加藤陽子☓長谷部恭男

輸入された君主制原理

憲法と歴史の交差点(1)

5月にジュンク堂池袋店で開催されました、歴史学者と憲法学者のお二人の対談を全4回で掲載します!

山田風太郎の描いた幸徳秋水

長谷部 本日は加藤先生にお付き合いいただきまして、本当にありがたいです。私と加藤先生はかつて、東京大学で総長補佐という職を同期で務めていました。加藤先生は文学部から、私は法学部からということで。総長補佐というのは、「雑巾がけをしてこい」ということで本部に出かけて、雑用をやる。そこで初めて、加藤先生にお目にかかりました。私は今回、自分で選書したコーナーを設けさせていただいたんですが、加藤先生も先月まで「加藤陽子書店」というのをやっておられましたよね。
加藤 昨年10月17日から4月23日まで、約半年営業していたことになります。
長谷部 実は、私もそこを訪れまして(笑)。見て回って、何冊か購入したことがあります。そこで気が付いたんですが、先生は山田風太郎がお好きなんですね。
加藤 はい。どれを最初に読んだのかもう憶えていないくらいです。たぶん全部読んでいると思います。風太郎の作品といえば、忍者もの、忍法もの、明治もの、日記などいろいろありますが。皆さんにご紹介したいのは、『明治バベルの塔――山田風太郎明治小説全集〈12〉』(ちくま文庫、1997年)という短編集の中の1編「四分割秋水伝」で、後の先生とのお話で活きてくる伏線となっていくはずです。
 皆さん、幸徳秋水はご存じですよね。1910(明治43)年、フレームアップされた大逆事件で死刑となった、大変な文章家です。風太郎は、その秋水を4分割して描いてしまった。4分割とは、「上半身」、「下半身」、「背中」、「大脳旧皮質」の4つです。勘がいい方は、秋水には、天下国家的な「上半身」的な世界と、菅野スガとの関係から推測できる「下半身」的な世界があっただろうということなど思い当たるでしょう。風太郎は、東京医学専門学校に通っており、医者の一歩手前まで行った人なので、「大脳旧皮質」なんて言葉がすぐに出てくる。秋水が処刑される前、お母さんが急死する。その時、お母さんが急死したのは自分が明治天皇に逆らったとされたことからではなかったかと考え、非常に心惑う。その秋水の、処刑前の迷いを「背中」という章で描写していて、非常に面白いです。
 秋水は、日露戦争が始まった2カ月後、1904(明治37)年4月3日付の『平民新聞』に、次のような文章を書いていました。日清戦争の時にあれだけ苦労したはずの庶民の方がむしろ、辛苦を奇麗さっぱり忘れ、次の戦争を支持している、なぜなんだと嘆く。
 「我国民の多数、口を開けば即ち曰く、『文明の外交』『王者の師』『仁義の戦』『帝国の光栄』と。無邪気なる哉、金太郎の鉞を揮ふが如く。可愛らしき哉、桃太郎の鬼ヶ島を征伐するに似たり。個人と国家と俱に醒めては金太郎を学び、寝ては桃太郎を夢む」
(出典、平民社資料センター監修、山泉進編集『幸徳秋水(平民社百年コレクション)』論創社、2002年、114頁)。
 戦争となれば真っ先に犠牲となるはずの普通の人々が、なぜ、自己と国家を過度に重ね合わせ、戦争に熱狂してしまうのか。秋水にとってはなんとも歯がゆかったに違いありません。幸徳は下半身に関してはかなりユニークな人ですが、そういうことも含め、よくわかった上で風太郎はこの短編を書いていたことがわかります。文章のはしばしから窺われる、戦争や国家の行く末に対する風太郎の暗澹たる予想も含め、すごく好きです。
長谷部 私は山田風太郎の本をほとんど読んだことがないんですが、唯一読んだのは『魔界転生』(全二巻、講談社文庫、1999年)ですね。これは子どもの頃「イケナイ本だ」と思いながら、ものすごく熱心に読んで(笑)。加藤先生は『魔界転生』のPOPに「寝床に持っていく本です」と書いておられた。こんな本を持っていったらなかなか寝られなくなるんじゃないかと、ちょっと心配になったんですが(笑)。
加藤 ええっ、そうなんですか。私は大丈夫でしたが(笑)。唯一読んだのが『魔界転生』だというのもすごい。映画・テレビでご覧になったから読んだんですか?
長谷部 いえ、映画になる前に読んでいると思いますけど。

