アメリカ音楽の新しい地図

8.フェミニン・ビート――カーディ・Bとジ・アメリカス

トランプ後のアメリカ音楽はいかなる変貌を遂げるのか――。激変するアメリカ音楽の最新事情を追い、21世紀の文化=政治の新たな地図を描き出す!

リズム・オブ・ジ・アメリカス
 2018年5月18日にリリースされたシングル〈アイ・ライク・イット〉はカーディ・Bのラティーナとしてのアイデンティティを強くアピールする楽曲である。『インヴェイジョン・オブ・プライヴァシー』(2018)から4枚目のシングルとして発売された曲はプエルトリコ出身のラッパー、バッド・バニーとコロンビア出身のシンガー、J・バルヴィンをフィーチャーし、リリックの3分の2はスペイン語で構成されている。この曲はシングルとしてリリースされる前からビルボードのチャートで8位まで上がっていたが(ストリーミング環境下では、人気ミュージシャンの新譜のすべての曲が同時にランクインすることは珍しくない)、ミュージック・ビデオが公開されるとさらに順位は上昇し、7月7日付のチャートでついに1位を獲得した。ビルボードのシングルチャートを二度制したのは、女性ラッパーとして史上初めてのことである。
 

 興味深いのは、〈ボーダック・イエロー〉と同じくJ・ホワイト・ディッド・イットがプロデュースしたトラップ・ビートのトラックに1960年代のラテン音楽のヒット曲が大々的にサンプリングされていた点である。ピート・ロドリゲス〈アイ・ライク・イット・ライク・ザット〉(1967)は当時のニューヨークのヒスパニックを中心に絶大な人気を博し、ブーガルーと呼ばれるジャンルを代表する楽曲として知られている。カーディ・Bのヒット曲の舞台裏を解説したビルボード誌の記事によれば、ラテン音楽をサンプリングするアイディアはアルバムの総合プロデューサー、クレイグ・コールマンが思いついたという。「カーディ・Bの父親はドミニカ系で母親はトリニダード系。彼女がスペイン語/ラテンの曲を選ぶのは自然なことなんだよ。サンプリング案を何百と出したけど、ずっと〈アイ・ライク・イット・ライク・ザット〉がいいと思っていた」(2)

 ブーガルーと呼ばれる音楽は1966年から68年にかけてニューヨークのヒスパニックコミュニティーで爆発的に流行した。それはアメリカ合衆国で誕生したラテン音楽と見做せるものの、その起源については諸説存在する。現在はその直接的な由来としてシカゴのソウルデュオ、トミー&ジェリー・オーが1965 年にリリースした「ブー・ガ・ルー」(Boo-Ga-Loo)をあげる論者が多いが、そもそもそれはツイスト(Twist)、ハリー・ガリー(Hully Gully)、そしてモンキー(Monkey)などに続く全米で流行したダンスステップの名称である。つまり、(ラテン)ブーガルーの成立には、当時流行していた黒人音楽のダンスステップにいかにラテン音楽を合わせるかという過程が決定的に重要であり、その試行錯誤の末に誕生したのがピート・ロドリゲス〈アイ・ライク・イット・ライク・ザット〉やジョー・キューバ・セクステット〈バング!バング!〉(1967)などの楽曲だといえる。後者はこのジャンル最大のヒットとして知られるが、この曲がビルボードの総合チャートにランクインした唯一の曲である点から分かる通り(最高位63位)、ブーガルー自体はニューヨークなどのヒスパニックコミュニティーで限定的に流行した音楽だといえるだろう。
 ブーガルーに関する多くの研究を残したファン・フロレスによれば、この新しい音楽の成立にはアメリカで生まれ育ち、英語を日常言語とするプエルトリコ系の最初の世代――彼らが1960年代後半にちょうど成人を迎えた――の存在が重要だったという(3)。公民権運動に刺激を受け結成されたプエルトリコ系の社会運動組織ヤング・ローズや、詩人やアーティストを中心とするニューヨリカン・ムーヴメントも同じ時期に花開いている。
 
