加藤陽子☓長谷部恭男

なぜ歴史を学ぶのか

憲法と歴史の交差点(3)

5月にジュンク堂池袋店で開催されました、歴史学者と憲法学者のお二人の対談の第3回目です。

日本を相対化してみるために

長谷部 今度は加藤先生の選書についてうかがいたいと思います。選書にあたってどういうお考えがあったのか、あるいはどういうご苦労があったのか。それについてお話しいただけますか。
加藤 はい。先生が選ばれた中には、カズオ・イシグロの『日の名残り』(土屋政雄訳、中央公論社、1990年)がありますね。カズオ・イシグロは私も大好きです。彼の小説には、滅びゆく大英帝国とアメリカとの相克が描かれている。私の選書中には、吉野作造や三谷太一郎、ドイツのヒトラーについて書かれたものなどいろいろあります。私がこの選書で志したのは、日本というものを相対化するということです。その場合、歴史的にも地理的にも地政学的にも相対化する必要があると思います。
 たとえば、村井章介さんの『中世日本の内と外 増補』(ちくま学芸文庫、2013年)。村井さんは、本当に広い視野から、世界史の中に日本中世史を位置づけた第一人者です。日本語・中国語・韓国語の史料、禅宗の外交僧が書いたような漢文などを駆使して、日本を描き出しました。たとえば16世紀のポルトガルの地図を見ると、中国の東隣のあたりに、4つの島が描いてあって、レキオ(Lequio 琉球)と書いてある。つまりその当時の世界の価値観から見れば、日本という国は、琉球という4つの島の一部である。16世紀のポルトガル人にしてみれば、世界の中継貿易の要である琉球が第一に重要であって、アリューシャン列島まで2000キロ、インドネシアまで2000キロという理想的な位置にあった。だから琉球こそが大事で、日本なんていうのはそれほど重要ではなかった。ポルトガル人は、琉球の一部を日本と捉えていた。村井さんの本からは、そういうことが学べます。
 それから西牟田靖さんの『誰も国境を知らない――揺れ動いた「日本のかたち」をたどる旅』(情報センター出版局、2008年)も、端倪すべからざる本ですね。尖閣列島(中国名 釣魚島)が問題になる前に、彼はちゃんと尖閣に渡っていました。尖閣にしろ、北方領土にしろ、沖ノ鳥島にしろ、日本の端っこにある島が、日本の今後10~20年を左右するのではないか。日本という国は、土地でつながった陸地国境を今では持たない国なのですが(昔は南樺太と北樺太でロシア・ソ連と陸地国境を有していた)、今後はそれについてもっと考えなければいけないのではないか。そういうことを問題提起した本です。
 あと、石田勇治の『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書、2015年)についても触れておかなければなりません。ご存じの通り、ナチ党が政権をとったのは、ワイマール憲法が停止された結果ではない。ワイマール憲法で大きかったのは、大統領緊急令ですよね。ヒトラーはこの大統領緊急令によって、自ら少数党であったにもかかわらず、政権に就くことができた。ですから1933年頃から、臨時特例・緊急事態令によってドイツに変容が加えられていく。その過程を克明に書いた本です。
 たとえば、授権法という、行政府に法律をつくる権利が与えられてしまう法律がありますね。ヒトラーは1933年にその法律(全権委任法)を通した。彼は議会でその法律を通す際にどうやったか。議院規則の改正とか、非常に細かいことを決める。国家の側が認めない欠席事由は、出席とカウントする、とやる。欠席することでプロテストを表す議員の数はカウントしないことになる。つまりこの議院規則改正という小さな改正が、反対党による欠席戦術を封じてしまう。これで社会民主党などの議員数が活きなくなります。そのような、小さな怖さの積み重ねが描かれているあたりが、現在の日本にものすごく参考になるのではいなか。
 2015年9月17日、安全保障関連法案を参議院特別委員会が採決する際、議場の声が採決の声が聴取不能な状態で、しかし、可決ということになりました。議事録というのは大切なもので、聴取不能と一旦は書かれた議事録が、後の修正で、可決と書かれてしまった。議場のルールというのが、かなり民主的な決定にとって大きなウェイトを占めるということが実感された場面でしたね。ワイマール・ドイツから、ナチスドイツが生み落とされた、その歴史的経過は、本当に大事です。
長谷部 どうもありがとうございます。ナチスドイツについて、石田勇治先生の本は勉強になりますね。今、加藤先生がご紹介になったワイマール憲法第48条の条文(大統領非常措置)についてですが、これも辿っていくと1814年のフランスのシャルトに行き着きます。
加藤 えっ、それもですか? 
長谷部 フランスの1814年シャルト第14条には「王は法律を執行し、国家の安全を維持するために必要な命令を発する」とあります。このシャルトの場合、国王はこの条文を使ってシャルト自体を変えてしまうんです。
加藤 そこですか(笑)。
長谷部 その名残りが明治憲法の第8条、緊急勅令です。ワイマール憲法にもご紹介のように「公共の安全と秩序を回復するため」に、大統領は必要な措置をとることができるという条文があります。ヒトラーは言論の自由・出版の自由・集会の自由を抑圧するために、それを使った。それを経て、ナチスはどんな体制をつくっていったのか。石田勇治さんの本には、そういうことが書かれています。