君主制原理の矛盾

長谷部 選書にあたって私が気を付けたことについて、少しお話しします。憲法学者にはいろいろなタイプの人間がいるんですが、私は憲法を所詮、西洋起源のものと考えております。とりわけ日本国憲法が立脚しているといわれる近代的な意味での立憲主義が、どういう経緯でできあがってきているのか。それがわかるような古典を、できるだけ取り入れようと考えました。
さらに申しますと戦前の古典的な著作で、美濃部達吉の『憲法撮要』(有斐閣、1923年)という本があります。最初の一部だけは分冊で今でも新刊本として手に入るんですが、本自体はもう絶版になっていますので、今回は並べることができませんでした(改訂第5版・復刻版、有斐閣、1999年)。その後の日本の憲法学の途をたどってみても、この『憲法撮要』に並ぶ水準の本はなかなか出ていません。できるならば入れたかったんですけど。
 美濃部達吉は国家法人理論を、体系的なかたちで日本に導入した人です。国家法人理論ができあがったのは19世紀後半のドイツですから、それほど時間は離れていません。できて間もなく、日本に持ってきたわけですね。
 実は、日本はドイツから国家法人理論と相性の悪い君主制原理(monarchisches Prinzip)という考え方も導入している。これは日本では、天皇主権原理と言われています。ざっくり申し上げますと、そもそも君主は全国家権力を掌握している。ただ、その権力を行使する時には君主自身が定めた憲法に従う。それが、君主制原理というものです。
大日本帝国憲法には、まさにその通りのことが書かれています。第4条には「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とありますね。天皇は全国家権力を掌握しているけれど、それを行使する時は自身がつくった憲法の条規に従う。この国家法人理論と君主制原理は、とても相性が悪いんです。
加藤 ほほう。
長谷部 法人としての国家に統治権があるという議論と君主に統治権があるという議論は両立しません。その上、君主制原理それ自体が論理的なパラドックスを抱えている。君主は「私は全能ですが、私自身がつくった憲法で縛られている」と言っている。そんなことが本当に、論理的にあり得るのか。歴史を遡りますと、キリスト教神学で次のような問題がありました。全能の神は、自身でさえ持ち上げることができないほど重い石を創造することは可能か。そういう石をつくることができない神は全能ではないわけですが、いったんそういう石を創造してしまえば持ち上げることができないので、やはり神は全能ではないということになる。
 君主制原理ならびにその日本的な現象形態である天皇主権原理は、それとまったく同じ問題を隠し持っているということになる。しかもこれは、天皇主権原理のみに留まらない。実は人民主権原理にも、同じ問題があります。人民は全国家権力・主権を持っているが、自らが制定した憲法の範囲内でのみそれを行使する。そんなことは本当に、理論的にあり得るのかということです。

