ちくま新書

2月の新刊、荒川清秀『漢語の謎』の「はじめに」を公開いたします。……とここまで書いた文の「新刊」「漢語」「公開」が「漢語」ですが、漢語は中国からやってきたものばかりかと思いきや、日本で作られ、中国に渡ったものがたくさんあります。この漢語を窓にして、日本語と中国語の両方の世界をのぞいてみませんか?(この「はじめに」には、さらに韓国語、ヴェトナム語も登場します!)

1 漢語とは何か

†漢字で書かれている=漢語ではない

 わたしたちは日本語という「ことばの海」の中で生きている。この海には漢語、和語、混種語、外来語などという種類の異なることばが存在する。このうち、本書の主役である「漢語」は、海の半分以上という大きな比重を占めている。本来の日本語である和語や外来語も由来がわからないものが少なくないが、とりわけ漢語は漢字とともに、中国から伝わったものが多く、よく考えると意味や由来のわからないものが多数存在する。本書はその「漢語の謎」を解き明かそうというものであるが、まず、漢語について少し説明しておきたい。
 漢字はわかっても、漢語はわからないという人もいるかもしれない。「漢語」は一般に「漢字の熟語」といわれるが、厳密にいうと漢字を「音読み」した語である。なぜ「音読み」かというと、もともと中国からきたものだからである。そのため、漢語は、漢字の中国での読みを、日本人の耳で聞いて、日本式に取り入れた「音読み」で読まれたものでなければならない。漢字でも和語として読む「訓読み」をすると、漢語ではなくなるのである。
「入口」を例に説明してみよう。「入口」は一般に「いりぐち」と読むが、そう読む限りこれを漢語とはいわない。なぜなら、この場合、「いり」と「ぐち(くち)」という読み方はそれぞれの漢字の「訓(読み)」と呼ばれるものであるが、訓とは漢字を和語に訳して読むということだからだ。これはdogという英単語を「いぬ」、catという英単語を「ねこ」と読むのと同じことである。「口」という漢字を見たとき、昔の日本人は、これは「くち」のことだと思った。それで「口」を「くち」と読むようになった。そうして漢字を和語=「訓」に訳して読んでいるので、「口(くち)」は「漢」語ではないのである。
「入口」の「入」は「いり(いる)」と読むが、これは「郷に入りては郷にしたがえ」というときの「入り」で、古い日本語の読み方である。つまり、「入口」は、古い日本語の「いる」と「くち」が合わさり「いりぐち」となったもの、和語なのである。
 もし、「入口」を漢語として読むと、「にゅうこう」と読まなくてはいけない。これは先ほども述べたように「音読み」である。しかし、日本人は決して「入口」を「にゅうこう」とは読まない。したがって、「入口」は永遠に和語であって漢語ではないのである。
 ところが、この「いりぐち」は中国語でも"入口"という(以下、特に中国語であることを強調するときは" "をつける)。もちろん、読み方は違うが、漢字表記は同じである。このようなものを本書では「日中同形語」と呼ぶ。「日中同形語」は音読みのもの、つまり漢語と中国語だけを扱うべきだという論もある。しかし、日中のことばの往来を考えると、訓読みするが中国語にも存在する語も「日中同形語」の周辺として扱わざるをえなくなる。本書では「入口」「出口」のほか、「広場」「手続」「場合」を例に挙げたし、それ以外にも「恋人」「星空」などがある。それぞれ音で読めば、「にゅうこう」「しゅっこう」「こうじょう」「しゅぞく」「じょうごう」「れんじん」「せいくう」である。これらは、耳で聞いてはわからない。ところが「いりぐち、でぐち」となると子どもでもわかる。訓読みした「こいびと」「ほしぞら」は子どもでもしっているが、中国語の"恋人""星空"は硬いことば、書きことばである。

