顔をして、「保育園休む」と言った。
 「ん? おしっこをとるのは痛くないよ」と言うけれど、娘は「お医者さんにおしっこあげるの? 風花はお医者さんが嫌い」と言う。いつものお医者さんじゃないから嫌なのかなぁと、私はたいして気に留めることもなかった。
 朝になってトイレに入る娘のそばで、検尿コップを組み立ててさっとおしっこをとると、娘は大きな声で「おしっことらないで」と怒りだした。
 どうも様子がおかしいと思いながら、時間に追われて気にかけず、出発前に、「あ、おしっこ持っていかなくちゃ」と言って、トイレに置いてあるおしっこの袋を取りに行こうとすると、娘は私を追いかけてきてトイレに入り、袋を持って逃げだした。
 「ちょっと待て、ちょっと待て」と言いながら娘を追いかけて、袋を取り返すと「いやだ!」と娘は大声で言って、「保育園に行かない! おしっこ返して」と泣いている。
 これは様子がおかしいとようやく思い、「どうして保育園が嫌なのか教えてくれないかな」と、娘のそばに座って聞いてみた。すると娘は、「保育園のお医者さんは、子どものちんちんを見るんだよ」と言う。ぎょっとしながら「いつ見たの?」と聞いてみる。

 「この前。ちんちんを見たよ。保育園のお医者さんは、不審者?」

 とにかく何があったか確認しようと思い、「この前、“大きくなったね”(身体測定)があったよね、そのときのことね。お医者さんは、おちんちんを見たの?」と聞くと、「パンツおろして、見た」と娘は言う。

 「それは本当にびっくりしたね。教えてくれてありがとう。じゃあ、今日、かーちゃんが先生に聞いてみてもいい? それで、風花が怖がっているって先生に話して、それでも風花が怖いな、嫌だなぁと思ったら、今日は保育園休んで、かーちゃんの仕事場に行こう」

 娘はほっとした顔をして草履を履いて、車に乗った。
 保育園について、娘の担任を探したけれど見つからず、主任の先生に確認すると、「今日は遅番なのでまだですよ」と教えてくれた。「〇〇先生にお話をしてもいい?」と娘に確認してから、主任の先生と話す。

 「今日ね、朝、大変だったの。おしっこをとったあとで、風花が行きたくないって言って泣き叫んで、様子が変だって話を聞いたら、今日の検診が嫌だって。お医者さんが、おちんちんを見たって話していて、何があったのかなぁと思って」

 先生は笑っている。

 「お母さん、先週、〇〇組さんは、お医者さんの検診で、発育がちゃんとしているか確認したんです。ちょうどそのころに、小児科ではおちんちんが標準サイズなのか診察するらしくて、男の子だけパンツの上からあけて見たの。女の子は見ていないと思うんだけど、風花は怖かったんだね」

 ああ、そうだったのかと謎がとけてホッとしたので私も饒舌になり、「そういうことですか。うちでは性教育を始めていて、おちんちんを見るひとは不審者だよって話しているので、風花はびっくりしたんだと思います」と言うと、主任の先生は首をかしげて、「お母さーん、まだ早いですよ、4歳で性教育は。まだ4歳だから、風花は不審者って言葉だけが残ったんじゃないかな。性教育は、早い、早い」と言う。
 主任の先生は、「私が話しておきますよ」と言ってくれたけど、今日はやっぱり娘も一緒に担任の先生と話そうと思い、保育園で先生を待つ。
 9時に登園した担任の先生に朝のことをひととおり話していると、担任の先生は娘のほっぺたをぎゅーと包みながら娘と話をしてくれた。

 「風花、怖くなっちゃったね。風花、ごめんね、先生が教えてあげたらよかったね。お医者さんは男の子たちのおちんちんは大丈夫かなって調べたんだよ。お母さん、先週の検診のとき、男の子たちだけ列をわけて、お医者さんがパンツをこうやって、ひょいっとあけてみたんです。風花は女の子の列の前の方だから、ずっと男の子たちのことを見ていたんです。それで怖くなったんだと思います」

 担任の先生が、「自分が嫌なことをお母さんに話せて、風花は偉かったね」と娘に言うと、娘は嬉しそうに笑っていて、先生と手をつないで私のそばから離れていった。
 帰りの車で、担任の先生とのやり取りにほっとする。それでもやっぱり、もやもやする。
 4歳の子どもに性教育を始め、不審者を教えるのは早いだろうか。子どもたちは本当に小さなときから性暴力の被害者になっている。何度も試される侵入行為が、決定的なものになるまでそんなに時間はかからない。
 調査で出会い、小さなころに始まった性暴力の被害について話した女性は、「子どもはみんな同じことをされていると思っていた」と私に話した。そして「子どもから、こんなこと話せないですよ。気づかない大人が問題なんです」と、私に言った。 
 あのとき私は、気づかない大人のほうが問題なのだと全面的に彼女に同意した。でも、子どもがそのことを訴えても、はっきりわからないことのほうが多いのだろうと、今朝の自分にひやりとする。
 それぞれの家族が、単独で子どもを育てていることが問題なのだと私は思う。子どもたちには、それを話す言葉がない。子どもの言葉が、聞き取られる場所がない。