ちくま文庫

書物が生まれる場所

『本屋、はじめました――新刊書店Titleの冒険』(辻山良雄)解説

「本は読まれることによってはじめて『書物』になる」――『本屋、はじめました』の解説を公開します。

「Title」が創業してから四年が経過したというから、もう五年ほど前のことになる。池袋・リブロでトークイベントを終えたあと、当時、売り場の責任者だった辻山さんと言葉を交わした。すでに池袋・リブロの店舗の閉鎖は告知されていて、今後どうするのかを辻山さんに尋ねると、数秒ほど沈黙して、はにかむようにしてこう言った。
「まだ、言えないんですが、自分でやろうと思うんです」
振りかえってみると、あの日が「Title」との出会いだった。そのときには書店の名前も聞いていない。「Title」という名前も知らない。今でも独立系店舗のある様式を意味するようになった「Title」という言葉も、最初に聴いたときは、あまりしっくりこなかった。すべて英文字で書かれていたからかもしれない。
 しかし、事業が動き出してみると、そんなことはまったく些末なことだった。この書店が試みること、一つ一つがニュースになっていった。「Title」は、ある意味では平凡な書店なのである。だが、歴史は、誰にもできなかったことを、この書店が実現したことを証明している。文庫化に際して追補された文章には次のような一節がある。
「日々のルーティン作業は、開店したころから変わっていない。朝の八時に「毎日のほん」を更新し、荷物のない日曜日を除けば開店一時間前には店に来て、棚に商品を並べる。店の開店後は一日レジカウンターのなかで、接客や仕入、本の紹介などの仕事をして、夜九時になったら店を閉める……。」
 世の中は事業を大きくした人を成功者だという。しかし、自分で会社を作ってみると、自分にそぐわない大きい事業を展開しても、それを「成功」とは呼べないということが分かってくる。私も大学の教員になる二〇一八年まで一五年間、起業した会社の経営にたずさわった。
「成功」を意味する英語success には、「持続する」という意味もある。むしろ、持続性を持たない事業は真の意味における「成功」とは言えないのだろう。今日の状況で新しく書店を開くという決断には大きなリスクが伴う。そもそも書店に限らず、どんな事業であれ、開業一年を経ずして閉鎖を余儀なくされる事業体がほとんどなのである。
 この本は、書店起業入門のように読めるが、もし、何か秘密めいたものを探そうとしているなら、少し注意が必要かもしれない。作者は開業資金は損益まで赤裸々に語っている。読者も、隠された何かを探すのではなく、そこにあるものをじっくり感じとって見るのがよい。たとえば次の一節などこれから事業を始めようとする人は熟読玩味するとよいと思う。
「人によっては辺鄙(へんぴ)に思える場所であるが、自分のペースで落ち着いて仕事をやりたかったわたしにとっては、そのぽつんとした感じがあっていたのだろう。」
 作者は、無理をしない。それは寝る時間を惜しんで働いたりしない、ということではない。どこまでも自分であることから離れない。
 同業他社の動きもよく観察しながら、自分の性に合わないことはけっして深追いしない。別な言い方をすれば、ほんとうに自分でなくてはできないことを、今も貪欲に探している、ともいえる。
 売上の管理に関しても、独特の直観力を持っている。辻山さんは、数字を追うのではなく、商いの流れを追うのである。
「店をはじめたころに比べれば、いまでは予算を細かく組むこともなくなり、売上の分析も行うことが少なくなった」
 経営とは、ボートをこぐように始めるのだが、どこからか、ヨットを操縦するような技量が必要になってくる。売上も作るのではなく、「育てる」といった感じになってくる。
「Title」は書物が「生まれる」場所だ。「生まれる」という言葉にも多層的な意味がある。本は読まれることによってはじめて「書物」になる。それだけではない。私はこの書店で行った連続講座を書籍化した。文字通り「Title」は本が「生まれる」場所でもある。
 本書の読者はきっと「Title」を訪ねてみたいと思うだろう。そうしたら、ぜひ、喫茶コーナーでコーヒーなども飲みながら、厨房をのぞいてみてほしい。そこで働いている人物が、この書店が今も変化し、真の意味で「成功」しつつある理由の一つなのである。
 作者もこの人物には感謝しているらしい。
「妻もわたしと同じで、毎日カフェに立っている。こうした日々に付き合ってくれて、彼女にはとても感謝している。」
 本当に信頼できる人物とめぐりあうこと、これが事業成功のもっとも大きな「鍵」だと私は思う。

 

 

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