海をあげる

空を駆ける

 おだやかな日々だったが、今帰仁村に帰ったときに、祖母は脳梗塞になって倒れてしまい、それからは寝たきりの生活になってしまった。全介助の必要になった祖母は、ご飯を食べることも、畑仕事もできなくなった。
 母は主治医と相談をして、自分の家の近くの施設に祖母を入所させた。それから毎日2回も3回も施設を訪ね、祖母のそばで本を読んだり、祖母のベッドにもたれて一緒に眠ったりするようになった。叔母たちもまた足しげく通い、祖母を車いすに乗せて施設の近所を散歩したり、介護タクシーに乗せては、遠く離れた今帰仁村まで連れて行っていた。
 「今のおばあちゃんに、コザとか今帰仁とかわかるのかなぁ」と私が言うと、母はきっぱり言いきった。

 「わかるさ! シマ(=今帰仁村)に入った瞬間に、なんというか、“ここは私の場所”という顔をして堂々とするのよ。諸志の並木道があるでしょう、あそこでいつも、“ああ、帰ってきた”って顔をするよ」

 祖母の生まれた家のある今帰仁村の諸志のあたりはとりわけ緑が濃い土地だ。竹林に囲まれた祖母の生家は、いつもさらさらと風の音がしている。あそこで祖母は、ああ、帰ってきたという顔をするらしい。目をぐるぐるとさせて、あたりを見渡す祖母の気持ちを、母や叔母は変わらず読みとることができるのだ。

                   *

 去年の秋、祖母は息を引き取った。秋は本当に忙しかった。大学の業務をこなしながら、いろいろな事情があってしばらく止めていた若年出産調査を稼働させ、そこにケアが必要な案件が重なって、携帯電話を片時も離せなくなったその時期に、祖母はひっそり息を引き取った。
 その日は近所の大学で開催されている学会があり、駐車場で車を降りるときに携帯電話をみたら、「さっき、おばあちゃんの心臓がとまりました」という叔母からのメッセージが残されていた。
 病室にいる母に電話をかけると、母はとても静かな声で話した。

 「もう心臓はとまったの。今、みんな集まっているんだけど、これからおばあちゃんの支度をして、今日中に今帰仁に連れて行く。孫たちみんなに連絡はしたけれど、こういうときだから、目の前のことを終わらせてから来てほしいと思っている。ここからお葬式とか、いろいろ長いから」

 私が「じゃあ、学会報告をひとつ聞いてそれから向かうね。2時間後には家族みんなでそこに着くよ」と言ったら、母は、「お通夜も告別式もあるから無理をせずにね。お母さんは今夜、今帰仁のほうにとまりになると思う」と話した。
 学会が終わって急いで駆けつけると、施設の入り口で今帰仁村に帰る祖母や母たちに間に合った。ベッドに眠っている祖母に、「おつかれさまでした」と声をかけて頰を触ると、祖母の頰はまだ柔らかかった。まじまじと目を見開き祖母をみている娘を抱きあげて、「大きいばぁばだよ。風花もさよならをしてね」と言うと、「大きいばぁばは、お人形になった?」と娘は言った。

 「ここにあるのはもうお人形みたいなもので、大きいばぁばはもうお空に行ったよ。お空に行けば、もうどこも痛くないし、もうなんでも食べられる。大きいばぁばは、もうここにはいないよ」

 明日から始まるお葬式の手順を聞いて家に帰る。明日からのお葬式に備えないといけないと思い、「明日の大学院の授業は休講にします」と同僚にメッセージをおくると、「代わりに授業をするので、安心してください」というメールが届いた。ちょうどその日、学部の授業のゲストをお願いしていた打越さんに、「ごめん。やっぱりうまく話せないから、明日は休講にしようと思う」とメッセージを送ったら、「私が授業進めるんで、上間さんはそばでぼんやりしていてください」というメッセージが届いた。ケア案件を頼まれていた女性に、「今日のお昼に祖母が亡くなりました。明日と明後日がお通夜と告別式で、今帰仁村という沖縄の田舎に行かないといけないの。こんなときにごめんね」と送ると、「え、大丈夫ですか?? 自分のことは気にしないでゆっくりお見送りしてあげてください!!」「ご冥福をお祈りします。お通夜と告別式もあって疲れるはずなのに気使わせてすいません」というメッセージが届いた。
 ここからは、毎日、正念場で綱渡りだ。とにかく、みんなの力を借りて祖母をおくり、彼女のケアは手を抜かない。絶対に乗り切ろうと決意していると、娘は夜になって熱を発した。