†漢語が使われる地域

 本書は日本と中国の間の「漢語」の意味の違い、その往来について述べる一冊だが、漢語は他の国でも使われている。韓国とベトナム、いわゆる漢字文化圏と呼ばれる国々である。これらの国は現在韓国ではハングルが、ベトナムではクオック・グー=国語という表音文字が使われているので、一見、漢語とは関係がないように見える。
 しかし、韓国を例にとれば、語彙の半分は漢語だといわれる。たとえば、

 時間(シガン) 電話(チョナ) 大学(テーハッ)
 経済(キョンジェ) 銀行(ウネン) 安心(アンシム)
 政治(チョンチ) 入口(イブッ) 簡単(カンダン)

は韓国で使われている漢語であるが、このうち、「簡単(カンダン)」は二つ目の音が濁っているのを除けば日本語の「カンタン」と同じだし、「安心(アンシム)」は最後のムの音をンにすれば日本語と同じになる。
 また、「時間(シガン)」は日本語と音が似ているし、「政治(チョンチ)」は中国語の音とそっくりだ。一字の漢字では、「山(サン)」「新(シン)」「薬(ヤッ/ヤク)」のように日本語と音が似ているものもあれば、「東(トン)」「不(プ)」「洋(ヤン)」のように中国語の音と似ているものもある。したがって、韓国語は、中国語を勉強した日本人が勉強するにも共通点がたくさんあって有利な言語なのである)『漢字で覚えるしっぽをつかむ韓国語』『中日韓共用漢字詞典』)。
 日本と韓国の間には、「銀行」「汽車」「自動車」「地下鉄」「百貨店」「旅行」「旅館」「地図」「地震」など、挙げればきりがないほど共通の漢語が存在する。そのため韓国の人々は、1945年に日本が戦争で負けたあと、日本語の残滓を払拭しようと、ことばの言い換えをしたりした。しかし、それをすべてやっていたら、韓国語そのものが話せなくなってしまう(鄭大均『韓国のナショナリズム』)。
 日本語はもちろん、韓国語、またベトナム語でも、中国語由来の語(漢語)がなければ、ことばによるコミュニケーションは成り立たないのである。

†日中韓の語彙交流

 さらに特筆すべきは、日中だけでなく、日中韓でも語彙の交流があったことである。
 たとえば、「電話」は日本でできた漢語であるが、これが中国でも韓国でも使われている。わたしは2006年に韓国のソウル大学で開かれた日中韓の近代漢語研究会で発表したとき、「電話」の語源を取り上げたが、それは日中韓で共通であるということを意識してのことであった。
 ただ、この場合、どんなふうに伝わったのかが問題になる。たとえば、中国では「電話」が伝わる前は「徳律風(ドーリュイフォン)」とか「得律風」とかが使われていた。これらはtelephoneの音訳語である。そして、この音訳語は意外と長く中国では使われていて、「電話」はなかなか中国語の中へ入っていかなかった(荒川清秀『日中漢語の生成と交流・受容』)。一方、韓国へは日本から直接伝わっていった可能性が高いが、中国から伝わったという考えも否定できない。
 アメリカは日本では「米国」、中国では"美国"と呼ばれる。これらはどちらも、もとは中国で生まれたことばである。そして、韓国では現在「美国」が使われている。つまり、この場合は中国から韓国というルートが存在するのである。同様に、「父母(日本語の「親」)」「郵票(日本語の)切手」)」「上衣(日本語の上着)」なども、中国から韓国へわたった漢語である。
 三国共通の漢語でありながら、意味が国で異なるものもある。たとえば「工夫」は、韓国語では「勉強する」、中国語では「ひま、努力」、日本語では「くふう」と、意味が異なる。
 なお、韓国以外で漢字の影響を受けたのはベトナムである。岩槻純一氏によれば、ベトナム語の七割は漢語起源であるという(「近代ベトナムにおける「漢字」の問題」)。あいさつ語でいえば、

 ありがとう  カーム オン(感恩)

 さようなら  タム ビエット(暫別)

などは、現代中国語とは異なるが、漢字語であることがわかる。

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