ちくま新書

天国で始まり、地獄で終わった平成ヤクザ

分裂対立状態が続く山口組。元顧問弁護士が平成の30年間を振り返るとともに現状を分析する。

 平成の山口組を総括する時、その始めと終わりの落差に驚かざるをえない。改めてヤクザは時代の環境に大きく影響を受けるものだと思い知らされた。特に平成という元号は始まりがヤクザの天国、終わりは地獄である。渡辺芳則組長を代紋頭とする五代目山口組が誕生したのは平成元年である。ヤクザ史上最大の抗争であった「山一抗争」の完全勝利とバブル経済が史上空前のヤクザの爛熟期をもたらし、山口組百有余年の歴史上最も豊かな時代だった。
「プラチナ」あるいは直参と呼ばれる二次団体組長(トップの親分と直接盃を交わした舎弟・子分のこと。山口組本家組員である直参のもとにそれぞれ舎弟、子分の盃を交わした組員がいる。山口組では組長の下、直参のうちの長男にあたる若頭を頂点にピラミッド型の擬似血縁組織が形成されている。プラチナの呼称は、彼らが胸に着用する代紋がプラチナ製であることから)、その多くが地上げや不動産取引にからんで大金を手にし、圧倒的な金の力で親分衆の間に拝金主義が蔓延した。
  経済ヤクザという言葉が使われたのもこの頃で、山口組では宅見勝、後藤忠政らの有名親分がその代表格と言われた。それぞれに有能なフロント企業を抱えており、その存在なしには大金を稼ぐことは考えられない時代だった。渡辺五代目も東京の親戚団体に挨拶に行った折など銀座に繰り出すと一晩に二〇〇〇万円を使ったそうで、高級クラブをはしごしながら散水車のように現金をまき散らした。ヤクザ業界至福の時代で、平成を終えた今から振り返れば「帰らざる日々」と言えるだろう。
 だがバブルに酔いしれた反動も強烈だった。金満ヤクザの跳梁跋扈に国家権力が鉄槌を下すべく、平成三年に新種の法律である「暴力団対策法」(以下暴対法という)を制定して、国民の中に「暴力団」という法的新種を作った。新法制定は国民の間に、「暴力団を社会から排除すべし」とする機運を醸成し、新人種は通称「反社会的勢力」と呼ばれるにいたる。「反社」は、善良な市民が付き合ってはならないもの、とのコンプライアンス(法令遵守)の風潮が急速に広まっている。
 日本経済が「失われた二〇年」と言われる下降期に入ると、加えてヤクザは暴対法、暴力団排除条例により、合法的シノギ(生計を立てる手段)のことごとくを奪われていった。気付いてみれば、もはやヤクザは、権力からも政治家からも企業からも一般市民からも用のない存在になっていた。そして法的新人種の「暴力団」枠の人々を暴力団排除の嵐が容赦なく襲った。
 平成の終わり頃にはヤクザのままでは社会生活を営むのがむつかしくなっている。マンションは借りられない、銀行口座は持てない、不動産売買はできない、車は買えない、ゴルフ場に行けない、ホテルに泊まれない、葬儀場は借りられない、印刷業者は注文を受けてくれない、携帯電話も買えない、宅配業者は荷物を受けない、子供は学校でいじめられる等々、差別扱いは枚挙にいとまがない。
 六〇歳の老組員が郵便局で一日アルバイトをしたら、「暴力団組員である身分を隠して働いた」のが詐欺罪にあたるとして逮捕された。家族のために四〇年以上も加入していた生命保険の契約見直しに担当者の勧めるままに応じたら、これも「暴力団組員であることをみずから申告しなかった」として同様に逮捕された一件もある。ヤクザであっても生命保険の掛け金や年金を支払っている人間はいるが、今後、虎の子の国民年金の支払いが正当になされるか懸念もある。
 行政から差別的な扱いを受けることがあってもそれは「合理的な差別」とみなされることになっており、もはやヤクザに人権はないと言わざるをえない。警察当局が主導した「ヤクザ対社会」の構図のなかで一般市民を暴力団排除の最前線に立たせた結果である。
 ところで私は、山口組の田岡三代目時代には本部長をしていた小田秀臣さんの顧問弁護士をしていた。四代目時代からは山口組本家の顧問弁護士を務め、五代目、六代目の時代も間近に接し、弁護士という職業上稀有なポジションから長年山口組を見てきた。そして最後は顧問先に殉教するが如く暴排の荒波を受け、弁護士の資格も失っており、人一倍山口組には思い入れがある。
