ちくま新書

2月の新刊、荒川清秀『漢語の謎』の「はじめに」を公開いたします。……とここまで書いた文の「新刊」「漢語」「公開」が「漢語」ですが、漢語は中国からやってきたものばかりかと思いきや、日本で作られ、中国に渡ったものがたくさんあります。この漢語を窓にして、日本語と中国語の両方の世界をのぞいてみませんか?(この「はじめに」には、さらに韓国語、ヴェトナム語も登場します!)

2 日中同形語の謎

†日中同形語とは何か

 先にも少しふれたように、日本語と中国語には、漢字表記を共通にする語(日中同形語)が大量に存在する。たとえば、古く中国から伝わったものでは「肉」「(お)茶」「梅」「蜜」「豆腐」「菊」「竹」「牡丹」「葡萄」「馬」「獅子」「駱駝」「金」「銀」「銅」「鉄」などがそうである(藤堂明保『漢語と日本語』)。したがって、これらを「外来語」と呼ぶ人もいるが、現在では本来の日本語と区別がつかなくなっているので、外来語の範疇には入れない。近代では、「文化」「文明」「経済」「社会」「自由」「義務」「権利」「哲学」「電池」「電気」「電話」「電信」「科学」「化学」等々も日中共通のことばである。
 さて、このように日中双方の長い交流の中でつくられた同形語であるが、そのことばの出来方は一様ではない。その作られ方には時代や人の往来などさまざまな要因が働いている。とりわけ近代にできたものでは、いったい日本と中国のどちらでできたものかよくわからないものもある。なぜこんなことばがつくられたのか。どうやってつくられたのかという謎が多いのである。本書は、その謎を解こうとするものである。

†ことばの往来パターン

 本題に入る前に、ここでは見取り図として、ことばの往来のいくつかのパターンを概観しておきたい。
 明治まで、日本語はもっぱら中国語からことばを取り入れる一方であった。①中国→日本という流れである。漢字・漢語はもともと中国のものなのだから、これは当然のことといえるだろう。
 一方、日本でも独自に漢語がつくられた。「大根」「出張」「心配」等がそうである。また、江戸の鎖国時期にあっても、医学、化学、物理学の分野を中心にオランダ語の文献を日本語に翻訳したが、その際に「十二指腸」「酸素」「重力」等、漢語がたくさんつくられた。もっとも、この時代につくられた漢語は中国語の中へ入っていくことはほとんどなかった。
 しかし、明治維新以後の日本でつくられた「政治」「社会」「経済」「文明」「文化」等の近代につくられたことば――「近代用語」は、日清戦争後(1895)、清国からの留学生、外交官、亡命知識人らにより中国語の中に入っていった。これは、②日本→中国という流れである。なお、ここでいう「近代」とは封建制を抜けて資本制へ向かう、主として明治維新以後のことをいう。
 ②のように日本語から大量の語彙が中国語の中へ入っていったというのは、一般にはあまりしられていないことではないだろうか。あるいは、中国人からすれば、それまで中国から学ぶ一方であった日本人が、自ら近代用語をつくり、それが中国語の中へ入っていったということは急には信じがたいことかもしれない。しかし、それは否定できない事実である。
 それとともに、ここ三十年来の日中の研究でわかってきたことは、日本人がつくったと思われていたことばが、実は必ずしもそうではなかったという事実である。
 考えてみれば、日本の開国が1854年(日米和親条約)であるのに対し、中国がイギリスによって「開国」させられたのはアヘン戦争後の1842年(南京条約)のことであった。12年もの差があるのである。さらに、明や清の鎖国政策(海禁)はゆるいものであったので、マカオや広州では貿易も行われ、西洋人もやってきていた。日本より中国の方が先に西洋の波をかぶっていたわけである。
 その最初の波は明末、反宗教改革運動の一環であるカトリックのイエズス会の東洋布教である。国でいえばポルトガル、スペインで、かれらは中国だけでなく日本へもやってきた。鉄砲伝来が1543年、キリスト教伝来が1549年であるのはご存知だろう(わたしは「ひごよみ(1543)めくる種子島」「いごよく(1549)広まるキリスト教」とこの年を覚えている)。そして清末になると、こうしたカトリック諸国は衰え、それに代わって台頭してきたのがオランダ、イギリスなどのプロテスタント諸国であった。
 明末から清、中華民国初期にかけ中国にやってきたカトリック、プロテスタントの宣教師たちの本来の目的はキリスト教布教であったが、かれらは中国人の歓心と信頼を得るため、宗教書だけでなく、当時の最高レベルの地理書、科学書等を中国語に翻訳した。これらの翻訳書はもちろんかれらだけでできたのではなく、中国知識人の協力のもとにつくられた。
 こうした書物(漢訳洋書)は鎖国下、あるいは開国後の日本にも伝わり、その中のことばが日本語として定着したあと、さらに日清戦争後に中国語の中へ入っていくということがあった。すなわち、③中国→日本→中国という流れである。この中には、「洗礼」「天使」「基督」等のキリスト教用語や「地球」「赤道」「熱帯」といった世界地理に関することば、それに「化学」「電池」「貿易風」「銀行」といったことばが含まれている。このように、日本と中国の間で、漢語はさまざまな経路で往来してきた。
 なお、最後に付け加えておくと、②日本→中国ということばの流れは、日清戦争以前においても、小さなものではあったが、存在したということがわかっている。たとえば、ペリー来航時(1853)に日本側通訳であった堀達之助と、和親条約の批准書の締結時(1855)に通訳として来日した、ドイツ人宣教医ロプシャイトとの交流を通した訳語の借用である。
 堀達之助は日本で最初の本格的な辞書『英和対訳袖珍辞書』(1862)を編集し、ロプシャイトは中国の洋学(中国では「西学」という)の集大成的辞書『英華字典』(1866-69)を編集する。その堀より後に出たロプシャイトの辞書に堀の辞書と共通の漢語がいくつか存在するのである)たとえば「半島」。これはロプシャイトが独自に堀と同じ漢語をつくったとも考えられるが、那須雅之(愛知大学)の研究で、ロプシャイトが堀の辞書を参照したことがわかっている。つまり、日清戦争以前にも、日本語→中国語という細い流れが存在したのである。