憲法学は非常にわかりにくい

加藤 少し視点を変えて、どうして、私どもが、憲法学者、歴史学者になったのかということについて、お話ししましょうか。
長谷部 そうですね。なぜ私は憲法学者になったのか。私は学生の頃、ものすごく生意気な人間だったんです。まあ、今でもそうなんですが(笑)。だから法律学っていうのは、だいたいわかるような気がしてたんです。でも、一番わからないのが憲法学でした。これは本当に法律学なんだろうか。そういうことを、非常に不思議に思いました。
 憲法学者になっている人間を見ると、法学部に入って「しまった!」と思っている人間が多い(笑)。とにかく、憲法学は非常にわかりにくい。「これはいったい何だろう。調べてみよう」と思って、憲法学の門を叩いたわけです。
 これは先ほど君主制原理・国家法人理論の説明をしたところと関連するんですけど、今あるような憲法学は非常に若い学問なんですね。憲法学を含む公法学者は「お前たちがやっているのは政治評論だ」「哲学や歴史学の真似をしているだけじゃないか」などと言われた。そういうことを言われていた公法学が、私法学からいろいろな概念を導入し、体系的な公法学をつくりあげた。そういうことを学ぶにつれて、だんだん「なるほど、そういうふうにできあがってきたものなのか」ということがわかってきた。
 19世紀後半のドイツで、近代的な意味での公法学をつくりあげてきたのはカール・フリードリヒ・フォン・ゲルバーとパウル・ラーバントです。この2人はいずれも、もともとは私法学者です。ゲルバーは民法学者、ラーバントは商法の専門家でした。ドイツには商法に関する中心的な雑誌があるんですけど、ラーバントはずっとその編集主幹を務めていました。そういった人たちが公法学という学問をつくってくれたわけです。

未来を予測するために過去を知る

加藤 そうですか。憲法学というのは、意外にも若い学問で、しかも誹謗中傷の対象にもなりうる。そのあたりに、大変に親近感を持ちます。歴史学の中でも、私の専門とする近現代というのはまさにそのような扱いを受けやすい分野ですから。
 たとえば、日本中世史というのは、現在も過去も、学問として確立している気がします。朝河貫一など、封建時代があるのはヨーロッパの国々と日本ぐらいだとして、戦前期から中世に対する憧憬が強かった。私自身が近現代をやろうと思いましたのは、簡単に言ってしまえば、過去を正確に描くことで未来を創造する、そのような作業ができる時代選択なのではないかと思いました。過去を語りながら未来をつくれる。こう言うと、ちょっとかっこよすぎますけど。
 少し比喩を使いながらご説明します。これは本当に痛ましいことでしたが、先日熊本で地震がありました。4月14日の夜、熊本県益城町でマグニチュード6.5の地震があり、それから28時間後の16日未明にほぼ同じ場所でマグニチュード7.3の地震があった。震度7レベルの地震が、間を置かず、近い場所で起こる。このようなことは、実際に起きたことだけれども、起こる確率はどのくらいだったのか。これについては、東北大学の西村太志先生が過去のデータから試算して、このような事態が起こる確率は、わずか0.3パーセントしかなかったことがわかりました。
 このパーセントは、1976年から2015年までに起きたマグニチュード6以上の地震について、4176回のデータを蓄積し、そのデータを解析した結果、はじき出されたといいます。歴史的に起こったことは、起こる蓋然性が高いから起こったとは、必ずしもいえないのではないか。このようなことを今回の地震を見ながら考えました。過去を見ていれば、このようなことが起こる確率は0.3パーセントしかなかった、しかし起きた、と言える。非常に珍しいことだが起こる。「熊本では地震への備えが不十分だった」などという批判が、無理であることが、データ的にわかります。私が歴史学者としてやっているのも同様のことです。つまり過去を正確に描き、未来をつくりだす。そういう根拠をつくる学問をやりたい。
 私もまたすごく生意気な人間なので、私から見てバカバカしいことを言っている人たちにきちんと反論したいのです。しかし、どうも顔に迫力がないらしく、甘く見られてしまいます。「お花畑だ」などと言われてしまうのですが。

