単行本

一口サイズの物語たちがあなたにエールを送る
森絵都『できない相談』書評

webちくまで連載を続けてきた「piece of resistance」が本になりました。ところどころに顔をのぞかせる長崎訓子さんのイラストも楽しい1冊。そこにはあなたの物語が詰まっている。作家の重松清さんによる商標をPR誌『ちくま』1月号より転載します。

  三十八の掌編が収められた作品集である。
 その七番目、彩さんという女性が主人公の作品に、こんな一節がある。
〈世界は自分を中心にまわっていない。そんなことは彩も百も承知だ〉
 彩さんだけではない。よほどのおめでたい連中ならともかく、それは誰もが、しょっちゅう、寂しさや悔しさとともに噛みしめていることだ。思いどおりにならないよね、世の中は、まったく、もう。
 引用を続ける。
〈が、だからこそ、せめて自分のしがない日常くらいは自らの手で転がしたい〉
 ここで膝をハタと打ち、「そうそうそうっ」「だよねっ」と大きくうなずいた人は、きっとたくさんいるはずだ。根拠はなくても確信を持って――いま拙文をお読みのあなたも、そうでしょう?
 だとすれば、あなたは本書で、自分ととてもよく似た人に出会えるだろう。思いどおりにならない世の中にささやかな抵抗を試みる人びとが何人も登場する作品集なのだ、この本は。
 続けて、十番目の作品(なお、各編にはしっかりタイトルが付いているが、そのタイトルがまたどれも洒落ているので、あえてここでは割愛。読んでのお愉しみである)からは、終盤の一節を引こう。
〈過ぎゆく時がいかなる諦念をもたらそうとも、つまらないこだわりだけは意外と最後まで手放せない〉
 傍から見ればどうでもいいようなことでも、自分にとっては絶対にここだけは譲れない、というポイント、ありませんか? ありますよね? まわりがみんな気に留めなくても、どうしてもひっかかってしまうこと、受け容れがたいこと、我慢しているとストレスが溜まってしかたないこと……でも、それが〈つまらないこだわり〉だというのは自分でもわかっていて、わかっていても、やっぱり譲れなくて……グッと足を踏ん張って、それはできない相談です、と抗ってみたくなる。
 ささやかな抵抗というのは、つまり、そういうことなのだ。十八番目の作品に出てくるフレーズを借りれば〈ちょっとした違和感。ほのかな苛立ち。朧なクエスチョンマーク〉をないがしろにしないこと――と言い換えればいいだろうか。裏返せば、世の中って〈ちょっとした違和感。ほのかな苛立ち。朧なクエスチョンマーク〉だらけだよねぇ、ということでもあるかもしれない。
 全三十八編。森絵都さんは、まるで干菓子の吹き寄せのように、一口サイズの小さな物語を、色とりどりに、さまざまなスタイルを駆使して一冊の書物に収めてくれた。
 いかにも疲れた体と心を癒やしてくれそうな優しい話もある一方で、ピリッと辛口の話もあり、こう来たか、と予想を気持ち良くひっくり返してくれる話もあれば、小粋なほろ苦さとともに閉じられる話もある。吹き寄せで譬えるなら、ザラメをまぶしたおかき、唐辛子やワサビを練り込んだおかき、落雁のほろりとした歯触り、有平糖のパリパリッ、甘さに飽きたら昆布でもしゃぶって……。
 そんなバラエティを愉しみつつ、やがてあなたは気づくはずだ。味わいは幅広くとも、この吹き寄せには一本のスジが通っている。どんなにビターな話でも、主人公の空回りや失敗を描いた話でさえも、そこにはいつもユーモアがある。作者の温かいまなざしがある。
 それは、〈ちょっとした違和感。ほのかな苛立ち。朧なクエスチョンマーク〉だらけの世の中で、〈せめて自分のしがない日常くらいは自らの手で転がしたい〉と願いながら日々を送っている人たちへのエールになっているのだ。もちろん、あなたも、そのエールの大切な受け手の一人である。
「毎日お疲れさま、お菓子でもいかがですか」――『できない相談』と題された物語の吹き寄せが卓に置かれる。お茶、いれよう。

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