それ以前にニューヨークで流行したラテン音楽との違いは、たとえばパチャンガがサウスブロンクス地区に根差した音楽文化であるのに対して、ブーガルーは市全体に広がる運動だった点である(4)。ジョー・キューバ(マンハッタン)、ジョニー・コロン(マンハッタン)、ピート・ロドリゲス(ブロンクス)、リッチー・レイ(ブルックリン)などブーガルーを代表するミュージシャンがニューヨークの異なる地区出身であることからもそれは明らかだろう。彼らは隣り合うアフリカ系アメリカ人コミュニティーと生活空間を共にしながら、いつしか自分たちの音楽を創作し始めたのだ。
 その音楽的ムーヴメントの中心となったのがマンハッタン52丁目に位置していたナイトクラブ、パーム・ガーデンズである。ピート・ロドリゲスの証言によると、もともと彼らが演奏するチャチャやソン・モントゥーノの曲に合わせてアフリカ系アメリカ人の客が別のステップで踊っていることに気づいたのがきっかけだという。1970年代初頭にはサルサという新しい音楽ジャンルが誕生するため、ブーガルーの流行は短命で終わったものの、英語で歌われる最初のラテン音楽として若いラティーネックス世代を中心に人気を博したのだ。
 ところが、ブーガルーは長い間、ラテン音楽として著しく低い評価を与えられてきた。ニューヨークラテンシーンの最重要人物のひとり、エディ・パルミエリがブーガルーについて「ラテン音楽のバブルガム(子供騙し)のようだった」と発言したことは有名だし、ヒット曲〈バング!バング!〉を「フロスティ(砂糖をまぶしたコーンフレーク)みたいなもの」と評し、「ミュージシャンの半分は楽器の使い方もわかっていない」と、その甘ったるさと稚拙さを批判している(5)。アメリカ合衆国のラテン音楽に関するもっとも古典的な研究書を著したジョン・ストーム・ロバーツは、ブーガルーについて次のように述べている。

ブガルーは新しい世代のミュージシャンを輩出したが、彼らの多くはとても若く、また彼らをインスパイアしたロックンローラーと同じように、音楽的に非常に未熟だった。その音楽はけばけばしく、多くのキューバ音楽由来の伝統的特質を無視したものだった。それは活気のある音楽でもあり、1960年代の黒人音楽が若いラティーノに与えたインパクトを真に反映していた。(6)

たしかに1990年代後半、ブーガルーはクラブカルチャーとして再評価され、多くのCDが復刻された。だが2000年のニューヨークタイムズに掲載された「キング・オブ・ラテン・ミュージック」ティト・プエンテの訃報記事には、1970年代にティトが不遇であった理由として「それがブーガルーの時代であり、他にも音楽とは無関係の流行があったり、いろいろ無理をしたことで彼自身のアルバムに悪影響があった」とするマネージャーの証言を掲載している(7)。また、2008年に音楽ジャーナリストが刊行したニューヨークサルサに関する書においても、「ブーガルー」がラテン音楽として「中身が無く」、「サルサ的表現の起源を正しく捉えるうえで、ブーガルーの役割を過剰に強調すべきではない」との記述が見られる(8)。つまり、サルサとは異なり、ブーガルーは一貫してラテン音楽のオーセンティシティーに欠けると評価されたのだ。
 
