ちくま新書

世界哲学史に向けて

筑摩書房は今年2020年に、創業80周年を迎えます。これを記念して、ちくま新書の新シリーズ『世界哲学史』(責任編集:伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留、全8巻)の刊行を開始いたしました。
古代から現代まで、時代を特徴づける主題から諸伝統を同時代的に見ていき、人類の知の営みを新たな視野から再構築する試みです。
1月に刊行された『世界哲学史1――古代Ⅰ 知恵から愛知へ』より、納富信留先生による序章を公開いたします。

†「世界哲学」と「世界哲学史」
 今、「世界哲学」が一つの大きなうねりとなっている。これまで西洋、つまりヨーロッパと北アメリカ中心に展開されてきた「哲学」という営みを根本から組み変え、より普遍的で多元的な哲学の営みを創出する運動、それが「世界哲学」と呼ばれる。私たちが活動する生活世界を対象とする哲学、多様な文化や伝統や言語の基盤に立つ哲学、そして、自然環境や生命や宇宙から人類を反省する哲学が、「世界哲学」の名のもとで遂行されようとしている。それは、「世界」という名を冠することで、世界に生きる私たちすべてに共有されるべき、本来の「哲学」を再生させる試みである。
 世界哲学は、まずは地球上の諸地域の哲学営為に注目する。ヨーロッパと北アメリカだけでなく、中近東、ロシア、インド、中国、韓国、日本、さらに、東南アジアやアフリカやオセアニアやラテン・アメリカやネイティヴ・アメリカなどに目を配ることで、真に世界と呼びうる視野を目指す。だが、世界とは地理的領域の拡大にとどまらない。哲学は私たちが生きる場を「世界」と呼び、地球から宇宙という万物へ、現在から過去や未来へという時間の広がりも手に入れる。したがって、世界哲学とは、哲学において世界を問い、世界という視野から哲学そのものを問い直す試みなのである。そこでは、人類・地球といった大きな視野と時間の流れから、私たちの伝統と知の可能性を見ていくことになる。
 日本の学界にとっても、世界哲学は大きな意味を持つ。明治以降に大学で整備された哲学という学問は、専門分野に分かれて個々別々に発展してきた。それぞれが専門学会をもちながら、相互の交流や共同の研究を進める状況にはなかった。だが、それらの諸分野が世界哲学という試みに結集して、現代における哲学の可能性を論じることで、日本の学問が大きく変わるのではないかと期待される。
 だが、新たな哲学はなにもない荒野から突然に生まれ出るものではない。私たちには長い歴史において培われてきた様々な哲学の伝統、その豊かな遺産がある。それらを総覧して新たな知の源泉とする努力によって、人類の叡智を結集させることができるはずである。それが世界哲学史の可能性であり、それが切り開く未来の哲学の可能性である。
 それゆえ、「世界哲学史(A History of World Philosophy)」というまだ聞き慣れない呼称は、哲学史を個別の地域や時代や伝統から解放して「世界化」する試みであると同時に、いや、それ以上に、世界哲学を「歴史化」することで具体的に展開する私たち自身の試みである。本書から始まるちくま新書「世界哲学史」のシリーズは、こういった問題意識のもとで企画されている。