意外に新しい憲法学

加藤 先生、ちょっといいですか? 憲法学者は歴史学者と違って、たとえていえば、始動したばかりのエンジンを、ろくに温めもせずに走りだせる方々なのですね。『魔界転生』の話から、ここまでたった5分で来ますか。そうですか(笑)。なので、ちょっと解きほぐしていってもよろしいでしょうか。憲法学者が振り返ってみても、美濃部は完璧な憲法論を書いている、長谷部先生は今、そう表現されました。ここにいる皆さんは、こういう話をおそらく初めて耳にされて、「ああ、そう見るのか」と思われたのではないですか。私は、そう思ったくちです。
 東大の憲法学者で石川健治先生という方がいらっしゃいますね。石川先生はごく最近、『朝日新聞』5月3日付朝刊で9条について書かれていましたが(「9条、立憲主義のピース」)、それを読んだ時にも私は、「へえ、憲法学者は美濃部をこう読むのか」と思いました。石川先生はこの記事の中で美濃部へのコメントとして、「国家を法学的に叙述する文法を堅持した美濃部の天皇機関説の冷静さが、公私の境界線の論理的な支えになっていた」と書かれています。
 美濃部の天皇機関説は、国家を法学的に叙述する文法・やり方として完璧であった、と石川先生は読んでいる。そして、長谷部先生も美濃部の『憲法撮要』について、日本の憲法学においてこれに匹敵する水準の書物はまれだとおっしゃる。そうなりますと、国家法人理論と、本来はこれと相性の悪いはずの君主制原理と、この本来はぶつかり合う2つの理論を美濃部は、うまくぶつからないように、両立させるように、うまく叙述していたという点でも完璧、ということになるのですか。
長谷部 ただこの『憲法撮要』をよく読みますと、美濃部達吉は君主制原理を否定してるんですね。天皇主権原理というのは、法律論として成り立たない。結局、天皇は国家の機関に過ぎない。統治権を持っているのは、あくまで国家である。その国家の機関として、天皇は憲法上与えられた権限を行使しているに過ぎない。一貫してそういう議論をしているのが『憲法撮要』です。
 ドイツまで遡って、若干の説明をしますと、そもそもドイツの公法学・憲法学は非常に若い学問でして、19世紀後半になってやっとできあがったものです。
それ以前に成立していた私法学のさまざまな法概念を導入することによって、公法学も一人前の法律学になろうとした。その時に採り入れた中核的な法律概念が、法人概念です。
 もう少し細かく分けていくと、社団法人の概念です。多くの人々が集まって、ひとつの団体をつくる。その団体が法的な権限の主体になるというのは、いったいどういうことを意味するのか。その団体は具体的に、どうやってさまざまな法的な行動を取ることができるのか。法人という概念を使って、それを説明していく。この私法学で成立した法人の概念を公法学の中に採り入れていったわけです。実は、国家というのは国民から構成される法人(社団法人)である。それを出発点として、国家のあり方を法学的に筋の通ったかたちで説明しようとした。
加藤 私法学を修めた人々が憲法学を創出したから、憲法学には、法人といった考え方が不可避的に生まれた時から入っていた、とのご説明は、とても面白いです。歴史学というのは、思想なりが生まれてくる背景や、地域的な特殊性を考えるところに特徴がある学問ですので、このような話をうかがいますと、19世紀ドイツの国家形成の特質に目がいきます。皆さんもご存じのように、ドイツ・イタリア・日本では19世紀後半ぐらいに統一国家化が成し遂げられました。しかし、日本は、ドイツやイタリアとは異なり、明治国家ができる前、幕藩体制をとる江戸幕府というものがありました。幕藩体制は、各藩の分立はあるものの中央集権的な要素も大きかった。
 一方、領邦国家に分かれていたドイツがプロイセンを中心に統一されてゆく過程とは大いに違っていたと思います。若い憲法学がドイツを中心に生まれたとすれば、日本にそれを移入しようとした時に、すんなりといったのでしょうか。齟齬は生まれなかったのでしょうか。むしろフランスやイギリスに、日本が移入しやすい憲法学といったものはなかったのでしょうか。
長谷部 それ以前のフランスやイギリスでも、近代公法学なるものがあるとはいえません。
加藤 やっぱりなかったのですね。
長谷部 近代的な意味での公法学が最初にできたのは、やはり19世紀後半のドイツですね。そのドイツの理論を採り入れて、フランスの公法学ができあがっています。フランスとドイツはもともと、仲が悪いですよね。ですからフランスの公法学者たちも長い間、出発点でドイツの理論を採り入れたことを認めようとしなかった。
20世紀の終わりになってようやく、フランスの公法学会も、自分たちがドイツの公法理論の影響を深く受けてきたということを正面から認めるようになった。その後、フランスとドイツの学問的な交流も進んでいまして、その分野は非常に発展しています。
 

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