美濃部の両面性

加藤 歴史学者は美濃部に非常に大きな興味を持っていると言いました。一方で美濃部のことを面白いと思っている憲法学者は、長谷部先生と石川先生ぐらいしかいないのでしょうか。歴史学でも、もう亡くなりましたが尾藤正英さんという近世史の碩学が、美濃部の天皇機関説事件を、尾藤さんの専門である、「江戸時代とは、日本の伝統的な社会の特徴はどのようなものだったか」という論点と結びつけて論じていて、大変面白いのです。「日本史上における近代天皇制」という論文で、尾藤さんの『江戸時代とはなにか』(岩波書店、1992年)に所収されています。
 尾藤さんの美濃部の読み方というのは、美濃部の国家主権説の背景に、共同体としての国家意識を読み取ろうとする点に特徴がありました。尾藤さんは、美濃部が、「主権を君主(天皇)にではなく、国家にあるとしながら、しかもその国家の権力を絶対的なものとはせず、慣習法や理性法(自然法)によって国家も拘束されるとし、さらにその慣習法などの背景には『一般的社会意識』がある」(美濃部『憲法講話』439頁)と考えているところに注目します。
 また、美濃部がイェリネクを批判して、「イエリネックが国家の権力に重きを置くに偏し、理法が国家を拘束することを十分に承認して居らぬのは私の大に遺憾とするところ」(長尾龍一『日本法思想史研究』104頁)と述べているところに着目し、美濃部の憲法思想にとって、日本社会という共同体の持つ意味は大きかったのではないか、と考えを進めていきます。歴史学者は、ここんなところに興味を持つようです。
 つまり美濃部は、法も一般的な社会意識・道徳観念もすべて一緒だと考え、「共同体が生み出す社会意識を重視せよ」と言っている。近世史を専門とする歴史学者は、その点を面白いと感じてきました。これは先ほど先生がおっしゃっていた、「憲法学がやっているのは政治であって、哲学と変わらないじゃないか」という批判と同じかもしれませんが。
では近世史の歴史学者が、なぜ美濃部のことを面白いと思うのか。美濃部が19世紀後半のドイツでつくられた憲法学を1932年ぐらいに体系化できたのは、日本の国家をすごくよく眺めていたからではないかと考えています。先ほども言いましたように、薩長などの雄藩が近世幕藩体制を壊し、近代日本をつくります。でもそれ以前は、幕府という中央集権的な組織がある国家でした。これは、16世紀以来生まれてきた武士という勢力がつくりあげた国家でした。では、武士は、どのようなエートスで生まれてきたか。これは尾藤節ですが、彼らはある種の共同体意識を持ち、共同体を外部の攻撃から守るために、合議制などの独自のルールをつくってきた組織であった、と。たとえば鎌倉時代の法律というのは、古代の律令とはまったく違う。武士がつくった国家をベースにしてできた日本だからこそ、美濃部は道徳・社会通念・法を連続的なものとして捉えたのではないか。歴史学者の中にはそういうことを論じている人がいますが、そのあたりはどうですか? 
長谷部 私は、そこは微妙な問題だと思っています。というのも「日本は万邦無比である」「天皇は万世一系である」というのは神話にすぎないという考え方、多くの人がそれを信じているかもしれないが、それは法律学とは関係がないから、法律学から排除すべきだとも美濃部は言っているからです。この態度・考え方もまた、ドイツから輸入されたものです。ドイツ語でIsolierungと言われるものです。
公法学・憲法学というのは政治評論と中途半端な歴史学、哲学からの輸入品のごた混ぜで、法律学とは到底言えない。19世紀半ばまではそう言われていたわけですが、私法学の世界から法人概念を導入し、国家を法人という権利主体として捉え、さまざまな国家現象を、その各種の機関の行為や相互関係として法律学的に説明しようとした。しかしその一方で、そういう現象として説明できないものは法律学から放逐・排除していく。そうやって学問として純化していったわけです。
 美濃部にとって、天皇主権原理というのは排除されるべき対象で、これは法律学とは関係のないものだった。ただ美濃部は、一方で、国民の福利や利益、文化や価値感情など、公法学が前提とすべき思想もあると言っている。それはたぶん、尾藤先生が指摘しているところとつながる。排除すべきものと採り入れるべきものをどう区別するのか。美濃部の議論はそこで、どこまで一貫しているのか。そういう視点は成立し得るだろうと思います。上杉慎吉などはそこを批判している。これは、美濃部の憲法学には両面性があるということとつながっていくだろうと思います。
加藤 そこが、本当に面白いところです。

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