†「哲学史」への反省
 これまで「哲学史」は、西洋で展開された種々の思想と思想家たちを扱うのが通例であった。つまり、古代ギリシア・ローマに始まり、キリスト教中世とルネサンスを経て、近代から現代までの二六〇〇年間にわたる、西ヨーロッパと北アメリカを範囲とする哲学である。そこから外れる思想の伝統は、中国思想史やインド思想史やイスラーム思想史といった形で独立に扱われ、西洋哲学と等値される「哲学史」から区別されてきた。
 ヘーゲルは『哲学史講義』で序論の末尾に「東洋哲学」という部分を付けた。そこで中国哲学とインド哲学をごく短いながらも紹介したのは、まがりなりにも西洋以外の伝統を顧慮する態度であった。だが、それも、本論であるギリシア哲学への前置きに過ぎず、東洋への言及も基本的には原始的な思考形態という偏見から抜け出ていなかった。ヘーゲルが打ち立てた哲学史は「西洋哲学史」として理解されていたのである。
 では、西洋哲学から外れた地域と伝統は、西洋哲学との関係でどう見られてきたのか。
 キリスト教に先立つユダヤ教とムハンマド(マホメット)が七世紀に始めたイスラームでは、一神教というキリスト教との共通伝統において、西洋哲学と一定の関わりを持ってきた。両宗教が西洋哲学につねに寛容であったわけではないにしても、知的交流の歴史は長い。ユダヤ教哲学と西洋哲学との交わりでは、マイモニデス(スペイン、一一三五~一二〇四)、スピノザ(オランダ、一六三二~一六七七)、レヴィナス(リトアニア、フランス、一九〇六~一九九五)を代表にあげることができる。
 また、アラブ・イスラーム世界にはギリシア哲学が翻訳され、それを基盤にした独自の哲学が発展した。とりわけ、アリストテレス哲学を咀嚼して展開したアヴィセンナ(イブン=スィーナー、ペルシア、九八〇~一〇三七)とアヴェロエス(イブン=ルシュド、スペイン、一一二六~一一九八)は、西欧ラテン世界に導入されることで、一三世紀から西洋哲学を推進する大きな力となった。これらのイスラーム哲学者が西洋哲学との関係で触れられることはあっても、哲学史の中で本格的に省みられることは多くなかった。
 また、同じキリスト教の圏内でも、ローマ帝国の分裂によってラテン語圏から分かれたギリシア語圏では、ビザンツ帝国から東欧やロシアに正教が布教され、新プラトン主義の影響が強い東方神学を形作られた。正教の伝統は、カトリックとプロテスタントが展開した西欧の哲学とは異なる要素を多く持つことから、西洋哲学から排除される傾向にある。ロシアのヴラジミール・ソロヴィヨフ(一八五三~一九〇〇)を代表とする独自の思想伝統は、「東洋的、オリエンタル」と形容されることが多い。
 新大陸が発見されて以来、スペイン・ポルトガルの植民地となったラテン・アメリカでは、カトリックと西洋哲学が教えられてきたが、西洋哲学史の枠内で扱われることはない。北アメリカ英語圏が、西洋哲学の一部となり独自の哲学で大きな役割を担ったのとは対照的である。だが、ラテン・アメリカ諸国はフランス・ドイツの大陸哲学の影響を受けながら、それぞれの哲学を営んできた。とりわけ、二〇世紀前半にアルゼンチンを訪問したスペインの哲学者オルテガ・イ・ガセット(一八八三~一九五五)の影響は大きい。その後、英米分析哲学が導入され、独自のラテン・アメリカ哲学が模索されている。
 哲学とは縁遠いように見られてきたアフリカについても、古代以来の伝統の再発見や、現代のアフリカ哲学がさかんに論じられている。フランツ・ファノン(一九二五~一九六一)を代表とする反植民地主義や反アパルトヘイト思想など、多様な可能性が注目されている。
 アジアに目を向けても、中国やインドを除けば、韓国や日本への注目はまだ大きいとは言えず、それ以外の地域、例えば、東南アジアやモンゴルや中央アジアが考慮されることはほとんどなかった。しかし、漢字を共有する文化、仏教、儒教、道教などの基盤に立つ東アジアの哲学が一体として扱われる意義は大きいはずである。
 現在私たちが生きる世界は、西洋文明の枠を越え、多様な価値観や伝統が交錯しつつ一体をなす新たな段階を迎えている。哲学を世界化して多元的な思索の可能性を探るためには、これら多くの非西洋の哲学が重要な示唆を与えてくれるはずである。
 哲学の多様性が認識される一方で、グローバル化の名の下に画一的な規準や価値観によって多様性や独自性が失われつつある状況も意識されなければならない。経済や政治の国際化だけでなく、英語によるコミュニケーションや情報管理、商業資本に乗る消費文化が世界を席巻している。哲学の世界でも、世界中の大学や教育・研究機関で「哲学」を共通の基本科目として教えているが、それは基本的に西洋哲学を指し、とりわけ現代英米の分析哲学が中核を占めている。それが唯一の、あるいは正統な哲学であるのか、世界哲学という視野から反省される。
 このような哲学史への反省において、私たちが立つ日本という位置が重要である。西洋哲学を主に一九世紀半ばから導入した日本は、東アジアではいち早く西洋哲学の受容し、西田幾多郎(一八七〇~一九四五)らが先導して独自の日本哲学を作り出した。他方で、古代から儒教、道教、仏教、神道といった東アジアの伝統を培ってきた背景があり、その多面性は「世界哲学史」を考え発信するポジションとして絶対である。世界哲学史の構築において、日本の視野が活かされる。