その理由として、ロバーツがいうようにブーガルーにはアフロキューバンの音楽を特徴付けるクラーヴェのリズム感が希薄である点が挙げられる。しばしばブーガルーが「チャ・チャ・ウィズ・ア・バックビート」と呼ばれるように(9)、1960年代後半のニューヨークで流行したラテン音楽には黒人音楽、とりわけリズム&ブルース特有のバックビートが強調されている。
 こうした歴史を振り返るとき、ブーガルーのヒット曲にトラップ・ビートを加えたJ・ホワイト・ディッド・イットのトラックは幾重にも興味深いといえるだろう。ここでは詳細に立ち入ることは控えるが、トラップミュージックとは2000年前後にジョージア州アトランタで誕生し、2010年代半ばにアメリカ合衆国のポピュラー音楽シーンのメインストリームに浮上したヒップホップのサブジャンルである。そのサウンドはローランド808に代表されるリズムマシーンの使用や32分音符や3連符で非常に細かく刻まれるハイハットに特徴づけられるが、ビート/リズムの構造そのものは6、70年代にジェームズ・ブラウンが創設したファンクミュージックに極めて酷似しているといえるだろう。
 音楽学者アレキサンダー・ステュワートは、ファンクミュージックにクラーヴェからニューオーリンズのセカンドラインに連なる系譜を読み取り、「1拍目のダウンビートとシンコペーションの間を振動する〈開放された〉リズムと〈閉じた〉リズムの反復」、その「非対称的な時間のサイクル」こそがそのリズムの特質であると看破した(10)。それは、ジェームズ・ブラウンが常に強調するザ・ワン、すなわち1拍目のダウンビートを起点に複数のリズム=ポリリズムが立ち上がるプロセスとしてみることもできる。また、ノルウェーの音楽学者アンネ・ダニエルセンもファンクミュージックを論じた著書において、ジェームズ・ブラウンのいう「ザ・ワン」が単に小節の1拍目として機能するだけでなく「サウンドの意思表示」(sounding gesture)であり、「拍子上の1拍目の範囲を超えうるもの」だと主張する(11)。ダニエルセンを始めとする多くの音楽学者やジャーナリストが1967年の「コールド・スウェット」をもってファンクの誕生とするのは、それ以前のバックビートを基調とする曲とは異なり、この曲にリズムの非対称性や伸縮性がみられるからだ。
 つまり、カーディ・Bの〈アイ・ライク・イット〉には、アフロキューバンの音楽を特徴付けるクラーヴェに黒人音楽(R&B)特有のバックビートを加えたブーガルーに、さらにクラーヴェからニューオーリンズのセカンドラインを系譜とするファンクミュージック、そのリズム構造を共有するアトランタのトラップビートが重ねられている。ニューヨークのブロンクス出身のカーディ・Bはヒップホップのラティーナ的起源を体現する存在だといえるが、サンプリングされたブーガルー曲、ピート・ロドリゲス〈アイ・ライク・イット・ライク・ザット〉に「ザ・ワン」を強調する強烈なトラップビートを加えたサウンドには、南北アメリカ大陸を縦横無尽に横断するリズムとビートが凝縮されているのだ。


(2)  Bob Ledonne, “How Cardi B's 'I Like It' Became a Latin-Pop Smash,” Billboard 130. 20,(Aug 25, 2018): 40-41.
(3)  Juan Flores, From Bomba to Hip-Hop: Puerto Rican Culture and Latino Identity (New York: Columbia University Press, 2000), 82.
(4)  Juan Flores, Salsa Rising, 116.
(5)  From Bomba to Hip-Hop, 95.
(6)  John Storm Roberts, The Latin Tinge: The Impact of Latin American Music on the United States, 1979, Second Edition, (New York: Oxford University Press, 1999), 167.
(7)  Joyce Wadler, “Tito Puente, Famed Master Of Latin Music, Is Dead at 77,” The New York Times, June 2, 2000, https://www.nytimes.com/2000/06/02/arts/tito-puente-famed-master-of-latin-music-is-dead-at-77.html.
(8)  Cesar Rondon, The Book of Salsa: A Chronicle of Urban Music from the Caribbean to New York City (Durham: University of North Carolina Press, 2008), 28.
(9)  From Bomba to Hip-Hop, 79.
(10)  Alexander Stewart, “’Funky Drummer’: New Orleans, James Brown and the Rhythmic Transformation of American Popular Music,” Popular Music 19:3 (2000): 305.
(11)  Anne Danielsen, Presence and Pleasure: The Funk Grooves of James Brown and Parliament (Middletown: Weslyan University Press, 2006), 229.

関連書籍