ちくま新書

「自分の場合」は、どうなのか?

お金の対策に、「もう遅い」はありません

老後の年金や貯金の問題が騒がれていますが、平均ではなく「自分の場合はどうなのか?」で考えましょう。一人一人の状況が違うのです。また、「もう遅いですよね」という方がいますが、貯金や投資を始めるのに「遅い」ことはありません。問題は、すぐに始めることなのです。この本を読んで、基本を知り、自分に必要な対策をすぐに実行しましょう。難しいことは全然ありません。1月刊行のちくま新書『長い老後のためのお金の基本』の「はじめに」を公開します。

平均ではなく、「自分の場合は」で考えることが大切
 二〇一九年、金融庁のワーキンググループが発表した「老後二〇〇〇万円問題」は、世間を騒がす大問題になってしまいました。
この問題をざっくり言いますと、「老後二〇〇〇万円問題」とは、(定年後、年金収入に頼り)平均的な支出をしている高齢夫婦が九五歳まで生きた場合、年金だけでは生活資金が足らず、あと二〇〇〇万円が必要になるというものです(図表①)。

 


その金額を聞き、「そんなお金、持ってない!」と、いっせいに悲鳴に似た声があがったわけです。
 以来、「二〇〇〇万円」という数字がひとり歩きして、あちこちで「二〇〇〇万円、持ってる?」「持ってない」という会話がささやかれるようになりました。ファイナンシャルプランナーをしている私のところにも、相談者の方が今までにもまして来られるようになりました。ただ、その多くが、自分がもらえる年金額をよく知らなかったり、毎月の生活費 をきちんと把握していなかったりする人たちだったのです。「何かよくわからないけれど、みんなが足りないと言っているから、足りないんだろう」とか「二〇〇〇万円持っていないと、老後は生きていけないらしい」など、焦っている人が多かったのですが、何も考えずに世間のうわさに流されるのが一番よくありません。そうした〝思考停止〞状態から、詐欺にひっかかったり、投資で大損したりといったお金にまつわる失敗も始まるのです。
 そもそも私から見ると、「二〇〇〇万円問題」に代表される「老後貧困問題」は、必要以上につくられたり、あおられたりしている部分も多いように思います。マスメディアがセンセーショナルにあおれば、それだけ視聴率が取れたり、本や雑誌が売れたりというメリットがあるからでしょう。こうしたつくられた情報に踊らされてはいけません。
どんなときも、「自分の場合はどうなのか」という「自分軸」で考えることが大切です。昔から言い古された言葉ですが、「人は人、自分は自分」。人は二〇〇〇万円足りなくても、自分の場合は二〇〇〇万円も必要ないかもしれないし、あるいは、もっと必要かもしれないのです。
あくまでも「自分の場合」は、ということを軸に考えていただけると、世間のうわさにいたずらにまどわされずにすむと思います。

人が足りないから、自分も足りないとは限らない
 先日も、こんなご夫婦が相談に来られました。長くメーカーに勤めて、七年後に定年を迎えるご主人(五八歳)とパート勤務の奥さま(五六歳)の二人です。貯金が一〇〇〇万円ちょっとしかなく、とても今からあと一〇〇〇万円貯蓄するのは無理だと、ご主人は青い顔でおっしゃるのです。でもご夫婦の「ねんきん定期便」を見せていただくと、ご主人が六五歳のとき、夫婦合わせて月額三二万円の年金がもらえることになっています。(ご主人二六万円+奥さま六万円=三二万円)。
 現在のご夫婦の生活費は、月三〇万円くらい。ということは、これから先、よほど突発的なことが起こらない限り、貯金に手をつけずとも、いちおう年金だけで生活できる恵まれたご夫婦だった、というわけです。
 しかし、二人とも「ねんきん定期便」の見方自体がよくわからず、年金がいくらもらえるのかもわからなかったのです。悲観するほどではない貯蓄と生活費に足りる年金があるにもかかわらず、「二〇〇〇万円」の風評に踊らされて、いたずらに不安な毎日をすごされてしまったのです。「あんなに心配していた日々を返してほしい」と、ご主人がおっしゃっていた言葉が印象的でした。こういう方は世間にけっこういらっしゃるのではないでしょうか。きちんとした企業に勤めていて、かりに退職金が二〇〇〇万円出るとすると、貯金が一〇〇〇万円もあれば、年金の不足分を十分補っていけます。
 あるいは、持ち家の方で生活費だけ負担すればいいご夫婦なら、二人で月二〇万円で生活ができれば、年金だけで暮らせる上に、さらに貯金さえできることもあります。
要するに、人は人、自分は自分。モデルケースを見て、あれこれ心配するのはまったくのナンセンス、時間のむだというものです。
 あくまでも自分の場合はどうなのかを軸に、「自分がもらえる年金」「自分が一カ月に使う生活費」「退職金の予定額」などといった数字をできる限りあきらかにして、老後の備えについて考えていく必要があります。

目をキラキラさせていたあのおじいさんを見習え!
 もちろん、世の中には大企業にお勤めの方ばかりではありませんから、老後は国民年金しかなく(国民年金は満額支給でも月六五〇〇〇円ほどしかもらえません!〈令和元年度〉)、手持ちの貯金も少ない人もいるでしょう。
 となれば、ますます「自分の場合は」どうなのかを考えていかなければいけません。かりに、老後に必要なおおよその数字が三〇〇〇万円とか五〇〇〇万円となったとしましょう。でも、「ああ、とても無理だ〜」と言って投げやりになることはありません。
あきらめなくても、全然いいのです。これからまだ働くのですから、三〇〇〇万円、五〇〇〇万円までいけなくても、今から支出の見直しをしていって、三〇〇万円でも五〇〇万円でも貯めておけば、老後は全然違います。「ゼロか一〇〇か」で考えるのではなく、二〇でも三〇でもいい。やれば必ずお金は貯まるのですから、今からそれをやりましょう!
私が声を大にして言いたいことはひとつだけ。何歳になっても、貯金を始めるのに「もう遅い」はない、ということです。
 先日、新潟県の燕三条というところに講演に行って、とても素敵な光景を目にしました。参加者の中に八〇歳くらいの職人風のおじいさんが来ていたのです。その方が、目をキラキラさせながら私の話を聞いていました。そして、熱心にメモを取られていたのです。
 私は「素敵だなあ」と思わず見とれてしまいました。その姿が、とても輝いているという感じがしたからです。八〇歳になっても、まだ全然、学ぶことをあきらめていないおじいさん。これからのことを考えて、前向きに何かやろうと取り組んでいるその姿勢は感動的ですらありました。「生きる」とは、まさにそういうことだと思うのです。
 世の中にはまだ若いのに、「お金のことなんて、全然考えていません。もうあきらめています」という人もいます。それに比べると、八〇歳のおじいさんのほうが、はるかに生き生きと今を〝生きている〞という感じがします。「お金のことばかり言うのは好きではありません。お金より大事なものがたくさんあります」と言う人もたくさんいます。たしかにそうです。そうですが、「お金より大事なもの」という抽象的なものと比較していても話は前に進みません。
 生きていくのに必ずお金は必要です。自分自身を大切に思うのなら、何歳になってもあきらめず、お金のことにしっかり向き合い、自分とお金のことを考えていきたいものです。
 この本を手にとってくださったみなさんは、今、まさに燕三条のおじいさんのように前向きなスタートラインに立ったといえます。貯金がゼロでも、老後のことを何も考えていなくても、今、この時点から始めればいい。どんなこともけっして遅すぎることはありません。さあ、これからみんなでがんばりましょう。