†世界哲学史の方法
 では、世界哲学史はどのような方法で遂行されるのか。たんに様々な地域や時代や伝統ごとの思索を並べても、それは「阿呆の画廊」(ヘーゲル)の羅列展示に過ぎない。哲学史と呼ばれる以上、なんらかの仕方で一つの流れ、あるいはまとまりとして扱われ、哲学的意義を持たなければならない。
 それでも、西洋哲学という歴史に限れば、古代から中世、近代、現代へと一つの大きな流れを描くことができる。だが、その限定を越えた時、哲学史は一見ばらばらの像になってしまうのではないか。多くの地域や伝統に目配りしたとしても、それらを並べただけでは世界哲学史にはならない。人類の哲学営為を全体として捉えようとする世界哲学史は、どんな方法を取るべきかの問いにおいて、それ自体がきわめてチャレンジングな哲学的課題なのである。
 ここではまず、異なる伝統や思想を一つ一つ丁寧に見ていくことが基本となる。そして、それらに共通する問題意識や思考の枠組み、応答の提案などを取り出して比較しながら、歴史の文脈で検討することになる。従来の比較思想とやや異なる点があるとすると、二者か三者の間で行われる比較検討ではなく、最終的には世界という全体の文脈において比較し、共通性や独自性を確認していく仕方であろう。また、歴史という時系列に縛られなければ、思考構造を同じ土俵で共時的に比較することが可能かもしれない。井筒俊彦は『意識と本質』(一九八三年)で、あらたな「東洋」という哲学概念のもとで「共時的構造化」という方法を実践して、刺激的な考察を行なっている。
 さらに、それら多様な哲学が「世界哲学」という視野のもとで、どのような意味を担うのかを考察する。例えば、古代ギリシア哲学は、西洋哲学の起源としてだけでなく、それを超えた多様性や可能性を担っており、イスラームや近代日本といった他の諸哲学にとっても重要な意味を担っていた。また、世界哲学としての日本哲学という課題において、日本で展開された思想が、翻訳不可能なエクセントリックさにおいてではなく、独自であるがゆえに世界で評価される哲学として再発見されるはずである。「わび、さび、もののあはれ、いき」といった言葉は、世界哲学の文脈で初めて真に哲学的な概念に鍛えられる。
 どの思想であれ、世界の人々の間で哲学として論じられるには、普遍性と合理性が必要となる。他方で、その「普遍universal」と「合理rational」という概念こそ、ギリシア哲学が生み出した遺産であるとの認識も必要である。世界哲学への挑戦は、私たちを改めて「哲学とは何か」の問いに晒すことになる。