†全体の構成

 本書では、以上のことを踏まえ、各章で以下のような内容をお話しする。
 第一章では、わたしたちの身近にあって、ふだん気にかけていないが、よく考えると不思議なことばをいくつかとりあげたい。すなわち、「盆地」「電池」「銀行」「割礼」「租界」である。これらのことばに使われている「盆」「池」「行」「割」「租」はいったいどういう意味なのか。「電池」がなぜ「地」ではなく「池」という字を使っているのか、疑問に思った人はいないだろうか。「銀行」の「行」とはなにか等々もわかりにくい。
 第二章では、日本でつくられ中国へ渡っていった漢語を中心に考えてみたい。すなわち、「文明」「文化」「義務」のつくられ方と、中国語での変化である。また、「調査」「化石」「結晶」が日本でどのようにしてつくられたか、あるいは語となったかを考える。たとえば「化石」は「石に(変)化する」というフレーズ(句)であり、「化した石」という単語ではない。それでは意味をなさない。ところが「化石」は現在一種の石、つまり単語として理解されている。
 さらに「手続」「場合」「取締」等、和語(「てつづき」「ばあい」「とりしまり」)をそのまま中国語で読んだことばがなぜ中国語の中で定着したかも考えてみたい。
 第三章では、日本で漢語がつくられるときの原理のようなものを3点に分けてお話しする。
 その一つは、江戸オランダ学の特徴である逐語訳(calque)による翻訳で、ここでは「半島」ということばを例に取り上げる。
 二つ目は、日本語で考え、それを「音(音読み)」にしてことばをつくるという方法で、ここでは「回帰線」という地理学用語を取り上げる。「回帰線」の「回帰」はいかにしてつくられたのだろうか。
 三つ目は語順の逆転によるつくられ方で、「健康」をとりあげる。「健康」がそれまであった中国語の「康健」を逆にして成立したという話である。ここには、中国語の「声調(高低アクセント)」の問題がからんでいる。
 第四章では、中国で漢語がつくられるときのメカニズムについて考えてみたい。取り上げる最初の例は「熱帯」である。「熱帯」は、わたしが日中同形語がいかにしてつくられたかを歴史的に考えるきっかけとなった語である。というのは、中国の代表的外来語辞典――『漢語外来詞詞典』(1984)には、「熱帯」は日本製の漢語とあったのである。しかし、わたしは日本人なら「暑い地帯」なら「暑帯」になるのがふつうで、「熱帯」となったのは、気候の暑さにも"熱"を使う中国語においてではないかという仮説を立て、それを証明しようとしたのである(『近代日中学術用語の形成と伝播』)。
 さらに、「貿易風」を"信風"と訳したり、「海流」を"洋流"と訳したりする語(字)の選択の問題についてもふれる。日本と中国は同じく漢字を使っていても、漢字の意味には違いがあり、それがことばづくり(造語)にも反映していることを証明しようとしたのである。
 また、この章では、同時に中国人による「形象的な造語法」を取り上げる。これは先に挙げた日本のオランダ学の逐語訳との大きな違いである。たとえば、日本人は「半分の島」というオランダ語原文から「半島」をつくったが、中国人は「半島」を"土股"(土もも)とか"土臂"(土の腕)と訳したり、「酸素」を"養気"(人を養う気)などと訳した。通俗的でわかりやすい造語法である。
 一般に、近代にできた漢語というのは、日中どちらかでできて、どちらかに伝わったものがほとんどである。しかし、中には双方で別々に同じ語ができたとか、どちらでできたかはっきりと言い難いものもいくつか存在する。第五章ではそういう漢語について考えてみたい。すなわち、「空気」「病院/医院」「○門」(「幽門」「噴門」等)「広場」「出口/入口」等である。
 また、各章の終わりに、「日中同形語の窓」というコラムを付した。これは、日中同形語といわれるとき、しばしば話題になる語を集めたものである。ただし、ここでは単にどう違うかというだけでなく、よりつっこんだ検討をし、新たな知見も盛り込んだつもりである。

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