 令和の新時代を迎えたのを機に、平成の山口組史を通してヤクザと社会をめぐる変遷を描きたい。加えて日本のヤクザが世界の組織犯罪集団とはちがうどんな特質を持つのか、ひいてはヤクザそのもののなんたるかも、この機会にまとめてみたい。本書はそんな思いで綴ったものである。あくまで私の意見や考えであり、豊富な経験に裏づけられた視点とは言えるだろうが、正しいかどうかは読者の判断に委ねるほかない。
 最初に日本ヤクザの特殊性を指摘しておきたい。日本ではヤクザ組織が公然と存在しており、構成員が警察に把握されているが、これは他国の組織犯罪集団では例を見ない。メンバーが判っている以上、国家権力がヤクザを追い詰めようと思えば実は簡単である。
 例えば九州の工藤會などは九州一の勢力を誇り、警察との対決姿勢も強硬だったが、民間への度重なるテロが疑われて、市民や警察を完全に敵に回した格好になっている。その結果当局による徹底的な壊滅作戦が展開され、上層部以下工藤會組員は片っ端から検挙された。当局が絶大な成果を上げたことになるが、もし工藤會が地下組織だったらこうはいかない。
 また古くは昭和三九年から始まった第一次頂上作戦でも、警察は相手組織を把握していたため日本中ほとんどの暴力団を解散に追い込んだ。スネに傷ある身なのに公然としているのだから、つぶそうと思えばできるということだ。ただし法の運用は微罪や古い事件を利用するほか、証拠が乏しくても強引に事件にしてしまうなど、極めて不公平なものになる。裁判所はそういう不公平さには目をつむって有罪のお墨付きを与え、暴力団退治に協力する。
 世界中にある組織犯罪集団をみても、公然と町に看板を掲げているのは日本のヤクザだけだ。日本独特の奇妙な現象というしかなく、一体この公然たる暴力団というのはヤクザ側と警察側のどちらにメリットがあるのだろう。
 六代目山口組の司組長は刑務所を出所した平成二三年に一度だけ「産経新聞」のインタビューに答えているが、その時「我々は常に進化する」「地下に潜る道も知っている」と話した。でもこの言葉は警察を牽制しているだけで、本音は地下になど、けっして潜りたくはないはずだ。対する警察権力も暴力団壊滅のスローガンを掲げるが、本当に壊滅させたければ結社罪を作れば取り敢えず日本中の暴力団をすべて解散に追い込むことは可能なのに、その手段はとらない。ヤクザも警察も、地下に潜りたくない、潜らせたくないという点で思惑は一致している。
 日本にはヤクザをめぐる社会的土壌があって、実話雑誌という独自のジャーナリズムもある。そこではヤクザの親分はまるで著名人扱いで堂々とグラビアを飾ることもある。そんな名誉に憧れ、向上心を満足させる身分としてヤクザという世界がある。これも他に例を見ない特徴だ。つまりヤクザの公然性は警察からすれば料理し易い相手という利点があり、ヤクザ側からすれば親分になればある種の名誉のある立場になれるという利点がある。
 世界の組織犯罪集団と比べると日本のヤクザはとても凶暴とは言えない。メキシコでは麻薬にからんで二〇〇六年からの五年間で四万七五〇〇人が殺された。ヤクザは世界的に知名度が高いが、ほぼ警察の手中にあり、稼ぎも組員全体をみると決して儲けているわけではない。二〇一四年アメリカの経済誌「フォーチュン」が山口組の年間所得を六六億ドル(約七一五〇億円)と推計して、ロシアンマフィアに継ぐ世界第二位の収益を挙げていると報道した。それはバブル時代の幻想と言うほかなく、昨今のヤクザの貧しさからは見当違いの数字だ。NHKが当てつけのように「〝貧困暴力団〞が新たな脅威に」というドキュメンタリー番組を作って、万引きや生活保護受給詐欺に走る貧乏ヤクザにスポットを当てた。そんな時代になってしまった。
 ヤクザの実態は警察の世論誘導やドラマ、小説などフィクション(虚構)によって、かえって不可視化が進行している。平成の山口組を検証することで、ヤクザの置かれた実情と実態、そして令和の時代にどう変容していくのか。それを解き明かすことで「暴排社会」の現状に一石を投じるのが、四〇年以上も山口組と命運を共にしてきた私の使命かもしれない。

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