†本シリーズの意図と構成
 本シリーズ「世界哲学史」は、古代から現代までの世界哲学を全八巻で鳥瞰し、時代を特徴づける主題から、諸々の伝統を時代ごとに見ていく。それらの間には、中間地帯や相互影響、受容や伝統の形成があり、経済や科学や宗教との連携がある。それらの観点を加えることで、これまで顧みられなかった知のダイナミックな動きが再現される。世界で展開された哲学の伝統や活動を通時的に見る時、現在私たちがどこに立っているか、将来どうあるべきかへの重要なヒントが得られるはずである。人類の知の営みを新たな視野から再構築すること、それが「世界哲学史」の試みである。
 『世界哲学史』シリーズの意図を、八巻全体の構成から示しておきたい。
 本巻は哲学が成立した古代の最初期を扱う。「知恵から愛知へ」という副題のもと、人類が文明の始まりにおいて世界と魂をどう考えたのかを、紀元前二世紀まで、いくつかの地域から見ていく。文明が発生した古代オリエント、具体的にはエジプトとメソポタミアを見た上で、旧約聖書とユダヤ教に注目する。ヤスパースが「枢軸の時代」と呼んだ古代の中国とインドとギリシアという三者をそれぞれ検討する。とりわけ、西洋哲学の発祥の地とされる古代ギリシアは、時代ごとに四章に分けて検討する。最後に、アレクサンドロス大王の遠征によって直接の文化交流を生んだギリシアとインドの接点を、『ミリンダ王の問い』などから見ていく。
 第2巻では、つづく前一世紀から後六世紀頃を時代範囲として、古代後期に哲学が世界化していく様を多角的に検討する。古代ギリシアで成立した哲学はローマ世界に入り、やがてキリスト教の普及と交錯しつつヨーロッパ世界の基礎を形作る。同時期に、インドでは大乗仏教が成立し、中国では儒教の伝統が確立した。インドから伝来した仏教は中国で儒教との論争を展開し、古代文明の地ペルシアではゾロアスター教が確立する。キリスト教はギリシア語世界での伝統がビザンツをへて東方へと広まり、西方のラテン語世界ではカトリックの中世哲学が成立した。
 第3巻から中世に入り、九世紀から一二世紀を中心とした世界を扱う。古代ギリシア文明とキリスト教の広がりを受け、一方ではビザンツでの東方神学の成立を、他方では西方キリスト教世界での教父哲学、修道院の発展を検討する。西洋世界はこうして一二世紀に文化興隆を迎えることになる。七世紀にムハンマドが開いたイスラームでは正統と異端が分かれて、独自のイスラーム哲学が始まる。さらに、中国では仏教と道教と儒教が交錯する状況が生じ、インドで展開された形而上学が論じられる。
 第4巻は中世の末期にあたる一三世紀から一四世紀を扱う。スコラ哲学では、トマス・アクィナスやドゥンス・スコトゥスらが出て盛期を迎え、イスラームでもアヴィセンナやガザーリーら哲学者が活躍する。中世ユダヤ思想も重要な役割を果たす。西洋中世哲学は唯名論の登場を迎え、中国では朱子学が、日本では鎌倉仏教の諸派が成立する。
 第5巻は中世から近世に移る一五世紀から一七世紀の、バロックの時代を扱う。スペインではキリスト教神秘主義が興隆し、市民社会の経済倫理が重要な要素となる。ルネサンスはすべての刷新ではなく、スコラ哲学の近世的発展を含んでいた。イエズス会は中国や日本に進出して哲学交流を生み、いよいよデカルト、ホッブスらの西洋近代哲学を迎える。朝鮮思想と日本、明で展開された新しい哲学、具体的には朱子学と反朱子学などの東アジア哲学の諸相が描かれる。
 第6巻は近代の哲学を各方面で論じる。イギリス・スコットランド、フランスの啓蒙思想、アメリカでは植民地独立の思想が論じられる。そして、一八世紀末にカントによる批判哲学が生まれる。同時代にはイスラームで啓蒙思想がくり広げられ、中国では清朝の哲学が、日本では江戸期の哲学が展開される。
 第7巻では自由と歴史がテーマとなり、国家意識が芽生えて西洋近代批判が始まったドイツ、進化論と功利主義が生まれたイギリスなどが論じられる。アメリカでも新世界という意識のもとでプラグマティズムが誕生する。フランスのスピリチュアリスム、インドの近代哲学、そして開国した日本の近代が扱われる。
 最後に、第8巻では、グローバル時代と呼ばれる現代の知のあり方が、多角的に検討される。分析哲学、大陸哲学という主流を見た後、ポストモダン、ジェンダー、批評といった現代の思想が論じられ、イスラーム、中国、日本など東アジアの現代が検討される。最後に、アフリカ哲学の可能性が紹介される。
 こうして全八巻の構成で世界哲学史を総覧する本シリーズは、本邦初の本格的な試みとして、今後の哲学の可能性を示すことが期待される。世界に目を配ったと言っても、まだ西洋哲学が多くの比重を占めている点は否めない。だが、私たちに共通の基盤となっている西洋哲学を介して、それに対抗し、別の可能性を開く諸々の哲学を視野に収めることで、初めて世界哲学への可能性が開かれると考えている。世界哲学と世界哲学史の試みが今後どのような役割を果たすのか、本『世界哲学史』シリーズはその出発点となるはずである。

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