ちくま新書

韓国の人びとの声を聞きとる

3月の新刊、伊東順子『韓国 現地からの報告』(ちくま新書)の「はじめに」を公開いたします。 セウォル号事件、朴槿恵大統領の弾劾、文在寅政権誕生、日韓関係の悪化……2014年~20年はじめまで、 韓国で起こった様々な出来事、そして韓国の教育現場や日韓の文化交流などについて現地から報告する本書。 この「はじめに」では、他の「韓国本」とは違った本書の視点がわかります。ぜひお読みください。

 長く韓国で暮らしている。最近は家族の関係で日本にいる時間も増えたが、それでも月に一度二度は両国を行き来しながら仕事や家のことをしている。そうしながら感じるのは、日本のメディア(特にテレビ)で語られる韓国と、実際の韓国とに「ズレ」があることだ。

 最初にそれを強く感じたのは2014年4月、韓国の珍島沖で起きた旅客船沈没事故(セウォル号事件)の時だった。「全員救出」という初っ端の大誤報から始まり、完全に麻痺してしまった韓国メディアを見切って、海外の報道を追い始めた。NHK、BBC、CNN、そしてインターネット。

 その中で日本の報道量は他国に比べて圧倒的だったが、的の外し方もすごかった。いったい、この人たちは何を言っているのだろう?

 したり顔で話すワイドショーのコメンテーターに腹がたち、思わず休眠していたブログを再開した。それを見た『WEBRONZA』(現『論座』)の編集部が掲載を申し出てくれた。

「ものすごいアクセス数です。このまま続けて書いてください」

 そうして始まった連載が、本書のベースになっている。

 セウォル号事故から朴槿恵大統領の弾劾へ、文在寅政権の誕生から混迷する日韓関係まで、この5年間の韓国をめぐる変化はすさまじかった。その変化の中で韓国の一般の人々は何を考え、どう行動したか。
 
 第1章から第3章までは、5年間の変化を時系列にまとめてある。連載時にはナッツリターン事件やМERS(マーズ)問題も大きな話題だったが、政治外交面での変化に集中するために本書からは割愛し、その代わりに新たな書き下ろしをいくつか加えた。たとえば第3章の「朝鮮半島の安定と韓国軍に入隊した日本人の息子」は、連載時には書かなかったものだ。南北関係、そして米朝関係の変化が韓国の一般市民にとってどれほど重要か、それを知るための一文として加えた。

 政治外交以外で重要と思われるトピックスは第4章と第5章に収録した。特に第4章では「ところで実際に反日教育はどうなんですか?」と頻繁に聞かれることと、日韓の教育事情には共通する問題も多いことから、「韓国の教育現場から」という独立した章にした。また、第5章は楽しい旅の話を集めようと思ったが、なぜかキーセン観光という過去の暗いテーマが出てきてしまった。でも、これは重要なことなので、若い皆さんにもぜひ知ってほしいと思っている。

 いずれの章でも現場の空気感がリアルに伝わるように、執筆時の文章をできるかぎり修正せず、足りない部分は追記という形で補った。また、本書は連載時から「ここだけの話」を集めようということで、以下の3つの視点を中心にして書かれている。

①日韓を行き来することで気づいた日韓の認識のズレ
②大声では語られることのない、一般の韓国人の本音
③メディアには登場しない韓国の人々の日常の暮らし

 本音と建前があるのは、韓国の人々も同じだ。マイクを向けられたら言えないこともある。そこで、人混みの中に入ってじっと耳を済ましてみると、いろいろ面白い話が聞こえてくる。そうして集めた5年間の記録を読み返してみると、韓国の変化は激しいといえども、そうした時代の変化を予感させる何かが、その都度あったのだ、とあらためて思う。大きく外してはいなかったようだ。

 だから、今起きていることを冷静に見ることで、次に来ることもある程度は予測できるのではと思う。大切なのは人々の話をじっくり聞くこと。自分の主張も大切だが、まずは一歩下がって他人の意見を聞いてみる。注意すべきなのは古臭い知識や常識に縛られることだ。時には自分自身の経験さえも疑ってみなければならない。

 今、韓国の政治はとても混乱している。それぞれの正しさが対立し、正しさ同士が戦い、正しさが共倒れする。でも、そんな「正解がない時代」は、実は私が待っていた時代かもしれないとも思う。一人ひとりが自分の頭で考えて、行動することが大切な時代。韓国の人たちも、今、そうしなければいけないと思っている。

 世界中が混迷する時代、かつてのように米国や日本にお手本があるわけでもない。大統領も一般国民も悩みながら、手探りしながら、頑張って前進しようとしている。